2012年読切

そのすべてを(R-18)

 唇を重ねると砂糖菓子を食べているような甘さに襲われる。
 華奢な身だと思っていたが驚くほどに細い。痩せすぎているわけではなく、日頃着物に隠れる部位にはしかと肉付きがあるし、幼児体型との嘆きは何だったのかと思われるほど十分な女子の身体だったが――細い。触れると折れてしまいそうで、俺は恐ろしくなった。
 否、俺もよい年だ。睦事を交わすのは初めてではないし、女子の身はみな柔らかく繊細であると知っている。だが、けして壊れやすいわけではない。折る気がなければいかに細くとも折れたりはしない。いささか無理な体勢も順応し、己から快楽を貪ろうとする。何も恐れを抱くことなどない。そうは思えど操に触れる指先の震えが止まらない。
 着物を肌蹴けさせ白い胸元を露わにし、それを目にして欲しいと感じ熱は滾りたまらなくなっているが、見降ろすばかりで動けない。
「蒼紫さま――……」か細い声がする。我に返り視線を移せば泣き出しそうな操の顔がある。羞恥と不安が限界を迎えどうしていいかわからずに俺を呼んでいる。
――欲しい。
 この娘が欲しいと下腹部から込み上げるのは雄の猛りか。欲しいのだ。己は。理性と本能が交差する。何も迷うことなどないはずが、これは合意のことである。俺と操は夫婦となった。契りを交わして誰の咎めに遭おう。そうであるのに俺を引きとめる恐怖心が滑稽に思える。
 操が何か言いたげにそっと俺の袖を引く。一糸まとわぬ姿にされている操と違い俺の方はまだ何も乱れてはおらぬが内心のことでいうなら逆転するのだろう。着物に隠れた欲望を見せつければ今度は操が怖気づくかもしれぬ。
「あ、おしさ、」続く言葉を飲み込むように唇を重ねた。甘い。溶けそうに甘い。甘い物は嫌いではない。疲れたときによいと聞き時々口にする。確かに効いている気がしたが――これから俺の疲れを癒すのはこの身である。だがそれにしても甘すぎる。喉が焼ける。そうであるのに後を引く。俺はもうこれなしではいられぬようになるだろう。それは確信である。
 上唇を吸い、下唇を吸い、繰り返していると、閉じられていた唇が開いてくる。呼吸を求めて開いた隙間に己の舌が差し入れると、操のそれがある。突然の侵入者に驚いて絡めるより先に奥へ引っ込んだので俺も一度引き顔を離す。操を見れば先程と同じく泣き出しそうな表情をしている。俺はその頬を撫でた。指の震えは治まっている。
「操。」何か、その後に続けようと思えど言葉は出てこなかった。俺は夢中で操の肌を求めた。ようやっと結ばれたと、これで操の何もかもが己のものであると思った。

 しかし――それは考え違いであると思い知らされることとなる。

 祝言を挙げた夜から、俺は少しずつ虚しさに襲われ始めた。
 操が、俺を求めてはくれぬ。
 人は快楽に弱い。身体は簡単に堕ちる。難しいのは心だ。逆に言えば、気持ちを得られたなら後は時間の問題。俺はそう思っていた。そして、操の心は俺にある。気持ちに僅かの揺らぎも偽りもない。自惚れではなく信じ切れた。それ故、もう操は俺のものと――だが祝言から幾度も逢瀬を重ねたが操は俺のものにはなってはくれぬ。心は俺を求めるが、傍にいてほしいと望んではくれるが、身体はそうではない。俺が求めれば応えてくれるし、厭う素振りは見えぬ。だが抱いている間、俺への思いがまるで感じられない。慣れぬせいか、恥じらっているのか。時が経てば変化を覗かせてくれるかとしばらく様子を見ても操の態度は変わらない。俺の意のままに身体を開くものの、女の悦びに震えているようで俺の熱に身を揺らしているだけだ。俺を好いているはずが精神の拠り所と身体の欲求が繋がらぬ。
 心も身体も手にはしているはずが、心は心、身体は身体。同時に俺を求めてくれるなら片手落ちでしかない。共に味わえぬことに焦燥が募るばかり。俺が欲深すぎるのか。だがもう後には引き返せぬ。俺は操の何もかもが一度に欲しい――。



「私も一緒に行きたい!」
 夕餉の席でのこと。葵屋を贔屓にしてくれている大店のご隠居が城崎へ湯治に赴く。秋の恒例行事であり毎年翁が共をする。今年もそのはずであったが、三日前に翁と女子を"なんぱ"しているうちにぎっくり腰を患い全治二週間と診断された。湯治に行けば楽になると無理をして行くと言ったが、「馬鹿言わないでください」と皆に止められた。されば日をずらすかとの話も出たが妙なところにこだわりがあり日を変えてまで行く気はないと。だが部屋は押さえてあるし、翁だけでも行ってくれとのことであったが。されど翁とて一人で行ってもつまらぬと――それで白羽の矢が立ったのが俺だった。繰り返すが城崎は湯治場として有名で、身体に傷持つ身であるから丁度良い。のんびりと湯に浸る時間など持ったこともなかろう。部屋に露天風呂のついた特別室だから一般客に気兼ねなく入れる。ちょっと行って来いと告げられる。されば話を聞いていた操が、自分も行くと。かような話を聞けばそう言うことは百も承知。翁とてわかっていたのだろう。
「ああ、二人で行ってくればよい。新婚旅行というやつじゃな」
 なるほど。近頃はそういうものが流行っていると聞く。一月前に祝言を挙げたばかりであるから、これは新婚旅行の範疇に入るのだろう。 
「やった!」操は素直に喜ぶ。「二人で旅行なんて去年の春に東京へ行って以来だね」
 久々に皆で集まらないかと緋村剣心から(正確にはその妻から)の文が届いたのが一年と半年前。それ以前も一度東京へ二人旅をしているが切迫した事情だったので旅行と呼べるのんきなものとは違った。一つ部屋に泊っても静かな夜を過ごしたし、先を急ぐため野宿で明かしたりもした。だが今回は"新婚旅行"である。操はその意味を理解して喜んでいるのだろうか。口ぶりからは到底期待できぬが。
 だが俺の方はそうもいかない。葵屋でも新婚の俺たちを気遣ってくれてはいるが、いつ何時の"邪魔"が入るとも限らぬし、朝が来ればいかほど名残惜しくともしまいにせねばならない。だが旅行に出れば多少のだらしなさは許される。遠慮も制限もなく慈しめる。想像し、俺はにわかに心の落ち着きをなくす。
「蒼紫さま、聞いてるの?」黙った俺を見つめる眼差しと合う。「乗り気じゃないの?」
 左様なことあるはずがない。お前こそこれまでの旅とは違うことをわかっているのかと聞き返したいくらいだが、下手に意識されて躊躇われるのも困る。
「遠慮することはない。店のことはなんとかなる」翁が付け足すと、他の者も「そうですよ。行ってきてください」と声を揃える。どうやら俺のだんまりを職務のための逡巡と捉えている様子である。随分と生真面目な性分と伺えられているらしいが、考えていたことは全く別であったから後ろめたい。
「蒼紫さま。」操がもう一度名を呼ぶ。行きたいとねだってくる姿は愛らしい。何でもしてやりたくなる。
