2013年読切
サマージャンボと真夏の恋/雨降って地固まる
※サマジャンの操ちゃんは19歳設定なのに誤って16歳設定で書いた続編です。
最悪の誕生日だ。頭から毛布をかぶり身体を固く丸め涙を堪える。
好きな人に誕生日をお祝いしてほしい。こちらが黙っていてもサプライズで驚かしてくれるなんて演出があれば最高だ。でも、世の中の男性はあまり記念日を重要としないらしい。蒼紫さんは絶対このタイプで、サプライズなんて夢のまた夢、というか私の誕生日を知らない可能性さえある。それがわかっているから、変に期待してガッカリして勝手に腹を立てるより、自分からアピールしお祝いしてもらうのがストレスがなくていいと考え、
「今週末、誕生日なんだ。お祝いしてほしい」
私は言った。朝食を食べていたときだった。
朝は会話がない。寝起きは頭がぼんやりしているし、蒼紫さんは新聞を読むのに忙しいし、なのでだいたい黙ってもくもくと食べるのがいつものパターンだが、その日は静けさを打ち破り、言った。もし断られたり嫌な感じになっても学校へ行けば友人に慰めてもらえるから。
私の願いに、蒼紫さんは広げていた新聞を下げると、
「わかった」
と一言だけいうとまた新聞で顔を隠してしまった。
了承してくれて嬉しかったが、その後、どうするという話は出ないまま、誕生日当日を迎えた。朝、起きても、蒼紫さんはおめでとうも言ってはくれず、その態度に胸を痛めながら学校へ行った。
放課後。薫の両親が営むレストランに寄った。
お祝いしようと待っていてくれてるかもしれないし、真っ直ぐ帰った方がいいのではないか、と言われたけれどそれだったら出掛けにでも何かしら言ってくれるはずだ。近頃、やけに残業が多いし、きっと私の誕生日どころではないのだろう。帰っても寂しくなるだけだと告げると、蒼紫さんの代わりに薫と剣心さんの二人でお祝いしてくれた。剣心さんの作る料理はとてもおいしくて、気持ちが少し和らいだけれど、楽しい雰囲気にすっぽりと浸ることはできなかった。ときどき、携帯電話を確認してしまうのだ。蒼紫さんから連絡がこないかと。けれど、それが震えることはなかった。
午後八時過ぎ、帰宅する。執事さんが出迎えてくれた。その表情は困っている風に見えた。連絡を入れずに遅くなったことを心配してくれているのだろうと謝罪したけれど、
「蒼紫様のお部屋へ」
意外なことを言われる。蒼紫さんも帰宅しているらしい。
ひょっとしてお祝いしてくれるのかも、と私はびっくりしながらも嬉しくなって階段を駆け上がり彼の部屋を訪れた。ノックして返事を待つのももどかしかった。入ると蒼紫さんは机に向かっていた。
「蒼紫さん」
声をかける。蒼紫さんはパソコンのキーボードを打つ手を止めてゆっくりとした動作で背もたれに身体を預けた。もったいつけるように、しばらくそうしてからこちらを向いた。椅子のカタンという音が響いた。日頃から無表情だけれど、今日は特別無表情に見えた。不穏な空気がする。私は唇を押さえた。
「誕生日を祝ってほしいと言ったのはお前だろう。それなのに本人がいないとはな」
一息に吐かれた言葉にはいろいろ圧縮されている。彼が私の言ったことを覚えていたことや、祝うつもりでいてくれたことや、そうであるのに私の帰宅が遅かったことに腹を立てていることなど。
帰宅しているならこれからでもお祝いしてもらえるかもと思っていた能天気さを呪いたくなった。
「……言ったけど、それっきりどうするかって話もなかったし、朝だっておめでとうも言ってくれなかったし、忘れているんだと思ってた」
蒼紫さんは大きく(わざとらしく)ため息をついて椅子を戻した。これ以上言うことは何もないという背中に、私も言葉が思いつかず自室に戻った。一人きりになると、足元が震えてきて、立っていられず毛布を引っ張り出してベッドの下に入り込んで丸まった。悲しいことがあると狭い場所に入ってぎゅっと身体を丸くする。それが私の悲しみの乗り越え方だった。
薫の言う通り、真っ直ぐ家に帰ればよかった。毛布の端を噛みしめて、嗚咽を堪えるが涙は止まらない。せっかくの誕生日が台無しだ。私は暗闇の中で目を閉じた。
喉がヒリヒリして身体が怠くて目が覚めた。変な寝方をしていた上に、毛布が涙でぐっしょりとしていて、こんなものを身体に巻き付けていたのだから風邪を引いても仕方ない。顔を洗って風邪薬を飲んできちんと眠るためにベッド下から這い出ると屋敷全体がざわざわしているのに気付いた。
なんだろうと部屋を出て階段を半分くらいまで降りると執事さんが私を見て、操様! と大きな声を出した。その次に「蒼紫様、操様がいらっしゃいました」と玄関の方に向かって叫ぶ。まるで行方不明になっていた人物を発見したかのような態度に見えて、私は目を白黒させた。――だって、私はずっと部屋にいたのだから。
蒼紫さんがかけてくる。その顔は蒼白だった。私と目が合うと鬼気迫る顔になって階段を駆け上がってくる。咄嗟に、後ずさり逃げなくては、と思ったがその前に腕を掴まれた。強い力に喉の奥から音にならない悲鳴を上げた。
「いったいどこへ行っていたんだ」
掴まれた手首の力が強まった。痛みから解放されたくて振り払おうとするが、見ると蒼紫さんの手が震えていることに気付いた。
「心配させるな」
凄みがあった。真に迫った威圧感と指先の震えから、この人がどれほど心配していたかが痛いほど伝わってくる。ただ、私にはまったく理解できないことがある。
