運命の人シリーズ
操ver
恋愛をするということは、男女として向き合うということで、男女として向き合うということは、その先には”そういうこと”があるのは知っていた。だけど、実際に自分が”そういうこと”をするということがピンとこない。たとえば恋人が出来て、どういう流れで”そういう風”になっていくんだろう。いざ、”そういうこと”になったらビックリして拒否してしまいそう。恥ずかしすぎて逃げ出しそうだ。でも、”そういうこと”を拒否すると相手を傷つけることになるらしい。それも望んではないし、じゃあ、どうしたらいいんだろう。
”そういうこと”をすでに経験済みのともちゃんという友人に話をしたら、ともちゃんをにっこりと優しげな顔をして私に言った。
「それはね、操ちゃんがまだ本当に人を好きになったことがないからだよ。本当に好きな人が出てきたら、”そういうこと”も自然と出来るようになるんだよ。だから考えすぎないでいいよ」
言われても私はやっぱりピンとこなかった。ただ、微笑むともちゃんの言葉には妙に説得力があり、ともちゃんがそう言うならきっとそうなのだろうと信じられた。だからあまり考えないことにした。
そして、それから一年後、私はともちゃんの言葉を実感することになる。
もぞもぞと布団の中で下着をつける瞬間が、実は一番恥ずかしいかもしれない。それでもこのままでいるわけにはいかず、私は手探りで自分の下着を見つけて着る。それでようやく一息つく。ほっとして、ベッドを抜け出そうと起きあがれば腕を引かれる。
「うわっ」と声を上げるけれど、そんなものお構いなしとばかりに次の瞬間には広い胸に抱き込まれていた。
「どこへいくんだ」
バリトンの低く通る声というのはこういうことを言うのだろう。耳元で囁かれるとゾクリとする。
「えっと、あの、家に帰らなくちゃ……」
夜も更けてきた。終電があるうちに帰りたい。
「泊まっていけばいい」言いながら、唇が額や頬につけられる。
「でも、先週も泊まったし」
先週だけではない、先々週もだ。
「今日は帰らなきゃ」
「明日予定でもあるのか」
「そうじゃないけど」
「ならば、いいだろう」
「そういうわけにはいかないよ」
毎週、毎週、外泊なんてよくない。大学進学で上京してきて一人暮らしをしているから、誰にも叱られたりはしない。極端な話、私が何をしていてもバレることはない。でも、そういうことではなくてけじめというものがある。
私を抱きしめる腕を離して欲しいと告げる。今日は帰ると強く主張した。だけど、腕が緩まることはなかった。
「後ろめたい思いをさせるのは本意ではない」
「だったら――」
離してよ、と言う前に
「そうだな。それなら、来週末に挨拶に行こうか。お嬢さんとおつき合いさせていただいてますと宣言すれば堂々としていられるだろう」
「わざわざ京都まで付き合ってますって言いに?」
東京から京都まで結構な距離だ。だから私を引き留めるために口から出任せを言っているのかと思った。ところが、
「ああ、もちろん、ただの付き合いじゃない。結婚を前提に」
「結婚!?」
「……俺はそのつもりでいるが。操は違うのか」
「違う、ことはないけど」
男女が付き合う。その先には結婚か別れがある。ずっと恋人同士という関係だって存在するのだろうけれど、私はいずれ誰かと結婚して所帯を持ち子どもを作りたいと望んでいる。付き合うの先には結婚か別れが待っている。そして、別れるつもりの相手なら付き合ったりはしないけれど。
「でも、まだ付き合い初めて一月だし、そんな結婚とかまでは……」
そう。私たちは付き合って間もない。
出会ったのは二月半前だ。
友人と食事に行ったら前日に恋人と別れたと告げられた。「あんな奴、別れてせいせいしたわ」と言いながらも傷ついていたのは明白でお酒のピッチも早い。結果、悪酔いした。介抱しているところに彼――四乃森蒼紫さんと出くわした。彼は友人を連れて帰る道中を付き合ってくれて私のことも家まで送ってくれた。
後日、電話をかけてお礼がしたいと告げると彼は二つ返事で受けてくれた。
「それじゃ、開いている時間いくつか教えていただけますか? こちらで調整してまた連絡します」
「調整? ……君だけじゃないということか」
「……えっと、一緒にいた友人も、お礼がしたいと思いますし、その子にも連絡します」