「そうさせてもらおう」一言、告げた。

 京都・葵屋から向かうなら有馬の方が近い。徳川時代の温泉番付では西大関と格付けされた名湯だ。城崎も有名であるが近場の有馬より城崎まで赴く理由は何か。遠い地の方が人目も気にせず羽目を外せるとの考えか。しかし、ご隠居も翁も日頃より好きに振る舞っている。あれ以上に羽目の外しようもないと思われる。されば何故城崎なのか。疑問は毎年の馴染み宿へ着くとすぐ解消された。
 特別室と聞かされていたが言葉に偽りなし。本館の奥にある庭の先へ進みしばらくのところへ建てられた離れ。周囲は自然に見えるよう、しかし確かな職人の腕で剪定された木々が植えられ、今の時期は夕日のごとき鮮やかな紅葉を見せており静けさと相まって心穏やかになる。
 室内は踏込を上がれば前室があり、居間と和室、寝室が、更に広緑と月見台、庭園と続き、半露天風呂が備え付けられている。
「じいやって、毎年こんなすごい部屋へ泊まってるの。なんかずるくない?」
 操はぐるりと部屋を見て回り居間まで戻ってくると机を挟み俺の前へ座った。唇を尖らせて拗ねた表情はあどけない。
「帰ったらとっちめてやる」と物騒な言葉を続けたが、口に出せば気が治まったのか愚痴はここまでと朗らか顔になって、
「今日はもうどこにも行かず、部屋でゆっくりするでしょ?」
 くるくるとよく動く顔だ。無表情と言われる俺と対照的といえる。正反対の二人が結びついたものだとからかわれることも多い。
「ああ、そうだな」
「じゃ、私、温泉に入ってくる」部屋の風呂ではなく大浴場へ行くと告げて落ち着く間もなく出て行った。はしゃぎ浮かれているのは嬉しいからだと思えば来た甲斐がある。せっかくだから大きな温泉に入りたい気持ちもわかる。しかし、二人きりの時間なのだからもう少し傍にいたがってもいいのではないかと思わなくない。幼き頃や俺が葵屋の戻った当初など後ろをピタリとついてきたが、婚約したぐらいから操の態度は少しばかり変わった。俺が何処へもいかぬと信じるようになったと――それは喜ばしいことだろうが反面で寂しいと感じる。操の気持ちが冷めたわけではないとわかっていても、べったりとひっつかれることが日常だった分、物足りなさを感じる。されば俺の方から行動すればよいのだろうが出来ずにいる。その辺のことも今回の旅行でどうにかしたいが。
 ひとまず俺も風呂に入っておくか。
 立ち上がり脱衣所へ向かう。


 離れの泊まり客用に作られた露天だが一度に五人は入れるほど広い。柄の大きな俺でも広々と使える。大浴場へ赴かずとも共に入れると掠めたが不埒なことと頭を振る。しかし、旅の恥はかき捨てとも言う。日頃叶わぬことでも住まいを遠く離れた場所でなら可能なこともある。旅館に着いたときは豪勢な部屋を目的と考えたが、やはり羽目を外せるとの思いもあると改める。そして、己もまたそう思うことが現金に感じた。随分とのんきな身になったものと自重も漏れた。
 湯気のあがるのに己の吐息が混ざる。
 喉元から胸元を撫でれば途中で幾度も引っかかる。太刀傷は月日が流れても薄まることなく刻み込まれている。いつ、どこでつけられたものか覚えてはいないが、ほとんどは幼き頃の、未熟さゆえ鍛錬中に負ったものだ。実践でも傷つくことはあるが、痕を残すほど深手をつけられることは滅多と無い。しかし、それは俺が強かったからというよりも運が良かったというべきだろう。
 右上から左下へかけてもっとも大きく、もっとも最近つけられた傷をなぞる。
 緋村剣心との決闘により負傷した。
 俺を連れ帰るとの約束を守ってくれたと操は感謝していたが、この傷をはじめて見たときは動揺し、あと僅かに深ければ死んでいたかもしれないと「緋村〜」と大声をあげて怒り狂った。
 俺は死んでもよかったし、否、死ぬつもりだったし、左様な覚悟で剣を振るう相手を紙一重で生かす。人を殺すより、人を生かす方が難しいと言うが、あの男は俺を生かした。操という希望を示された俺は、もう一度生きてみようと思った。
 あれから、俺は迷いの中で、その光のみを信じる道を選んだ。己がしてきた罪が消えるわけでもないし、許されるわけでもないが、それでも与えられた光のみを見つめて生きてきた。
 されど、酷い身体だ。
 人の目に晒せるものではない。晒す機会もないが――ただ、操が。ひょっとして操が睦事を乗り気ではないのはこのせいかもしれぬ。俺は操に触れて気持ちよいと感じるが、傷だらけの身に触れても心地よいはずないし、不気味に感じて恐れていたとしても頷ける。見せないようにと気を配っても限界がある。何より、俺はすべてをさらけだして操を求めたいし、操からも求められたい。それが欲深い思いと知っていても欲するものは仕方がない。どうすればよいか――湯を掬い顔を洗うと硫黄を含んだ独特の匂いがする。風呂に長いすることはあまりないが、心身の深いところで固まった疲れなのかわだかまりなのかを緩められる気がし、大きな吐息がこぼれた。

 風呂から上がりのんびりしていれば仲居から夕食の支度が整ったとお呼びがかかる。部屋で食べることも可能だが、専用の食事処があり(むろんそちらも個室)、好奇心旺盛の操はそちらへ行ってみたいと言うので向かった。
 広さは六畳程度だが天井がやけに低く、かまくらを思い起こさせる。密室は関係を深めるというが、男女で来ればおそらくよい雰囲気にでもなるのだろう。ところが操は思惑を見事に裏切り「秘密基地みたいだね」と幼子のように喜んだ。操が笑顔になるのならそれでよいが、俺は拍子抜けする。それでも旅館の名物料理に舌鼓を打ち満ち足りた時間を過ごした。
 食事が進むうちに俺はふと思い立って呑めぬ酒を呑むと告げたが、
「やめておいた方が良いよ。気分悪くなったら大変だよ」操はたいそう心配する。
「そこまで呑めぬわけではない」返せば、
「え? そうなの」
「ああ、多少ならたしなめる。ただ顔に出るのでな」
 赤ら顔などみっともない。しかし、これが案外役に立つ。酔っていると油断させるには最適である。それゆえ詮索方の任には便利であった。
 詮索方に就くと大方は酒の席が絡む。幕末の密会は遊郭でなされるのが通常で、酒とおしろいの匂いが混ざった毒牙のような空気は身体にまとわりついて消えない。色欲の渦巻く一夜限りの幻の世界で、欲しい情報を得るために女を落とすこともままあった。
 隠密御庭番衆としての誇りは持っていたが、男と生まれたからには武士として名を馳せたいと――年若くあった俺には左様な野心が胸に渦巻いていた。だが反して己のしていることは武芸を使うものとは遠く及ばず、色香で女子を惑わす夜伽だ。そんなとき、己は武士ではないのだと突きつけられる気がした。俺は何をしているのか。必要な任務であると理解するもみじめな気持ちがしたのも事実だ。だがそれも次第に麻痺し、心を失わせていった。