「……私、ずっと部屋にいたけど……」
蒼紫さんの鋭い眼差しが見開かれた。
「部屋に行ったが、お前はいなかった」
「私の部屋に来たの? 眠っていて気付かなかった」
「嘘を言うな。ベッドにはいなかった。俺は確認した」
「嘘じゃないよ。ベッドの下にもぐっていたんだもん」
続けると今度は眉をひそめて、黙った。私も何を言えばいいのか困り黙る。膠着状態になっても降り注がれる視線が強くて私はうつむいた。掴まれた手首は未だに解放されてはいない。赤くなっているだろう。
「操様が見つかり、安堵いたしました。みなにも知らせます」
執事さんが傍まで来て告げた。屋敷の人たち全員で私を探していたらしい。蒼紫さんは、すまなかったな、とねぎらいの言葉を述べた。ざわざわしていた雰囲気が落ち着きを取り戻し、屋敷が夜らしい静寂に包まれていく。
相変わらず掴まれている右手を引っ込めると、力が緩み離された。長袖のすそから赤くなっているのが見え、私は左手でさすった。
しゅんと鼻をすする。
「何故、ベッドの下などにいた」
「何故って……ベッドの下は落ち着くから」
「お前は猫か」
呆れたように告げられる。
静まっていた悲しみが戻ってきそうだった。
「だがよかった。また家出でもされたら厄介だからな」
「厄介ってそんなトラブルメーカーみたいに言わなくってもいいじゃん」
涙が溢れないように喉の奥で小さな咳払いをし、顔を上げた。蒼紫さんの言いぐさは面倒を起こしてげんなりしている風にも聞こえるが、見下ろしてくる眼差しは静かな色を宿していた。
「泣いていたのか」
涙の痕がついているし、目は腫れているし、隠すことは無理だろうけれど、泣いていましたというのは恥ずかしいことに感じて顔を見られないようにしたかったが、その前に蒼紫さんの手が私の頬に触れた。
「来なさい」
そう言うと、蒼紫さんは先ほどの力任せに握るのとは違い柔らかく包み込むように私の手を取って歩き出した。
連れて行かれたのは寝室だ。といってもまだ一度も使っていない。私が成人して、きちんと結婚式をあげて婚姻届を提出するまで蒼紫さんとは別々の部屋で暮らすことを条件に私はこの屋敷で暮らしている。一度もめて婚約破棄をする前までは人身御供であったから致し方ない面はあったけれど、今はもう違うのだから、中途半端なことせず、結婚するまで私は巻町家で暮らせばいいと思うのだけれど、そういう方向に話は進まなかったのだ。
一歩入ると鼻先を甘いにおいがかすめた。何の香りだろうか。思案していると私が答えを出すより前に蒼紫さんが扉の傍にあるスイッチを押して電気をつけたので、部屋を埋め尽くす花々が見えた。甘い香りは花の香りだった。
入り口からベッドまで一本の道が出来ている。私は花畑の中をふらふら進んでベッドにたどり着いた。そこには私と同じぐらいの身長の巨大なパンダのぬいぐるみがドンと乗っていて、その周りには絵本や積み木などの玩具があった。ぬいぐるみが手紙のようなものを持っている。開いてみると
『八歳の誕生日おめでとう。』
達筆な文字でそう書かれていた。
絵本の傍に置かれている手紙を開くと、「五歳の誕生日おめでとう」とあった。私は何かに取りつかれたように、次々に手紙を開いた。積み木の横の手紙は「三歳のお誕生日おめでとう」。お姫様セットの手紙は四歳の誕生日、腕時計の手紙は十三歳の誕生日……そこには、私がこれまで生きてきた十六年分の“おめでとう”が置かれていた。
「操。」
背後に蒼紫さんの気配がある。私は振り向く勇気が出なかった。後ろから彼の手がすっと伸びてくる。大きな手には小さな箱が乗っていた。それに手紙はなかったが、
「十七歳の誕生日、おめでとう」
低く響く声が聞こえた。
この人は、私の誕生日を忘れていたわけではないのだ。――それなのに私は。そう思うとますます振り向くことが出来なかった。どんな顔をすればいいのか、わからない。謝らなければいけないし、お礼を言わなければいけないのに、恐ろしかった。自分が、この人の気持ちを踏みにじってしまったことが。
「お前が生まれたのは午後六時十七分だと聞いていたから、その時間になるまで待とうと考えていた。だがお前の言うように、朝起きて何も言わずにいれば忘れられていると思うのも無理はない。せっかくの誕生日を台無しにして悪かった」
私の方こそ、忘れられていると思って、ふてくされて、真っ直ぐ帰ってこなくてごめんなさい。蒼紫さんのこと信じなくてごめんなさい。せっかくお祝いしてくれようと準備してくれていたのに。そう言いたいのに喉が震えてうまく声が出ない。
「操。……機嫌を直してくれ」
違う。私は怒ってなどいない、と声が出せない代わりにぶんぶんと顔を左右に振った。けれど、それは別の意味で蒼紫さんに伝わる。
「許してはもらえないか」
悲しそうな声が耳に届き、私ははじかれたように振り向いた。見上げると蒼紫さんの眼差しは声よりもずっと悲しそうだった。それを見たら地の底を這うような低いうなりと共に涙がこみ上げてきた。
「ごめんなさい」
私は何度もその言葉を繰り返した。これまで生きてきた中で、一番切実な、一番申し訳ない、一番情けない気持ちで、胸が張り裂けそうだった。
「操。」
蒼紫さんは、そんな私を抱き寄せてくれた。その広い腕の中はどんな花よりも甘い香りがした。
2013/12/2
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