縁側へ出ると奇妙な光景が目に入る。
近頃飼い始めた白猫の雪と、その恋仲である黒猫のクロが座布団の上にいるのだが――通常であればクロが来ると雪の方から喜び勇んでひっついて行く。ところが今日は様子が違う。
クロが雪の機嫌をとるように顔を覗き込む。すると雪は「にゃ」と鳴いてぷいっと顔を逆に背ける。クロがそちらへ周りこめばまた「にゃ」と鳴いてぷいっと。さればクロは雪の首のあたりを甘噛みしたり尻尾で背を撫でたりして可愛がるが雪は身体をぎゅっと丸める。それはクロの行為を拒絶するように見えた。
「雪ちゃん。クロにだって事情があるんだから、許してあげたら?」
傍にいる操が見かねて雪に声をかける。
されば雪は言葉を理解してか「にゃぁ〜あ」と鳴く。それは「やぁ〜あ」という拒絶のように聞ける。
一体何があったのか。蒼紫は興味をそそられて近寄った。
「あ、蒼紫さま」気付いて操が声をかけてくる。
「何をしている」
「……それがねぇ」操は少し前に起きたことを話し始める。
*
操は使いを頼まれて外へ出た。さほど遠くない場所であったし、散歩にと雪も一緒に。
猫というのは自由気ままに出歩くもの。しかし雪は元の主に屋敷から出してもらえず虐待され育った。そのせいか運動神経が極めて低い。木や塀にもろくに登れないし、走ることもままならぬ。一匹で外を歩かせれば家に戻ってこれぬだろう。だが、閉じ込めておけば以前と同じである。少しずつ慣らそうと操は雪を"特訓"している。雪も何も出来ぬままでは"また"クロに置いてけぼりにされると懸命だ。
クロは一時期、雪を葵屋に預けて姿をくらました。この屋敷は安全であると判断し、雪を任せたということだろう。まるでどこかで見た関係である。
だが、その時の雪の落ち込みようときたら大変なもので、食事を一切食べなくなり弱る一方。見かねて葵屋の者が総出でクロを探し周りようやく見つけた。クロを連れ帰ってくると雪はぱっと嬉しげに鳴いたが、もはや自力では立てない有り様である。されば食事をとっていないことを怒りクロは雪を威嚇した。
「にゃぁ」せっかく会えたのに怒るクロを見て雪は縮みあがり震えだす。されば今度は操がクロへ怒り狂った。
「クロが姿を消したのが悪いんでしょう! それが雪ちゃんの幸せだとでも思ったの? 雪ちゃんがあんたのことをどれだけ慕っているか。それを置いてけぼりにするなんて! どれだけ雪ちゃんが悲しんだか。あんたに怒る資格はない」
操のそれは本当に雪のためだけの言葉だったのか。蒼紫はなんとも言えぬ気持ちになったものだが。
それからクロは雪に会いに来るようになった。クロとて雪を憎からず思っている。晴れて恋仲となり睦まじくしている。
話が逸れた。
操は雪を連れて散歩に出た。されば帰り道、空き地でクロの姿を見つける。雪はすぐさま傍に近づく。そして、ちょこんと座りクロを"待った"。それは一つの習慣のようなもので――クロは雪の元へ来ると雪に口づける。ちゅっと軽くではあるが。全く猫とはいえ人目も憚らずよくやると蒼紫は思う。ましてや雪はまだ小猫である。それに手を出すなど。しかし、操の感想は違うようで、その睦事を羨ましがる。
「いいなぁ、雪ちゃん。らぶらぶじゃん」猫を羨ましがるとはどうかと思う。
しまいには感化されて蒼紫に抱きついてくる始末。猫の真似をするなどどうかとやはり思う――思いながらも操がじゃれてくるのは悪くないとまんざらでもなかった。
また、話が逸れた。
雪はいつものそれをしてもらおうとクロを待った。
しかし、いつまでたってもクロは何もしない。おかしいと思って雪は「にゃぁ」と催促する。しかし、クロは後ろに周り雪の首輪を咥え持ちあげると操のところまで連れて行った。そして、操にぬっと突き出す。雪を連れて行ってくれということと察知して操は雪を抱き上げた。
無理もない話だ。その時、クロの傍には他の野良猫たちがいた。
雪と出会うまでクロはどこにも根を張らず各地を転々としているようだったが、雪のためにこの地へ根を下ろした。寝起きも葵屋でする。しかし、基本はやはり野良のままで、さればここらを治める野良猫とぶつかり合う。クロはその決闘に勝ち、今では"御頭"である。御頭を慕う他の野良猫の前で口づけはできまい。威厳というものがある。