 酒の記憶はろくなものがない。忘れてしまいたいものばかり――しかし匂いがすれば意志とは無関係に蘇ってくる。避けるために下戸だと――強くはないのも本当であるし呑めぬと言い続けてきたが。
「へぇ、知らなかった。全く呑めないって思っていたよ」
 操は俺のことで知らぬことがあるのが寂しいらしく複雑な表情で俺を見ている。
「だが、もう呑めぬようになってるだろうな。酒は呑まずにいれば呑めぬようになるものと聞く」
「ふーん。……でも、それなのに今日は呑むの?」
「一人ではお前が遠慮するだろう」
 俺が呑まねば操が存分に呑めぬと続ければ破顔した。俺が操のために何かをすると幸せそうに笑う。あまりに幸せげに笑うものだから俺は時々困惑する。俺が操にしてやれたことなど受け流されてもよいような些細なものであるのに、左様に嬉しげにされると申し訳ない気さえする。
 操は徳利を手にしてさっと立ち上がり俺の傍まで来て座る。
「私が注いであげる」ふふっと笑う。
 俺はお猪口を持ち上げる。
 小さなお猪口に遠慮がちに注がれる酒を、俺は呑んだ。
「おいしい?」
「まずいな」やはり酒など呑むものではないと正直な感想を続ければ、
「こういうときは、『お前が注いでくれたからうまい』とか言うもんだよ」
 操が左様なことを言うようになったのかと俺はいささか面食らい、しかし、そう言ってぷくっとふくれる顔は怒っているはずが僅かのすごみもなく、ただただ可愛らしくて、俺は傍にいるのを良いことにそのまま唇を重ねた。されば操は動揺し、
「もう! やっぱり弱いじゃない。酔っぱらって」と非難されたが顔は茹で蛸のように赤い。それ以上も交わす仲なのだから口づけ一つでここまで照れることもない気がしたが、いつまでも初々しいのはそれはそれでよい。
 酒の席が楽しいものと生まれて初めて感じた。
 だが、楽しいだけでは終わらない。
 抱きたい――日が沈むと満ちてくる欲情。
 かつては闇夜が訪れると己の命ごと飲み込まれるようで、そうであるのに闇の中でしか生きられぬとの諦念もあった。しかし、葵屋へ、操の傍で過ごすうちに夜のざわめきを感じることがなくなった。操の朗らかさが昼、夜を問わず光をもたらしてくれる。暖かく、心地よい。それを初めは恐れもした。俺の持つ仄暗さが光を食らいつくし、やがて操まで暗がりへ落とすのではないかと恐ろしくてならず――しかし操は強い娘であった。俺ごときがどうにかできるものではないと、時が経過するうちに思い知らされた。操から光を奪えるはずないことが寂しく思う真逆の気まで起きるほどまばゆい。俺は安堵した。操の傍にいてもよいと、操を求めることに躊躇いを感じる必要はないと信じられた。
「もう少し呑む?」黙って操を見つめていれば居心地の悪さからか聞いてくる。
「いや、」俺は持っていたお猪口を操に手渡し、代わりに操の手にしていた徳利を取り、注いでやる。操は躊躇いを見せたが、くいっと一息に呑み、にっこりと笑う。
「よい呑みっぷりだな」
「ふふ。今日は特においしい」男女となってから二人で遠出する機会は初めてだ。浮かれる気持ちもわかるし、それ故に酒が進む。ゆったりとした時間を堪能したいのだろう。しかし、
「操。」呑んだ酒の名残が、しっとりと赤い唇を湿らせている。俺はその唇を無遠慮に拭った。つい先ほど、己の唇で触れた場所を親指で少し強めに抑えると柔らかいのに弾力がある。
「……ありがとう」操は礼を述べる。ほんのりと染まる白い肌に触れたい。一刻も早く部屋に戻りたい。もっとも、左様な余裕のなさを見せるわけにもいかず、身体の疼く切なさに焦がれた。

 食事処を出れば日が落ち橙から臙脂、濃紺と移りゆく合間だった。
 少し冷たさを含んできた風が心地よい。大きく伸びをしたい気持ちになる。思えばかようにのんびりと空を眺めるなどなかった――否、遠い昔、まだ操が幼かった頃にならあったか。
 屋敷にばかり閉じこめているのは可哀相と修練のために野山に向かう道中を操も連れて行った。ところが、これが結構な事件となる。操の姿が忽然と消えたのだ。外で遊ぶことが嬉しいらしくたいそうな喜びようで帰る時間が迫ると皆の様子を察知し帰りたくないと雲隠れした。よほど帰りたくないと見えて鍛練を積んできたはずの俺たちでも見つけられぬ周到さで隠れてしまう。ようやく見つけたときはすでに日が落ちかけていた。
「御頭の血を受け継ぐだけのことはある」
 皆、幼子とばかり思っていたがそうではなかったと驚いて言った。しかし、関心ばかりしているわけにはいかぬ。見つかったからよかったものの、日が暮れきってしまえば探索は難しくなる。
「こんなことを繰り返すならば、二度と連れては来ない」声が荒ぶった。操はびくりと身体を振るわせ泣きはじめる。その様子に俺ははっとなった。感情的になったことなど久しぶりであった。操とて反省していたし、左様に強く言う必要などないはずが、俺は苛立たしくてたまらずに操を怒鳴りつけた。
 帰る道すがら、操を慰めたのは般若だったと思う。いつもならば俺の前を後ろを駆け回るがその時は俺から離れて歩いていた――だが、もうまもなく帰り着くという頃合いになって操が後ろからそっと俺の手を掴んできた。
「あおしさま、ごめんなさい。もうしないから、ごめんなさい。」
 小さな手で強く握られる。されどその手はとても大きく感じられた。俺の手よりもずっと大きく。
 操の謝罪に俺は何も返さなかった。言葉を、一つも思いつけず代わりに操の手を握り返してやれば泣いていたのが嘘のような華やかな笑みを取り戻し、俺の内にあった荒々しい感情も沈んでいく。
 薄暗い空に星が見えた。暗がりに浮かぶ光を仰ぎながら屋敷きまでのわずかの距離をゆっくりと歩いた。操の手を伝うじんわりとした心の奥深くを満たすような温もりがいつまでも残った。
 それにしても、何故、俺はあれほど怒りを感じたのか。
 今にして思えば怒りは恐怖心からのものだった。操を失うのではないかと恐ろしくてならなかった。それ故、操が見つかったときは安堵よりもどうして姿を隠したのか腹が立ったのだ。俺を恐怖に突き落としたことが許せなかった――未熟だった俺はその気持ちの正体をわからぬまま怒り狂ったが、当時から操が大事で仕方なかったのだ。失うのではないかと思えば心穏やかではいられない。滅多と出てこない感情が波立つほど。
「蒼紫さま、月が出てる!」
 傍を歩く操が告げる。言うように少しばかり気の早い月の姿も見える。
「部屋に戻ったらお月見しよう」
 月見台もあるしね、と言って微笑むと、操は俺の手をすっと握った。
 操から俺に触れてくるのは随分久し振りだ。幼き頃や、葵屋に戻った当初こそ”すきんしっぷ”と称して抱きついてきたが、恋仲となってからは全く。いざ左様な関係になると照れてしまうのか、返って距離が出来た。しかし、今はそれもなりを潜めているらしい。本館から離れまでの道を使うのは泊まり客の二人きり、俺たちの他にはおらず、歩くほどに静けさが増してくる。酒を呑んでいるせいも手伝って大胆にさせているのだろう。
