2013年読切
鬼と侍―残り香―
鬼――角や牙があり粗暴で恐ろしい生き物。たしか、俺はそう聞いていた。
「ちょっと!」
娘は真っ赤な顔をして大声を張り上げる。
獣の皮を胸元と腰に巻きつけているだけの、ほとんど裸のような格好は破廉恥に思えた。体型は幼く、女子ならば出ているはずのところはそれほど膨らみもないのだが、なんとなく目のやり場に困り居心地が悪い。
さて、どうしたものか。
俺は困った。
立春を過ぎたころ、新緑芽吹く季節を前にこの地では大きな災いがもたらされる。鬼が山から降りてきて若い娘をかどわかし連れ去っていく。年頃の娘を持つ親は戦々恐々で家から一歩も出さぬようにするが近頃では鬼どもは村にまでやってくる。
どうか、退治してほしい――村人たちは腕に覚えのある者に願い出たが悉く返り討ちにあう。
自分たちではどうにもならぬと地主が都の御上に嘆願し、使いとして選りすぐりの数名がかの地に向かわされた。その一人が俺である。
着くと早々に鬼が現れるが、大陸から伝わった鉄砲という飛び道具に流石の鬼も怯み逃げ出した。この機を逃してはなるまいと山中まで追っていく。
木々の枝には緑があるが、健全な匂いのない、不気味な山だ。太陽を隠し薄暗い。これは鬼たちの罠やもしれぬ。引くか向かうか――深追いは危険と判断し戻ることにする。
その帰り、麓まで降りると、ふいと茂みが揺れる。
何か、いる。しかし、邪気のようなものは感じない。
「先に行ってくれ」
単独行動は厳禁であるにも関わらず俺は告げた。
胸のあたりまである草を分けて、茂みの奥へと入り込んでいけば、うごめく気配が強まる。刀を抜き振るった。バサリと草々が両断され視界が広くなるとうごめいていたものの正体が現れる。
「うわっ」と驚いた声と顔で俺を振り返る。――それが、この娘だったのだが。
奇妙な出で立ちもさることながら、よくよく見ると頭には角があり、口には牙と思われるものもある。この娘は鬼なのだろう。鬼とは男だけではないのか。女の鬼もいるのか。
思案している間に、娘は傍にあった棒切れを拾うと俺に向けてきた。戦う、気らしい。
「怪我をしたのか」
左の膝から血が流れている。これが原因で逃げ遅れたと推測する。
「大丈夫か」
尋ねるが、娘の方は俺の言うことなどまるで聞いてはおらず「さぁ、こい」と挑発してくる。威勢だけはいいが肩が震えている。俺が恐ろしいのだろう。鬼でもやはり女子。男には勝てぬと思っているのかもしれぬ。事実、どう見てもこのほそっこい娘に負ける気はしない。相手の姿を侮っては返り討ちに遭う可能性も考えなくはなかったが、大丈夫と何故か思えた。それよりも、血の流れる姿を見ると可哀想な気になってくる。相手は鬼であり、退治するべきであるというのにそれが不思議に思える。
俺はひとまず、刀を鞘へ戻した。
さすれば、それが気にくわぬと娘は怒り出したのだ。
「ちょっと! どうして刀を戻すの!」
今一度、娘は不満を訴えてきた。
「どうしてと言われてもな」
「あたしなら刀もいらないって言うのね!? 馬鹿にしないでよ!」
本当に、困った。
しかし、いつまでもにらみ合っているわけにいくまい。一歩踏み込めば、娘はわーわー言いながら棒切れを振り回す。俺はそれを左手で受けとめひねりあげて押し返す。さすればひょいっと軽い。いともたやすく娘の体は後ろへ飛び尻もちをついた。
「いったーい」
言いながら腰をさする。目にはうっすら涙を浮かべてべそをかいている。
「すまなかった」
俺は傍に腰を降ろした。されば娘は飛びはねて立ち上がろうとするが、尻もちをついたときに足をひねったらしく悲鳴を上げてまた尻もちをついた。
「無理をするな」手を伸ばせば、
「ち、近寄るな!」
無表情で愛想がないと日頃から言われているし、お前が通ると泣く子も黙ると恐れられてはいるが、まったく、鬼に警戒されるとは思わなかった。
俺は近寄るなとの言葉を無視して娘を肩に抱え上げた。
「え、ちょっと、降ろしてよ!」
