2012年読切
女同士
桜は散り際の潔さが美しい――風に舞う儚げな花吹雪を愛でるため、春の茶店は軒先へ椅子を据える。季節限定の特等席へ薫と恵は座っていた。
春。久々の東京。懐かしい面々と顔を合わせ花見をした翌日。二人は近所の茶店まで散歩がてら歩いてきた。女子はもう一人――巻町操がいるが本日は浅草へ四乃森蒼紫と出掛けている。随分と前に東京へ来たとき何処も見物せず京都へ戻ったことを覚えていて(根に持っていて)、「今日こそは一緒に東京見物しようね」と強引に連れ出したのだ。蒼紫は別段抵抗することも反論することもなく手を引かれて出て行った。操の楽しげな様子に満足している風にも見えて、その光景は皆を多少なりとも驚かせた。
お団子とお茶が運ばれてくる。定番の桜餅と濃い目のお抹茶だ。恵が茶碗を持ち上げると上手い具合にひらりと花びらが一枚落ちた。
「どこからそんな力が沸いてくるのか、不思議だったのよね」自然と口元を緩め告げれば、
「何の話?」薫は飲み込めず尋ね返したが、
「操ちゃんよ」名を告げられ、
「ああ」薫はその名と茶碗に浮かぶ花びらで、恵が何を思い出しているのかようやく合点がいき二度頷いた。
操が蒼紫を慕っているのは周知の事実だったが蒼紫の方が――先代の大事な愛孫だから大切にしているのか、個人的な感情での思いがあるのか読めない。この二人はどうなるのだろうか。野次馬根性もあるがそれより心配が強い。薫も恵も女子である。長い時間を一途に思い続けている操の恋を成就させてやりたいと願ってしまう。だが、いつまでたっても二人が夫婦となったとの知らせは届かない。操から時折送られくる文には"何の進展もない"と書かれていた。今回も東京へ来ないかと誘えば揃って来ると返事があったが、相変わらず一方的に追いかけているのかと思っていた。ところが、
「"押し花"発言には驚いたよね」
昨日の花見でのことだ。そろそろ帰ろうかと立ち上がれば操の髪に花びらが一枚ついていた。気付いた薫が声をかけようと口を開きかけたが、その前に操の髪を長い指が触れた。
「うわっ」と突然のことに驚いて操が奇妙な声をあげれば、
「髪に付いていた」蒼紫が花びらを見せながら言う。
「あ、とってくれたの? ありがとう」
「いや」
それで終わるかと思われたが、蒼紫はハンカチーフを取り出して取った花びらを大切そうに挟んだ。
「どうするの?」操が尋ねれば、
「何事も縁だろう。押し花にしてお前の女学校で使う教材の"しおり"でも作ろうかと」
「嬉しい。今日の記念だね。大事にする」
満面の笑みで操が返した。心底幸せそうな笑顔が眩しい。
誰が見ても立派な恋人同士のやりとりだった。それも相当に睦まじい。これでどこが"何の進展もない"のか――否、将来の約束をしていないという意味では"進展がない"というのは嘘ではないのかもしれない。しかし、確実に関係性は変わっている。そもそも"女学校"へ通っているのも花嫁修業の一環という。明瞭な取り交わしはなくとも、暗黙の了解だろうと思われる。
「おめでたい報告が聞けるのはもうすぐよね」薫が言えば、
「そうね。操ちゃんの思いも報われるわね」恵も同意する。それから、「……それにしてもあれだけ無愛想にされてたのにめげなかったこと――どこからそんな力が出てくるのかってずっと不思議に思っていたのよ」
恵はもう一度告げた。不可解で仕方なかったとため息とも自嘲とも付かない吐息をつきながら。そして、ふいと薫の方を見る。視線を感じて薫も茶碗から顔を上げて恵を見れば穏やかな眼差しとぶつかる。
「でも、今ならわかる気がする。私と操ちゃん……"あなたたち"と何が違ってたのか」
操の態度はいささか強引であり包み隠さなすぎるけらいはあるが、操と薫は似ていると恵は思っていた。そして自分とは違うとも。恵には辛い過去がある。それ故の違いだと最初は思った。自分だってこんな環境にいなければもっと別の人生があると――考えていた時期もあった。しかし、操も薫もけして幸福な生涯を生きて来たわけではない。二人とも若くに両親を亡くし天涯孤独の身だ。周囲の人に恵まれていたとしても、肉親がいない現実は悲しい。いざとなったら一人でどうにかせねばならない。だが操も薫も明るく笑う。自ら光を発する。
「……私は守ってもらいたかった。庇護される暮らしを求めていた。辛い出来事から大丈夫だと言ってくれる手を欲しがってた。私を幸せにしてって願ってたわ。そして、それがないことを恨んでたのよ。でも、あなたたちは違った。誰かに守ってもらおうとはしない。それよりも『私があなたを幸せにしてあげる』って。それってすごいことでしょ。普通、自分の幸せだけで手が一杯だもの」
蒼紫さまを笑顔にするのは私なんだからね――溌剌と息巻く操の声が思い出される。
操のように言葉に出してまで公言せずとも、それは薫が剣心に抱いていた感情でもある。二人とも重い過去を背負った男を愛し、彼らの罪の全てを受け入れ、彼ら自身が己の幸せを願うなど罪深いと躊躇う気持ちごと引き受け、"私があなたを幸せにするのに誰の許しがいるというの"とその手を強く握った。彼らが手に入らないと諦めた未来を、そんなことはないと明るい方角へ連れて行った。剣という、武術という強さを持つ彼らは戦うことで誰かを何かを守ってきたし、その庇護を受けたいと思う者は大勢いただろう。恵もまたその一人だ。だが、操も薫も彼らに守ってほしいとは思っていなかった。守られることはあっただろうが心の一番強いところで自分が守ると決めていた。そして、その思いは、否、光は彼らにしかと届いた。それを理解したとき恵には剣心が薫を、蒼紫が操を求めるのは至極必然に感じられた。他の者では彼らは幸せにはなれないとまで思えた。
「恵さん、」なんと答えればよいか薫は名を呼んだ。かつての恋敵だ。今も交流はあるといえど、どこかでわだかまっていたものが。恵が自分をどのように考えているのか薫にはわからなかった。しかし、今前にしている恵の表情は見たことのない清々しいものだった。未練も後悔もなく懐かしげに振り返っているようにも見える。時がなせる穏やかさというものなのか。されば、これからは、本当の意味で自分と恵は友人になれるのかもしれない――と恵の微笑む姿に胸がじんわりと温かくなるが、
「でもまぁ、思いに実際の行動が繋がるわけじゃないんでしょうけどね。……あなた、相変わらず料理は下手だし。やっぱり剣さんって見る目ないかも」
認めてはいるけど、認めたくはない。とっくに剣心への思いに踏ん切りをつけてはいるがそれは、それ、これは、これと言い放つ。
「なっ、」するとたちまちに薫の心は怒りに塗り替えられる。「恵さんこそ、ちっとも変ってないわね。私だって頑張ってるんですからね」
恵は手にしたお茶を口にしてむくれる薫をチラリと見るが、
「「なんだか、懐かしい」」
剣心を巡ってチクチクとやりあった記憶が蘇る。それは互い様らしく、言葉が重なり、二人同時に笑いだした。そして、思う。おそらく自分たちはなんでも打ち解ける親友のような関係にはならないだろう。それでも、この先も時折こうして会って嫌味を言い合ったりするのだろう。そういう繋がりも悪くはないのかもしれないと。
麗らかな春の昼下がり――東京の空は晴れ渡っている。
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