 かつて、こうして日の暮れゆく頃に手を繋いで歩いた。懐かしい記憶を思えば柄にもなく顔が緩む。
 しかし同時に残念な気持ちも生まれる。離れていた時間が惜しく感じる。女に惚れて、己がなすべきことを捨て置くわけにもいかぬが――ぽかりと空いた八年の時を惜しむ。ずっと傍にいて幼女から少女、そして娘へと変わりゆく様を見ていたかった。否、しかし、左様であれば俺は操と男女にはなれなかあったかもしれぬ。愛しくて愛しくて、膨れ上がる思い故に己の手に抱くことなど出来なかったかもしれぬ。やはりあの空白は、俺と操を他人にさせる期間は、必要であったのだ。
 そのような勝手な考えが浮かぶのも酔いのせいとしてしまえば明日には忘れ去れるだろう。
 握られた手を握り返す。操は俺の腕に顔を寄せた。秋が薫る。


 時に状況はあっという間に変わってしまう。三百年の長きに渡り天下を治めてきた徳川が賊軍となり果てたように、晴天が一瞬の後に嵐になるというのはしばしば起きることではあったが。
 離れに戻れば操は宣言通り月見台へ向かった。
 中秋の名月とはいうが、日頃それほど風流な性質でもないのに珍しいことだ。人が普段と違う行動にでるのは何かしら理由がある。空を仰ぐ後ろ姿は先ほどまでなかった微妙な強張りを感じた。食事処から離れまでの道を歩く最中の俺の手をとりすり寄ってきた様子は微塵もなかった。
 俺はその原因を理解していた。昼は堂々と思いを告げるが、夜になると静まりかえる。されど、今日こそは左様なことはないかと思っていた。しかし、そう簡単ではないらしい。ならばここでどうにかする――俺一人が求める状態から抜け出すには話をせねばならぬのだろうが、それでもいつも己の欲情を選んでしまう。
 この日もまた、食事処で、否、宿に着く前から触れたくて仕方なかった。ようやく二人きりになれて何もするなという方がむごい。俺は一呼吸置いて、
「操。」傍に腰を下ろした。呼びかけても瞬時の反応はなく、ゆっくりと顔を向けられる。夕闇は完全な夜へと塗り替えられ、月光が操の横顔を照らしているが光の届かぬ左半分に陰りが出来る。それは単なる光の当たり方だけではないのだろう。だが、構わずに頬に手を伸ばし顔を寄せるが、
「今日は……」真正面の近い距離まできて告げられる。最後までは言わぬが続く言葉は容易にわかった。
 操が乗り気ではないことは常々感じてはいたが拒絶されたことはなかった。俺はそれをよいことに好き勝手していたが、ここにきて、二人きりの"新婚旅行"で拒まれるのは堪える。
「俺の身体はいらぬか」何気ない風を装い距離を戻すがぼろりと出た。この一月積もり積もった不満なのか不安なのかは口を出ると瞬く間に膨張していく。「俺のことは好きでも、俺に触れられるのは嫌か」
「そんなこと、」
――ならば何故、拒絶した。
 ほんの少し前、今日はしたくないと、そう告げたではないかと恨みがましい台詞が出そうになって飲み込む。
 操は俺をまっすぐに見つめている。夫婦となったというのに睦事を拒んでいながら、何故、左様にまっすぐ俺を見ることが出来るのかわからない。あまりにも凝視されるうちに俺の方が悪事を働いている気がし、
「かように傷だらけの身体は気味が悪いだろうな。いらぬと言われても仕方あるまい」
 続いた言葉は自虐的なものであり、とりようによってはふてくされて拗ねた子どもに聞こえるだろう。このような態度とるはずではなかったし、とりたいはずもなかったが、他にどう言えばよいかもわからなかった。冷静に理路整然と告げたところで情けないことに代わりはない。妻に褥を拒まれて傷つく姿など。
「そんな言い方は卑怯だよ」
 しかし、操は容赦なかった。俺を卑怯とまで言う。
 操が俺を卑怯などと――新婚旅行を楽しむために来たはずが、打ちのめされる羽目になろうとは。それもすべては俺の自業自得なのか。これまで操の気持ちを無視して散々好きにしてきた代償か。操にここまで言わせて、もう後戻りは出来ぬし、もう触れることも出来ぬ。目の前が真っ暗になる。ところが、
「嫌なら嫌って言えばいいじゃない。そんな風に自分の身体が傷だらけだから私が嫌がってるみたいな言い方、ずるい」責められる。しかし、その責めを操が言うのかと思う。
「……――嫌を言わぬのはお前だろう」声音は自然と低くなる。
「私は嫌なんて思ってない。蒼紫さまが嫌なんでしょ。でも、夫婦となったからには何もしないわけにはいかないもん。みんなだって早く子どもが出来ることを望んでる。じいやなんてもうすでに出来てるかもしれないから、走り回ったりするなって言ってきたじゃない。そういう期待に応えないとって蒼紫さまは思ってるんでしょ。でも本当はこんなことしたくないの知ってるもん。だから今日ぐらい無理しないでいいよ」
 琴線に触れたのか、琴線がじけ飛んだか、突然幼子のような口調になってまくしたてる。喜怒哀楽の素直な娘だが、悲しみの感情表現はそれほど上手ではなく、それ故に、辛いことを言うときは子どものようになることを知ってはいたが――と分析している状況ではない。
 言うように、みなが俺たちの子を望んでいることは事実だが、俺はそれに応えようと操を抱くわけではない。それから翁の発言は操が考えているような期待故のことではない。翁のその言葉を俺も傍で聞いていた。
 あれは祝言を挙げて丁度二週間後のこと。
 操は店の手伝いをしていたが、膳を運ぶ途中で角から現れた客と出会い頭にぶつかり尻持ちをついた。幸い客にも操にも怪我はなかったが持っていた膳はひっくり返り皿やお椀に傷が入った。操がかような粗相をすることはこれまでなかった。一般人の気配など容易く察知してよけるし、仮にぶつかったとしても受け身をとり膳も無事であるのが通常だ。それがこの時は――注意力散漫だった。
 恐縮ししょげかえる操を見て翁はそれ以上に怒ることはなかったが代わりに、
「身の軽い操が避けられぬとは、ひょっとすると身重になっているかもしれんなぁ。そうなっていてもおかしくはないわい。あまり無理はするな」と告げたのだ。
 だが、それは操にではなく俺への苦言だ。翁はからかい好きだが男女のことに口出す無粋な人物ではない。それでもつい言いたくなるほどご盛んであり、操を寝不足においやっていることへの窘めも含めて遠まわしな発言をした。それを操は子を期待されていると受けとめていたらしい。されど、話を聞かされればそうかもしれぬと思う。婚儀すれば次は子を産むのが女子の大役。すでに操の友だちは二人、三人の母となっている。自分も早くと焦りを感じても不思議はない。ならば、二十歳になるまで待たせた俺の責任かと申し訳なく思うし、それもまたじっくり話す必要があるのかもしれぬが、