娘はぽかぽか俺の背を叩くが大した力ではない。
「手当してやる。大人しくしていろ」
俺は屋敷へ連れ帰ることに決めた。
娘は抵抗し、「鬼さらい!」と叫んだが聞き流すことにした。
里に戻るあいだ、娘はずっと人聞きの悪いことを叫んでいた。誰もおらぬところなら構わぬが、村の中ではそうもいくまい。俺の評判の問題ではない。鬼の娘を連れ帰ったとなればややこしいことになる。――そこまで考えて、俺はますます不思議になった。この娘の存在がバレたところで”俺が”咎められることはあるまい。それよりも村人を困らせる鬼を捕えたと有難がられるぐらいだ。ややこしいことになるとは、この娘を匿う気があるから生まれる考えである。
「離してよ! 離してってば!」
「……大人しくしろと言ったはずだ」
「大人しくできるわけないでしょ! 降ろしてよ!」
俺は言われた通り娘を肩から降ろした。
ひねった足は腫れが酷くなっている。自力では立ち上がることもできないようで地べたに座ったままで怪我を見つめて泣き出しそうな顔をする。俺に文句をつけることで気がそれていたのが腫れを目の当たりにし痛みを思い出したのだろう。
娘の前に膝を折る。
「これから屋敷に連れ帰って手当をしてやる。だから騒ぐな。騒げばお前のことが村中に知れ渡る。さればどのような目に遭うか」
「べ、別に、殴られたって蹴られたって平気だもん!」
口調はまるで子どもだ。怪我をして泣きべそをかいているのだから殴られたり蹴られたりして平気なわけあるはずがない。ここまでみえみえの虚勢は可愛らしく思える。
「なるほど――しかし、殴られ蹴られるだけが責苦ではない。見たところお前は女子のようだ。人間には物好きというのがあって、鬼でもなんでも女子であればよいと思う輩もいる。慰み者になって散々嬲られることになるかもしれんな。そうなってもよいのならば叫び続ければよい」
今度はどんな強がりを言うかと愉しみに思ったが――娘は青ざめ震えだし大きな目から涙を流し始めた。ふぇぇっといよいよ声を出して泣かれ、俺はばつが悪くなった。少々脅しすぎたようだ。
「案ずるな。そうならんように匿ってやる。だから、大声を出すな。よいな」
着ていた羽織を脱ぐ。すると、娘は「ひぃ」と奇妙な声をだし、立ち上がれないものだから這うようにして後ずさりはじめる。それが怪我に響くのか顔を歪めるがそれでもやめず逃げ出そうとする。
「動くな」
開いた分の距離を詰めるが娘は目が泳ぎ震えもひどくなる。
それで俺は娘の態度の意味を理解した。あらぬ誤解であった。
「勘違いするな。お前に着せるだけだ。その恰好では目立ちすぎるだろう」
羽織を投げて掛けてやる。
ほとんど裸のような姿が隠れてしまうと俺の方が安堵した。
「着ろ」
きちんと袖を通せと続けるが、娘は泣きながら顔を左右に振る。手の甲で目をごしごし拭い泣く姿は娘というより童のようで、俺の気詰まりは強くなる。何故わからぬが、この娘に泣かれるのはほとほと参ってしまう。
他にどうしようもなく頭を撫でる。前髪を撫でつければ絹のようなさらさらとした手触りが思いのほか心地よかった。身につけているものは野蛮に思えたが、身体の作りは繊細である。髪だけではなくきめの細かい、色の白い、肌をしている。先程、山の中へ追いやった鬼の中には赤やら青やら異な色をした鬼もいたが、この娘は角と牙さえなければ人の容姿と変わらぬ。
「いい子だから泣きやめ。何もお前を取って食おうとしているわけではない。俺の言うことを聞いて大人しくしていれば、無体な真似はしない」
「に、人間の言うことなんて信じられないもん。嘘ばっかり言うし。あたしたちとの約束を破ったくせに!」
「……どういう意味だ」
「とぼけないでよ! 約束破ったじゃない。だからあたしたちは困っているのに!」
「困らされているのはこちらだろう。お前たちが里へやってきて、若い娘をかどわかすから村人は戦々恐々としている」
「先に、そっちが約束を破ったからでしょう」