ところが、雪はそれを理解しない。自分を追い返したと怒っているのだ。
*
「なるほどな」話を聞き終えて蒼紫はうなずいた。
「雪ちゃんも、もう少し大きくなればわかるとは思うけど」
今はまだ小さい。周囲の状況を読めぬとも仕方ないと操は続けた。
蒼紫はそれを聞いて思わず笑う。
「……何?」
「いや、お前がそんなことを言うようになったかと」
「どういう意味?」
きょとんとする操の頭を蒼紫は撫でた。
「昔、似たようなことがあった。覚えていないか――」
操がまだ幼かった頃。
半年に一度ほど、御庭番衆の集会がある。蒼紫は次期御頭として御頭の傍に控えていた。されば、そこへ操が。大事な場である。近づけさせないようにと女中に言って聞かせていたはずが、目を盗んで入って来たらしい。そして蒼紫を見つけると駆け寄ってきて
「あおしさま、抱っこして!」屈託のない笑顔で言われる。
操は御頭の愛孫である。みなもそれは知っている。しかし、ここで操を抱きあげ甘い顔を見せれば他の者に示しがつかなくなる。
「操さま。いけません」察した般若が代わりに操を抱き上げて連れ出し事なきを得た。
しかし、その後が大変だった。
操は蒼紫に抱いてもらえなかったことで機嫌を損ねる。
「あおしさまはみさおがキライなんでしょ。だから抱っこしてくれなかったんでしょ」
そう言って大泣きする。
「そんなことはない」と慰めても、嘘だ。嘘だ。と泣いて聞かない。
「もういいもん。あおしさまなんて、大っきらい。しらない!」
頑なな態度が改まることはなかった。
蒼紫の話に操は真っ赤な顔になる。されば蒼紫の眼差しは深みを増す。
「それだけ俺を慕っていたということだろう」
本人相手への惚気である。操はますます真っ赤になった。二人を柔らかな空気が包む。しかし、
「にゃぁ!」雪の声にはっとなる。
クロが雪の鼻の辺りを舐めあげたが、それに対する怒りのようだ。
"触らないで!"ということだろう。クロは雪の剣幕に立ちあがり庭へ降りた。それでも後ろ髪引かれるのか立ち去るまでには至らず、庭から雪をじっと見ている。雪はそれに背を向けるように丸まった。
「……蒼紫さま、どうしたらいいと思う?」
操の問いかけに、蒼紫は雪に近寄った。
気配を感じ雪はチラリと蒼紫を見る。
「雪。そんなにクロが嫌か。ならばもうここへはこさせん。それでよいか」
ピクリと雪が動く。
「二度と会えずともよいのだな」
蒼紫は立ち上がり今度は庭に降りてクロの元へ進んだ。
クロは蒼紫の意図を見抜くように顔を見つめる。
「雪はお前とは関わりたくないと。もうここへは来るな。姿を見せたら俺がお前を叩きだす」
「え、ちょっと、蒼紫さま」驚いて操が声を上げる。
「もう行け」しかし、蒼紫は続けた。
すると、クロは蒼紫の言葉を受けとめたのか一度だけ雪の方を見ると、ゆっくりと背を向けて去っていこうとする。
塀への近くまで行くと傍にある木へ登り塀を乗り越える。それがクロの通り道だが。
木へ前足をかけた時、
「にゃぁ!」雪が鳴いたかと思うと、立ち上がり慌てふためいて庭へ下りてくる。そして、更にクロの元まで進む。傍へ行くと泣きつくように、謝るように頭を撫でつける。怒っていても、それは嫌いになったのとは違う。好きだからこそ怒っているのである。会えなくなるとなれば怒りなどなりを顰める。
クロもまた雪の首元へ頭を撫でつければ、雪はゴロゴロと喉を鳴らす。少し前までのギクシャクとした関係が嘘のように甘い雰囲気になる。
「お前と一緒だな」蒼紫は庭から上がり操のところへ戻ると言った。
「え?」
「お前の時も、御頭が『さほどに嫌ならばもうお前の前に姿を見せんようにさせる。二度と会えなくともよいのだな』と。その一言で、たちまち機嫌が直った。お前と雪はそっくりだな」
言うと、蒼紫は右手で操の顎に触れる。そのまま上を向かせると人差し指で喉元を撫であげた。かと思うと、ふっと笑って歩き出す。
一瞬、何が起きたか惚けた操であったが、
「ちょっと! 私は猫じゃないんだからね!」怒りからか、恥じらいからか大きな声が出る。
「ああ、お前は猫より可愛い」しかし、蒼紫は動じることはなく背を向けたままで告げると去って行った。