「俺がいつお前を抱きたくないなど言った」
 一番の気がかりが口を出る。
 つい今しがたも食事処で口づけしたばかりではないか。抱きたくないと思っている者に口づけするほど俺は酔狂ではない。それぐらいわかりそうなもの。操はあれをいかに解釈しているのか。本気で酔っての所業と思っていたのか。
「言わないけど、わかるもん! 最初の夜、私を見て蒼紫さま見たことない怖い顔したもん! それからしばらく動けなくなった。女らしくないし、幼児体型だったから躊躇ったんでしょ。でも祝言を挙げたし、初夜に何もしないわけいかないから――」「バカを言うな」
 操の言葉に重ねる形で声が漏れた。怒りとも苛立ちとも憤りとも悲しみとも異なる、味わったことのない感覚に囚われて、
「あのとき俺が躊躇ったのは左様な理由ではない。着物を脱いだ姿は十分女子の身体だった。十分すぎるほどだった。俺はそれを見せられてたまらなくなったが、同時に怖じ気づいたのだ。触れてしまえば我慢も出来ず乱暴してしまうのではないかと――初めての夜なのだから優しく大事にしてやりたいと思っていたが、そうする自信が持てず恐ろしくなった」
 己の口とは思えぬほどつらつらと言葉が出てくる。冷静になれば恥ずかしい台詞を抵抗なく述べる。しかし、操は「嘘だ」と信用してくれぬ。
「嘘なのではない。嘘をつく必要がどこにある。第一、お前の身体に興味を持てぬならば、毎夜睦事を交わしたりはせぬ。子を作るためなら一夜抱いて月の物が降りるかどうか待つ。出来ているかいないかわからぬうちに何度もせぬ。そうだろう」
「そ、れは、そうかもしれないけど――でも、いつも怖い顔して私のこと見るし……」
 怖い顔――俺はそんなに恐ろしい顔で操を見ているのか。否、見ていることは事実だが、
「お前が少しでも俺を求めてくれないかと周到に様子を伺ううちに詮無くなるのだ。俺だけがお前を欲しがっているのかと思えば、虚しいし、されば苛立ちも感じる。それ故、自然と顔が強張っていたのかもしれんが、お前の考えるような理由からでは断じてない」
「でも、」
「でも、も何もない。そんな風に俺を疑うが、お前こそ本当は嫌なのではないか。求めれば素直に抱かれるが一度もお前から欲しがったことはないではないか」
「……そんなこと出来るはずないじゃない。嫌がってる相手に自分からなんて」
「しかし抱いているときも頑なになるではないか。心を閉ざしたままで、僅かも求めない。いくら俺が嫌々抱いていると誤解していたとしても、抱かれることが嫌ではないならもう少し素直な反応があるのではないか。それがないなど」
「それは……だって……」
 答えを待つが勢いづいていたのが嘘のように歯切れ悪くなる。
 無理はない。操は照れ屋でかような話題を苦手とする。なれば、これ以上、追いつめるのは可哀相な気になってくる。何より、すべては誤解であったとわかれば違うように事を迎えられるのではないかと現金さが顔を出す。言葉で言い合うなど遠回りなことをする時間が惜しい。
「理由はもうよい。それより、お前が俺を嫌がっていないと言うのが本当ならば仕切り直したい」
 この一月、思い患ったがその何もかもを取り戻したい。
 俺は操を求めているし、操も俺を。そして結ばれたいのだ。
 操は仕切り直しという言葉に頷きはしたが不安げな表情をしている。その顔を見ていたらいよいよ気持ちを抑えきれず、
「抱かせてくれ」身も蓋もないが切実な願いだった。


 細い腰をかき抱くように膝に上げる。操は小さく声を漏らしたが抵抗はしなかった。膝をついて俺を跨ぎ向き合う格好だ。浴衣の裾がはだけて右の太股が見えている。俺はその上に左手で触れた。細い。握れてしまうのではないかと思うほど細い。ゆっくり前後へ撫でながら操の顔を見つめる。背の低い操はいつも俺を見上げるが、今は見下ろされている。月明かりは逆光となり操の表情を隠す。
「こんなところで――……」嫌だ。抱かせてくれとの懇願に否は言わないが、場所は考えて欲しいとのささやかな抵抗。だが俺は足を撫でる動作をやめない。
「誰も見ていない」俺と操以外誰も来ない。
 ここは離れの特別室だ。
「でも、」操は寝室へ行きたいと言うが、
「操。もう僅かも待てない」俺は操の腰を抱く右手の位置を肩にまで移動させぐっと力を込めて顔を近づけさせた。
 唇を奪うというが、文字通りこれは俺の物であると無遠慮に口づける。喉が鳴る。乾ききった獣が獲物を狙い喉に噛みつき滴る血で己の乾きを満たすような。
「操。」合間に告げるのは愛しい名と、「お前が欲しい」長らくの思いを、こうして抱き合っているとき言葉にしたことはなかった。日頃より言葉を得意としないし、その身に夢中となれば余計に言葉数は少なくなる。されどよくなりたいと思い、よくしたいと思い、理性も何も感じさせぬ執心ぶりをわかってくれると考えていた。どれほど俺が操を可愛がりたいと願い、昼の間を忍び耐えているか。百聞は一見にしかずという。俺は操を求める姿を恥ずかしげもなくさらけ出し見せていた。それ故、俺の切望を理解してくれていると思った。だが、そうではなかった。初夜の俺の躊躇いを――欲情のまま操を貪り尽くし抱き殺してしまうのではないかとの恐怖を、操が誤解し、それからずっと誤解し続けていたと知らされて、俺の毎夜の姿を見せつけるだけでは足りなかったと突きつけられた。言葉でも、身体だけでは足らず言わねばならぬと改める。
 幾度目か、繰り返すと
「蒼紫さま――……好き。」応える声が響いた。抱き合うとき操から甘い言葉を聞けた試しはなかった。それからぬるりとした感触が口内に触れる。つたない仕草であったが操の舌先が上顎の内へ伸びてくる。
 ドクッと音がし、俺の動きが止まる。
 柔らかでぬるりとした感触が己の口を蠢く。初めてのことである。これまでの三十年の生涯で睦事を交わす機会はあれど、口づけを交わすことはほとんどなかった。それは女郎が身体を開いても己が真実惚れた旦那以外に口づけを許さぬように、俺もまた口づけをすることはほぼなかった。ごくまれにやむを得ず合わせても、口の中をまさぐるだけでまさぐられることは許さなかった。それはすなわち、己の内に己ではない者を受け入れることへの拒絶だ。だが初めて受け入れたい――求められたいと思ったのだ。そして、現実となった。操の柔らかな舌が俺の舌を、上顎を、舐めていく。震える快感は、見知らぬ不慣れなものだった。
 ずっと長らく、俺は支配する側であった。徳川を守るための隠密御庭番衆として、力なき時代意に沿わぬ任務に就くことはあっても、心まで飼われたことはなかった。武田観柳に雇われたときも、雇い主ではあれ御庭番衆を愚弄すれば容赦しなかった。だが今は、操にならば。
