2011年読切

言語感覚の相違について。

「何をそんなに怒っておるのじゃ」
 女学校から帰れば、いつも蒼紫にくっついて歩く操が、珍しく翁の部屋を訪ねたのだ。
 それも、怒り心頭という感じである。
「どーもこーもなーい!」
「だから、どうしたんじゃ。どーもこーもなくはないから怒っておるんじゃろ。一体何があったんじゃ」
 盲目的に蒼紫を慕っている操であったが、だからといって何でもいいなりと言うわけではなく、どちらかというと言いたいことは言ったりする。この辺りが操の凄さだなと翁は思っている。普通、あれだけ慕い、尚且つ御庭番衆御頭である人物になら絶対服従になってもおかしくはないのだが。しかし、蒼紫に対してもその奔放さはいかんなく発揮されている。慕ってはいるが、けして服従はしていないのである。最もそれは蒼紫の態度に寄るところも大きい。なんだかんだ言いながら、蒼紫は操に甘い。窘めたり説教したりはするが、結局のところ操の言うことを聞いてやる。今からこれでは、案外かかあ殿下の夫婦になるかもしれない。まぁ、それはそれで面白くてよいが。
「それがさぁ、今日、帰り道で紙風船を売ってたの。でね、懐かしくなって買って帰ってきたの。それを、蒼紫さまに見せたら、なんて言ったと思うー?」
「変わらないなとでも言われたか」
「な、な、な、なんでわかんの!?」
「わかるわい」
 はぁ、と翁からため息が漏れる。
 一体何度このようなことで喧嘩しているのか(というか一方的に操が怒っているだけだが)。
「って酷くない? 変わってないわけないじゃん。もう私は立派な娘なのよ! 失礼だよ!!」
「……それで怒っておるのか。ほんに、お前は子どもじゃな」
「ちょっと、じいやまでそんなこと言うの!? 信じられない。もういい!」
 そう言って、操は翁の部屋を出て行った。ご機嫌はさらに悪くなったらしい。
 しかし――と、開け放たれた襖を見つめながら翁は再びため息をついた。
 年頃の娘にしては発育があまりよろしくない操にとって「子ども扱い」は禁忌である。そのようなことを蒼紫とて重々承知で、それでも「変わらないな」と言った意味をもう少し深く考えられぬのかと呆れる。
 蒼紫が幼き頃の操をどれほど可愛がっていたか。目の中に入れても痛くないというが、まさにそれである。任務がない日は朝から晩まで一緒に過ごす。寝るときまで同じである。操が懐いているから仕方ないという体をとってはいたが、いくら懐いているといっても、それを受け入れるというのはなかなか。蒼紫に気持ちがなければ出来るものではない。誰がどうみても、操が可愛くてしかたないのだと思っただろう。溺愛と言っても過言ではないほど。
 その当時から「変わっていない」と言っているのだ。操が変わっていないように感じると。つまり蒼紫には幼き頃も今も操が可愛くて仕方ないという意味である。蒼紫の気持ちが変わらずにいるから同じように見えるなど、どう考えても惚気だろう。
「怒るところではなかろうに」
 蒼紫も報われんなと翁は少しばかり同情した。