話が、少しも見えない。
娘の話からすると鬼との間で何かを約束していたことだけはわかるが、それが原因でこのような事態になっているのならば、打開策があるかもしれない。
ようやく涙は止まったが、まだぐすぐすと鼻をすする娘に、話を聞かせるようにと慎重に促した。
されば、娘はしかめっ面になり(ころころ変わる表情だと感心する)、それから怒りを吐き出すように話し出した。
村から半里ほどのところに衣川という川がある。大きな川で、春先と秋口に氾濫を起こし、育てた稲や野菜を根こそぎ流してしまう。困り果てていると、一人の村人が「鬼の里で堰止めてもらえばいいのではないか」と言った。衣川は山の向こうから流れてくる川である。山の向こうには鬼の里がある。鬼たちは怪力であるから、その鬼の力で川を堰き止めてもらえば、氾濫を防げるのではないか。
それはよい考えである。しかし、鬼が簡単に話を聞いてくれるものか。そこで、村人は神主に相談しに行った。神主はわかったと鬼たちと話を付けに行った。
ちょうどその頃、鬼の里の方でも難儀な問題が起きていた。鬼の世界にも人の世でいう御上が存在し、毎年、奉納品を献上しなければならない。これまでは山々でとれた食べ物でよかったが、新しく大将となった鬼がどうも”人間かぶれ”であり、献上品を反物にするよう命じた。大将の言うことは絶対であるが、鬼たちの身なりは獣の皮であり、左様な物などない。されば、人の里に行くしかない。鬼たちは仕方なく山で採れたものを持って人里に行き、それらを売り払い反物を買った。だが、それは危険な行為である。正体が鬼とばれると人々は恐怖に陥り、攻撃される。いくら鬼の力が強いといえど無傷ではすまない。
どうしたものか、と話しているところへ、神主がやってきて話を持ちかけた。鬼たちはこれはよいと、川を堰き止めることと引き換えに、反物を自分たちに献上するようにと約束をした。
だが、ここしばらく、その約束が破られている。献上品が贈られてこないという。
話を聞いて、俺は首を捻った。
鬼とは粗暴な生き物であると聞いていたが、娘の話を信じるならば、必要になった反物も人間から強奪しようとはせず、きちんと人の世の方法に乗っ取り手に入れようとしていたということである。まず、その辺りからして認識が違う。更には、かような状況になっていたのは人の方が約束を破ったからであると。
「だからあたしたちは、機織りをしてもらうために若い娘に来てもらうことにしたの。そっちの方が危険な目に遭わないし」
「……それはお前たちの理屈であり、連れ去られた娘や、その親御の気持ちはどうなる」
「そりゃ、ちょっと無茶はしたと思うけど……でも連れてきた娘は大事にもてなしているし、毎年、ちゃんと反物を納めてくれるなら人の里に帰してあげるって言ってるもん。でも、帰らないって。人の村にいたら、朝から晩まで身を粉にして働かなきゃ食べていけないけど、鬼の里なら、反物を織るだけで、あとは全部鬼たちが世話をしてくれるから、そっちの方がいいって、幸せに暮らしてるのよ」
聞かされて、俺はくらりとした。
まったくもって話が違いすぎる。
「それはまことか。嘘はないな」
「嘘なんてつかないよ! 人間とは違う!」
娘は憤慨する。
俺は注意深く娘を見つめたが、偽りを言っているようには思えなかった。
「……わかった。ならば、信じる」
告げると、娘はふてくされたように唇をとがらせて「わかれば、いいんだけどさ」と言った。
「さらば、お前も俺を信じろ」
俺は更に続けた。
「これから村に戻り、今聞いた話を村人に言え」
「でも……、」
「心配するな。お前の身は俺が守ってやる。けして危険な目に遭わせん」
今度は娘が俺を慎重に見つめる。まっさらな、綺麗な目をしている。鬼とはかように純な目をしているのかと知れば、噂話など宛にならんとつくづく思う。
「信じるか」俺はもう一度念を押した。娘はやがて頷いた。