 動かない俺に操も口づけを止める。ゆっくりと顔が離れる。
「蒼紫さま――……」不安げな瞳が映る。その顔には見覚えがある。初夜に見せた頼りない表情。
 離れた距離を埋めるように口づけを。一度目は掠めるだけの、それからもう一度唇を食べるように噛みついて離す。触れるか触れないかの際どい位置を保ち、
「俺はお前のものだな」
 操は自分のものであると思い続けてきたが、それでは足りずにいた。何が足りなかったのか。どうして足りなかったのか。理由もわからないまま渇望した焦燥がなみなみと満たされ隙間が埋まる。
「俺はお前のものだ」繰り返す傍から胸が鳴る。頭のてっぺんから足の爪の先まで何もかも、そのすべてを差し出す。それがかほど甘美な物とは知らなかった。快感が満ちて痺れが駆け抜ける。「操。」
 口づけを催促する。甘やかな声で呼びかければ再開される。だが、感じた躊躇いを払拭しきれないのか操の舌は大人しく自分の口の中にとどまっている。それをひっぱりだすよう舌の裏側を舐めて愛撫すればじわじわと伸びてくる。
 ようやく本当に繋がった気がした。そして、求め合うことの意味を。自分が誰かを受け入れ、自分もまた相手から受け入れてもらう。何の隠し立ても偽りもなく結びつく。
 言葉はもう必要なかった。
 こぼれるのは吐息のみで、少しずつ熱を増していけば、操の腕が首へと絡みつき俺の髪を何度も撫でる。それはじれったそうにも感じられた。結ばれはしても、溶け合うまでには至らず身体という境界線に遮られる。ならばせめて触れていたいと――その思いは俺も同じであり、気付けば自然と腰が揺れていた。猛りは浴衣に遮られているが我慢ならず求め動く。それは次第に大きくなり、俺の膝を跨ぐ操にも伝う。欲しがり揺さぶられる感覚に唇から小さな喘ぎが漏れ、やがて操も腰を振り始める。互いの熱がすり合うが布切れが邪魔だった。まるで堅い鎧のごとき二人の間に立ちはだかる。ならば動きをとめて浴衣を脱ぎ捨ててしまえば早いが、こすれる感覚がそれはそれで途方もない快楽を与えた。
 欲しい。早く挿れたい――そう思うのにやめられない。互いに求め欲しながら、ただ欲しい、欲しいと浴衣一枚の薄っぺらな隔たりをどうにかすることもせず腰を振り熱い吐息を交わし続ける。
「はぁ、おしさま」声が鼻からぬける。話すのもままならぬほど感じるところを見せられれば一時であれ動きを止めるたくなくなる。
「すき――……」操は慣れない動きを続けながらも口づけを求めてくる。「あおしさ、すき」繰り返される甘いささやきのたびに俺は操の身体を抱き寄せる。密着し、されば右足の上を踊っていた操の身体がしかりと俺の上に降りてくる。そこで揺れる感覚は俺をさらなる快楽へ昇らせる。もう俺の限界は近いが、
「すき……すき、だいすき」
 愛の告白と呼ぶより切羽詰まった哀願のように聞こえる。俺よりもずっと操の身体は火照っている。酒に酔っているというのもあるのかもしれぬが、初めて欲情を解放し止め方もわからぬのだろう。半端な快楽では気持ち悪く我慢もきかぬ様子でこのまま最後まで達しようと動きは早さを増す。その姿は凶悪だった。凶悪なほど愛しい。惚れた女が自分の上で身を揺らし貪欲に快楽を欲しがる様がこれほど可愛らしいとは思わなかった。ならば、これが本当に繋がりを持ち、その最奥の温もりを直に味わいながらであればどれほどのものか想像もつかない。されど、想像する必要はない。今すぐ実行してしまえばよい。
「操。……わかった。わかったから、それ以上煽るな。少し待て」告げるが、
「やぁ、わかってない。すきなの。もう待てない」だが操は俺が思っているより限界のようでまるで動きを止める気配はなく、行為は終わりへ向かっていた。
 愛らしい顔が快楽という苦痛に歪み、首筋に絡みつく腕にも力が入る。たまらなかった。可愛くて。かような姿を見せてくれるとは思わず、俺もそれに合わせて達しようと動きたかったが、しかし行動には移せなかった。操の媚態は、その可愛さは俺の快楽の上をいった。ただ操が気持ちよくなれるよう腰を強く抱き寄せて敏感な部分にぐっと俺を押しつけてやる。すりよる感触に俺の吐息もこぼれるがやがてそこが小刻みに震えた。


 大きく吐き出される息が聞こえる。
 最後の瞬間はぎゅっとしがみつくように抱きつかれ顔を見られなかったのは残念だ。だが、機会は一度きりではないか――などと思いつつ操の身を抱きしめ直す。しばらくそうして落ち着くのを待ってみたが、いつまで経っても操は抱きついて離れない。俺の方はまだ熱が残ったままであるのに、すかりと一人満足したのだろうか。俺がいるのに自分で慰めしまいにするなど、それはあまりにも酷い話である。
「操。」呼びかけるが、くずるように顔を左右に振る。見えないがひっついた額が動くのでわかる。快楽に身を委ねて媚態を見せつけておきながら、今度は小さな子どもの仕草だ。
「どうした。何が嫌なのだ」しかし出るのは猫なで声だ。そうしようと出したのではなく自然と。思考と心が噛み合っていないのがわかる。頭はいつものように冷静であったが、心の方が。じんわり押し寄せるこそばゆさ。それを言葉に変換させると俺は俺でなくなるようで恐ろしい。ただ、言葉にしたい気持ちもないわけではない。矛盾する。
「操。」呼び、耳に噛みつく。真ん中辺りの骨を甘噛みし、滑らすように耳たぶにたどりつけば口に含んで舐める。操は小さな声を漏らす。離すとようやく顔をあげてくれたが、充血し、不満そうだった。何も知らずにいれば機嫌を悪くしていると解釈するだろうが、長い時間ともに過ごしている。操は羞恥が極限に達するとそういう顔をする。
 俺は操の唇を奪うが、嫌だと両腕を引き肩先を押される。
「なんだ」抵抗に、抵抗を返すが。
「恥ずかしい」
「何も恥ずかしがることはない」
「だって、」
 言葉は続かない。静かに目を伏せる。その動きがまた色っぽい。
「ならば、恥ずかしいと思わぬぐらい慣らしてやる」
 譲歩のつもりが、操はぱっと顔をあげる。
「もう!」怒る。
「何を怒る必要がある。怒るなら俺の方だろう」よくまぁ耐えている方だと思う。常日頃よりの鍛錬の賜物か。無体に犯しても仕方ないほどの焦燥を感じているというのに、俺はじっと耐えているのだ。浴衣の下でずっと。「俺をおいてけぼりにして、酷いとは思わんか」
 言って、俺は下肢の方へと操の身を引き寄せる。熱を持ったままのそれが操に触れると頬が朱に染まる。薄暗い夜の僅かな月明かりでもわかった。
「意地悪……」頼りないつぶやきは答えになっていないが、
「そうか。俺は意地悪か」吐息がこぼれるような笑みが漏れた。俺を責める言葉までもが可愛らしい。早く食べてしまいたい。
 俺は抱き寄せる力を抜き操の腰を持ち膝立ちにさせた。
 立て続けに二度は辛いだろうと――否、それもあるがもっと自分本位の考えからだ。達したばかりで切実な熱のとれた操との温度差を埋めてから、今一度この上なく求められた中で抱きたかった。
