2011年読切

想い患い

 空が、青い。
 限りなく、広がる青。


 廊下に腰かけて仰ぎ見る。
 元気でいるだろうか。幸せでいるだろうか。見上げる度に自然と考えていた。
 そうであるならば、と願い。そうであるにちがいない、と信じ。そして、私の知らない場所でそうしていることをちょっとだけ悔しいとも思った。
 けれど、現実は遠く。
 彼が辿った道は、辛く苦しいものであった。想像も及ばない闇。彼を取り囲む世界は真っ黒に塗られていた。
 聞かされ、何故、と。
 私は、怒りたかったのだ。
 置いていかれて、寂しかった。辛かった。それなのに、みんなで楽しそうに過ごしていたのね。酷いよ。そう言って怒って、今度こそ私も仲間に入れてもらうはずだったのに。
 彼は一人になっていた。
 たった一人きり。

 それは、きっと、今も。

 だから、私は彼を好きだと言う。
 包み隠さず、伝え続ける。
 一人ではない。あなたは一人ではない。ずっと、あなたを思い続けてきた。そしてこれからも。私が傍にいて、あなたを思い続ける。
 おそらく、そんなこと、彼は望んでいないだろう。煩わしく感じているかもしれない。それでも私は毎日伝えるの。

「蒼紫さま、大好き」





◇◆◇





 夜が、明るい。
 何も見えなかった闇が、薄まっていく。


 渡り廊下の途中、人の気配。柱に持たれて眠る無防備な姿にため息が出る。日頃より「私はもう十六なんですからね!」と胸を張って主張するならば、このような振る舞いをどうにかしろと思う。翁は少しばかり奔放に育てすぎたのではないか。それとも操のそもそもの性分がそうであったのか。俺の記憶している限り、確かにお転婆ではあったから、やはり持って生まれたものか、とは思うが。
 起こすか――しかし、あまりにも気持ちよさそうに眠っているため、わずかな躊躇いが生じる。仕方ない。今日はこのまま部屋に連れて行くことにし、気配を消し近づく。
 それにしても、よく眠っている。その顔は、あどけなく、幸せそうだ。楽しい夢でも見ているのだろうか。思いながら、抱きかかえようと手を伸ばせば、
「蒼紫さま、大好き」
 規則正しい吐息と共に洩れ聞こえた――寝言。
 操がそのようなことを口にするのはままある。幼い頃は元より、再会してからさえ、変わらず言葉にする。この辺もまた「私はもう十六なんですからね!」という主張を疑いたくなる所以だ。十六の娘は、人前で、男に向かって「大好き」など口にせぬ。操にとって俺は男ではなく、親代わり、兄代わりだから言えるのかもしれぬが。否、たとえそうであっても、やはりそのようなことは口にはしないだろう。持って生まれた性分と、翁の教育方針により、奔放さに拍車がかかったと解釈するのが妥当か、と結論に至る。しかし、
 知っているだろうか。その奔放さに俺がどれほど救われているか。
 何もかもが変わってしまった。時代も。環境も。己の心さえ。その中で、ただ一つ変わらず、昔も、今も、俺を慕う存在。離れていた年月の間も、移ろうことはなかったと知り、俺がどれほど。
――操。
 伝えることはないだろうが。血濡れた身に、光が似合うはずもなく。
 それでも、俺は。
 眠るその身に顔を寄せれば、また一つ罪を。だがそれは、ひたすらに甘い。