一番世話になっているのは記憶をとばした友人だ。翌日の夕方二日酔いになりながら謝罪の電話をくれたときに全容を話してある。本人からも礼をいうべきだ。
「君と二人がいい」
「え?」
「私と二人では嫌ですか」
ドキリとした。そんな風なことを男の人から言われたことがなかったから、どういうつもりで言っているのかドキドキと心臓が速まる。
そして、私は一人で彼と会った。
お礼をするつもりが、結局は御馳走になり、帰りも送ってもらった。
それからも彼から連絡が続いた。私は誘いを断らなかった。二度、三度と食事をし、四度目は映画を見てから食事、五度目は彼の車で少し遠出をした。
これはデートと言っていいのだろうか。
生まれて二十年。男の人とデートらしいデートをしたことがない。グループデートみたいな友人とわいわいすることはあったけれど、私は外見も幼く、子どもっぽくて、色気がないと言われ続けていた。妹ならまだしも、弟みたいだと男友達からからかわれ、誰一人として私を女性として見てくれなかった。それは私のコンプレックスでもあった。だから、こんな風に男性と食事に行ったり映画を観たり――言葉にすればデートと言ってもいい気がする行為をしても、自分がするならそれはデートではないのかもしれないと思った。
まして四乃森さんが相手なら尚更だ。
彼は私より十も年上の”大人の”男の人だ。見た目もかっこいいし、モテそう。その人がどうして私を誘うのか。これをデートと言っては自惚れすぎている気がして――だけど、じゃあ一体何なのだろうかと、わからないまま会い続けた。
そして、一月が経過した土曜日の夜、彼は言ったのだ。
「家においで」
それが意味することは流石の私も理解できた。理解は出来たけれど、ただそれでも信じられない気持ちが勝っていた。
どうして私なのだろう。
私なんかが――自分を卑下するつもりはないけれど、それでも私のような女らしくもないし、美人でもない、それにたぶん彼とは話だってそんなに合わない。私が面白いと思うものと、彼が面白いと思うものは違う。私が娯楽的な笑いを求めるのに対して、彼はもっと知的好奇心を刺激するものを楽しいと感じる。どう贔屓目に見ても趣味が合うとは言えない。不釣り合いと言わざるを得ない私を、どうして彼は――。
だけど、私は誘いを受けた。自然なことのように家に行った。不思議に思う気持ちはあったけれど、戸惑いも、躊躇いもなかった。
一夜を過ごした翌朝、彼は私に部屋の鍵を渡してきた。
それから、平日、仕事が早く終わる日はメールをくれる。私は都合が合えば彼の家で待つ。週末も一緒に過ごす。恋人同士になったのだ。
だけど、時が経緯するほど私は不安になりはじめた。あまりの展開の早さに、ようやく心がついてきたのかもしれない。不安は日に日に私の中で大きくなった。
恋とはもっと、ゆっくり、時間をかけて、育んでいくものだと思っていた。でもこれは私が想像していたものとは少しも重ならない。相手は十も年上だし、”大人の男の人”なのだから付き合うとなれば”そういうこと”もするのは当たり前のことなのかもしれない。過去の経験から手慣れているのかもしれない。でも、私はすべてが初めてだった。わけもわからないまま、流されるように関係してしまった気がして、彼を本当に好きでいるのか、そんなこともわからなくなっていった。
「操。俺は結婚したい。”もう”一時も離れたくない」
そう言うと彼は私をぎゅっと抱きしめなおした。その仕草がやけに切実で、私はたまらない気がした。
「愛している」
囁かれる言葉。たぶん、それに嘘はない。いい加減な気持ちでもない。でも、私は不安になる。恋は時間ではないというけれど、どうして彼は出会って間もない私を”すんなり”愛したのだろう。どうしてこんなにも切なそうに私を抱きしめるのだろう。
わからない。何も。
それは私の経験不足から感じる疑問なのか。それとも彼には秘密があるのだろうか。
「操。……泊まっていくだろう?」
彼は告げる。そして、私の顔をのぞき込んでくる。その目は頼りなく見えて、私は頷くしか出来ずにいた。すると、彼の顔が近づいてくる。唇が重なる。彼の熱にまた飲み込まれていく。何もわからないまま、ただ求められる快楽に身を任せてしまう。
「愛している」
繰り返される言葉が、どこか遠く聞こえた。
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