 浴衣の帯に手をかけ緩め前をはだけさせる。操は「あっ」と小さく声を漏らすが抗う前に脱がせた。肩からはらりと落ちるが、帯は緩めただけであるから腰の位置でとまる。真白な胸は酒のせいか羞恥のせいかほんのりとした桜色に色づいている。
 上を脱がされ下も裾がはだけ右の太腿は完全に露出しかろうじて身にまとっているといえる半裸で、月見台――それもまた半分は外の場所である。日常ではけしてありえぬ状態に操は困惑している様子だが、俺の方は夢見心地でよい気分だった。
「あおしさ――」
 呼びかけのあと、続く言葉を聞く前に俺は柔らかそうな胸に顔を埋めた。甘い香りと柔らかな弾力。俺と操は体格差が随分とあるが、跨がせ膝立ちさせると丁度よい塩梅に胸元がくる。貪ってくれといわんばかりの目の前にそれがあれば遠慮する道理ない。
 埋めていた顔を離し、右の乳房を舐めた。それも舌先で触れるだけの淡いものではなく舌の腹で押さえつける。柔らかいものと柔らかいものが当たると接触面がすんぷの隙間もなく吸い付くように密着する。
「んっ……」操の声が漏れる。
 一旦顔を離し、次は左を指先で触れた。舌で舐めあげたのとは対照的な、筆の先で薄い文字を書くような触れているのかいないのかの微妙さで撫で上げる。普段であればくすぐったいと払いのけたくなるのだろうが、快楽の火がついた体には曖昧な愛撫は返って刺激を与える。おさまりかけていた操の悦びを再び煽るには丁度良い。指先が触れる度、小さく悶える。平坦にならぬよう変則的に速度と触れ方に気を払えば反応は強まっていく。素直な様子に俺は気を良くする。
「……やぁ、…あおしさ…」
「いやか」ならばやめるかと続ければ
「ちがっ……」
「いやなのだろう」そう言いつつも動きを止めることはしなかった。弄ぶようにふっと触れては反応を愉しむ。意地悪と責められたばかりであったが、俺は言うように意地が悪いのかもしれぬなと認めた。
 操が悶える姿を楽しいと感じるなど俺はどうかしているのだろう。
 加虐心というものがある。弱い者を追い詰め嬲る心――左様なものとは無縁であったのに。否、任務であれば情報を得るためにしたことはある。女の昇らせ快楽を寸で止める。されば我慢ならず欲しがり身をくねらせ始める。情報を吐けばしてやるとそのような寝技はあるが、職務としてなしただけで俺の趣味ではない。堪え切れずねだってくる姿を見てもさめざめとした気になるばかりだった。だから、己の欲望をたまりかね幾度かその道の女と関わりをもったときなどは一度も焦らすような真似はしなかった。商売女の中には喘げば男が喜ぶと勘違いしている者もいて、艶のある声で欲しがるが、しかしそういう女に当たると五月蠅いとしか感じず興ざめする。大人しく足を開いて時折吐息の漏れる程度の慎ましやかな女が好みなのだとばかり思っていた。
 しかしながら、操はその通りの、俺の好みの態度であったのに物足りずにむなしさまで感じた。俺は操に求められたかった。甘い声を上げさせ、よがらせて、求められたいと願った。昔、喘げば男が喜ぶなど勘違いするなとうんざりしたことを間違いであったと謝罪したいとまで考える。やはり俺も女の啼く姿を喜ぶ単純な男であった。ただし、女ならば誰でもいいわけではなかっただけの話だ。
「やぁ……やだ、やぁ、そんな風に、しないで……」
 相変わらずくすぐるような愛撫に息も絶え絶えの抵抗が返ってくる。だがそれでは足りない。もっと啼かせて、もっと喘がして、羞恥も意地も脱ぎ捨てて無防備に無心に俺を感じて欲しがるまで、今宵は許す気はない。
 ああ、俺は本当にどうかしているのだろう。
 優しくしたい、大事にしたいと思っていた娘を、今は苛めたくてしかたない。言葉でも、そして身体でも。気持ちよくするだけではもう我慢できない。辛くさせて甘やかな声を出させてその後にさんざん可愛がる。
 俺はどうかしてしまっている。
「ならば、どんな風にしてほしい」
 操の愛らしい唇が紡ぐ可愛らしい声で聴きたい。されば俺は体だけではなく心までも操に溺れきる。味わったことのない悦びが欲しい。
「操。どうしてほしい」俺は執拗に催促する。言えと、懇願にも似た思いが立ち込める。
 しかし――。
「……――で、」吐息の粗さで聞こえない。
「操。」促すように名を呼ぶが顔を左右に振る。まだ、理性が邪魔をするのかと。意外に強情である。否、意外ではないのだろう。強情でなかったら葵屋に置き去りにしたときから八年の歳月を俺たちを探して一人旅をするなどできるはずがない。筋金入りの強情さである。ならば仕方あるまい。もっと気をやってしまえるよう舌先で頂きを舐めた。より敏感な部分へ指先とは違う愛撫は効果的であった。操は大きく後ろへ身をそらす。俺は支えている右手の力を強める。
 過敏な反応は操だけではなく、俺の方もである。柔らかな感触と甘い味が舌に広がると離しがたくなる。
 胸から鎖骨、そして喉元までを一息に舐めあげた。
 甘い。どこもかしこも――だがまだ一番甘い処は味わってはいない。
 両腕で操を腰を掴むとぐいっと力を込めて膝から降ろす。月見台の板の上に座らせると、俺は庭に降りて地べたに膝をつく。操の腰を己の方へと引き寄せ、両足の開かせるとそこへ顔をうずめる。すでに滴るほどの蜜と俺の唾液が混ざり合い静まる夜の中にいやらしく響き渡る。
「あっ、あっ、あっ、あっ」それに吐息とも嬌声ともつかぬ操の声が混ざりはじめる。胸への刺激よりもこちらの方が弱い。男を受け入れる直接な場所が感じやすいのは生殖のための合理的な反応なのだろう。女子が己のもので悦ぶ姿は男を悦ばせる。ならばより深くその身をまさぐり感じさせたいと思い、奥へ奥へと熱を吐き出させる。それは子宮へと導くものだ。女子の本能に男は踊らされるのだろう。
 だが、それでもよい。操に踊らされるなら、踊り狂うのも悪くない。
「んっ、やぁ……あおしさ、」操の腰がまた少しずつ揺れ始める。
 今度はもう、一人でさせるつもりもないし、流石に俺も限界だった。準備は十分だ。顔を離し操の腰に置いたままの手に今一度力を入れると仰向けに寝かせた。それから素早く己の浴衣の裾を割り随分と長く待たせた猛りを覗かせると、操の右足を抱え上げてぐっと奥へと挿入する。たっぷりと濡れたそこはなんなく俺を受け入れた。
 瞬間、操の身体が震えたのがわかる。内側の無防備な場所への侵入には未だ慣れず、その刺激を我慢する術は持たない。いつもはそれでも恥じらいからかぎゅっと堪えるのだが、今日は素直に快楽の波にさらわれる。