結論からいうなれば、娘の話は半分真実で、半分は嘘ということになった。否、嘘、というのはいささか語弊がある。娘がいうように、約束の反物は鬼の元へは届いてはいなかった。しかし、この村の者が鬼との約束を破っていたわけではなかった。――すべては強欲な隣村の者の仕業であった。衣川の氾濫が及ばぬ隣り村の者たちは、この村の作物が流されてしまえば自分たちの農作物の値が上がると考え、村人が反物を約束の場所へ置くと、鬼が取りに来る前に反物を奪ってしまっていたのだ。奪った品は高値で売りさばく。一石二鳥とほくそえんでいた。
鬼はさほどに恐ろしい生き物ではない。今後は、きちんと受け渡しをする。それで話がついた。
思いのほか平和な解決を迎え、村人たちと地主の屋敷で宴席が設けられていたが、俺は娘の世話があると断った。酒は好きではない。これ幸いである。
屋敷に戻ると、娘を座らせて怪我をしている足を取った。
巻きつけていた薬草を取ると、腫れは引いていた。
「これぐらいならば明日には歩けるだろう」
娘の捻った足に新しい薬草を塗り替えながら言うと、「うん」と頷きがかえってくる。
手当が終わり離す。娘は足の裏を畳にこすり付けるようにすった。井草の感触が面白いらしい。鬼の里では家の床は木の板を張ったもので畳はないのだという。すっかり気に入って踏みしめている。
「お侍さん、すごいんだね」
娘は俺の方は見ず、欄間を見上げながらつぶやいた。細かい彫刻がほどこされているのが、これまた面白いらしい。
「蒼紫だ」
告げれば、娘は俺に視線を移す。
「俺の名だ」
娘は少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐにパッとした笑顔になる。花が咲いたような笑みを見せられて次は俺が驚いた。出会ってからほどなく散々泣かれ、幼子のようになってまいったが、笑うとあどけなさはあるものの娘らしい瑞々しさが浮かんでいる。
「お前の名はなんというのだ」
娘は声をたてて笑う。
「へーんなの。」
「何が変なのだ」
「だって、人間に名前を聞かれるなんて。いっつも鬼、鬼って怖がられるもん。だから大っ嫌い」
「そうか」
「うん、そう。でも、おさ……蒼紫さんは親切にしてくれたから好き」
好き――鬼の娘に好きと言われても、喜んでよいのかわからんな、と思ったが、その言葉に俺の胸の内は奇妙に音を立てた。
静かな夜である。秋であれば鈴虫が鳴いて風流であろうが、春先の、これから厳しい冬を乗り越えて生き物が目覚め始める時期は静かだ。遠くでは、大きな月が浮かんでいる。
「俺も、鬼とは恐ろしいものだと思っておったが」
「……そっか。」
娘は落胆したように見えた。
俺から視線を外すと、開かれた障子の向こうに広がる夜を眺めた。月が照らす横顔を俺は見つめた。
「されど、お前のような鬼もおるのだな」
「……どういう意味?」
今一度、娘は俺を見た。
ころころと動く表情が、今は真剣なものに思えた。
俺は娘の頬に触れた。親指で目元の下あたりを撫でる。きめの細かい、白い肌だと思った通り、なめらかである。髪に触れたときも感じたが、心地が良かった。
「よく泣く」
続けた言葉に娘は、もう! と怒ったがその顔は赤い。
「さぁ、もう寝ろ。気も張って疲れただろう。ゆっくり休め」
娘は素直に布団まで這っていき潜りこんだ。俺は掛け布団を綺麗に整えてやり立ち上がる。
そのまま部屋を出ようと背を向けると、
「操。」
つぶやきに振り返る。
「あたしの名前。操っていうの」
「そうか。覚えておこう」
言い置いて部屋を出た。パタリと障子を閉める。廊下では月明かりがまぶしかった。
翌朝、目覚めて操の部屋へ様子を見に行くと、すでにもぬけの殻であった。
布団は綺麗にたたまれ、その上に、俺が着せてやった羽織が置かれている。
手に取ると、俺のものではない、ふわりと甘い匂いがした。
2013/3/4
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