「悪い子だ」その様子にするりと出た言葉は咎めであった。日に二度も、一人で先にいかれるのは不本意である。だが気持ちの方に怒りはなくどちらかといえば愛おしさが込み上げていた。俺は操の足を抱え込みなおす。操の身体は柔らかい。細い足首を掴み真っ直ぐ伸ばしたまま顔の傍まで押し上げる。されば繋がりが露わになる。それは俺を煽った。足首からふくらはぎ、膝の裏へと手の位置を変えていき、膝から横に滑らせて床に手をつけば、ピンと伸ばされていた操の足は俺の腕に絡まるようにして折り曲がる。俺はゆっくりと体重をかけて操に覆いかぶさった。更に奥へと入りこむ。
「やぁ、待って、動かないで……」懇願を
「もう待ってはやれんな」短くいなし動きをじわりと早めていく。俺の下で身動きとれない操はされるがままである。否、手の自由は効く。右手は床に手をつく俺の腕に拒まれているが左手の動きを阻むものはない。俺の浴衣の袂を引こうと伸ばしてくる。何かを掴んでいなければ己を保てぬのだろう――しかし、俺はそれも許さなかった。操の手をとると指先を絡め広げさせる。気をそらせないようそうして固定する。操は俺の意図を正確に理解しているらしく、
「いや、意地悪しないで、」またしてもその言葉を。
「意地悪などではない。可愛がるだけだ」俺は操を可愛がる。されば操はそれを感じればよい。快楽を逃そうとするなど言語道断だろう。俺の振る舞いは正当なものであると。
 押し入るだけであった動きを、今度はゆっくり引く。そしてまた前へ。この一月の間にすかりと俺の形に馴染んだ場所だが、味わう俺の方は少しも馴染まず初めてのような痺れを感じる。自然と吐息が溢れ出て、感じさせるはずが己の方が感じていると滑稽に思えたが、そんなことはどうでもよい。ゆっくりとした動きはこすれる時間も長い。腹から込みあげる快楽がたまらない気にさせる。気持ちよさに俺は目を開いていることも出来ずに閉ざした。このまましばらくこうして溺れていたい。しかし、俺の思惑は邪魔される。まだこれからというのに操が俺を締め付けてくる。そうでなくても狭い中を力で拒まれれば動きは鈍る。
「力を抜け」心地の良い快楽を奪われて俺の声音は険しくなるが、閉ざしていた目を開ければうっすらと涙を浮かべる操の顔が飛び込んでくる。とうに限界を迎えているが肢体の自由を奪われて自分でよい場所へ迎えることも許されず、呼吸をするのがやっとの様子に俺は生唾を飲んだ。
 俺を咥えこんで締め付けて熱い吐息と涙を零す姿のなんと扇情的なことか。
「操。力を抜け」今度のそれは己が快楽を味わいたいがためではない。操に解放を。いかせてやりたい。俺もまた共にいきたいと。そのためにも告げたが、しかし操の方はもうこれ以上の刺激を受けつけられる余裕はないらしく、締め付ける力を自分で緩めることは出来ないようであった。
「操。」俺は口づけた。それは謝罪の意味もある。追いつめて苛めてよくしてやりたいと思っていたが、今はやりすぎたかとの後悔が。しかしこのままやめることもできぬから、更に操を苦しめることになるとわかりながら、俺は無理に身体を動かした。強く締め付ける力を凌駕するには動きを速めるより他になく、それは刺激を促す行為である。
「ああ、……あっ、やぁ、やぁあ、…」
 嬌声というより苦痛の混ざる声で啼く。だがまだわずかに甘やかさが含まれていることが救いであろう。俺の動きに合わせるように腰が浮く。しかしすぐにまた落ちると固い床の打つ音がする。濡れた艶めかしい水音と、コツコツと板の音が耳に届けば、俺はこの時始めて、操の言うとりに寝室に連れて行けば良かったと思ったが。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あ、あ、あ、あ」激しく腰を振り始めてしばらく、快楽を拒んでいたはずの操の身体に変化が生じる。理性という最後の一線が切れたように、か細く抗っていた声が再び大きくなる。
「んっゃぁ、やぁ、やぁ、あ、あっ、」
「操――」そして俺の方も。
 その夜、俺は初めての操は三度目の果てを迎える。


 戦い方にも多数ある。隠密御庭番衆をはじめ忍びとは雇い主の命を守ることが最大の使命――されど守りを任務とするからといえ、じっと動かず敵方の出方を見つめているわけではない。こちらから罠を仕掛けることもある。先手必勝。攻撃は最大の防御というが俺の得意技もまた、最初の一歩の踏み込みを肝心とする。受け身でいるより己が攻める方が性に合う。そして、それは命の攻防戦においてだけではない。
 月見台から寝室へ操を抱きかかえて移動した。一度達しただけでは俺の治まりはきかず、十分の剛健を保ったままであり身を離す余裕もなく、ただ床の上で打ち付けるのは操の負担で、それを思えば集中しきれぬと快楽に目眩を覚えながらもどうにか場所を移動させた。
 敷かれた寝具の上に崩れ落ち、そのまま今度こそ組み敷いてしまいたかったが、しがみつく操の身体がそれを阻む。繋がったまま俺の膝に乗る格好は操自身の体重がかかり奥へと俺を導かせる。
 組み敷くよりもこちらの方が女子の敏感な処を刺激する――御庭番衆の伝わる寝技でも証明されている。伽技は女子を己の身体の上で踊らせるのものが多い。ただ俺はたとえ効果的であれ女子に上へ乗られるのは好きではなかったし、己の手で快楽を与え欲しがらすのではなく、女子自らが快楽を得ようと身を揺すり、それを止めて嬲る真似は好きではなかったが、
「あっ、あっ……」甘い声を出し締め付けながらも腰を振り求める操の姿は格別の思いがする。やはり操も女子であり、欲情する。俺を欲しがり身をくねらしいやらしく啼く。その姿は愛しく可愛らしい。この世の春そのものである。
「操――よいか。」悦びはそのような問いかけを口にさせる。
 言葉を羞恥を増幅させる。されば伴い快楽も膨れ上がる。もっと乱れる姿が見たい。
 操は呼びかけには答えない。答えられぬのか、答えたくないのか。だが俺はそれを許さず操の腰を掴む。動きを止められ操は唇を噛む。俺はそれに口づけた。吸いついて無理にこじ開けて中を縦横無尽に舐めまわすと感覚は下肢に直接訪れるのか腰の振り激しくなり動きを止める俺の腕にも力が入る。
「いやぁ……蒼紫さま」唇を離せば飛んでくるのはねだる声だ。
「欲しいか。」もう一度尋ねれば操は言葉にすることはなかったが頷く。「お前は可愛いな」
 濡れそぼった唇を人差し指で拭ってやろうと右手を離せば、途端に操は動きを再開させる。やんでいた刺激が俺にも伝い思わず吐息が零れる。
 閨での振る舞いは生々しいものである。夢を見ていては興ざめする。俺はそのことをよく知っていたがはずが、ずっと夢見心地から醒めない。操のよがり狂う姿は俺を現実から遠のかせる。ずっとこうして感じさせていたいとまで思わせる。
 女子を抱くとはこのようなものであったか。否、これは俺の知る睦事とは別物である。
 そして浮き彫りになるのは狡さだ。
 操が俺を求めてはくれぬと、一月の間に不満をため込み続けたが、本音の部分では操が求めてくる姿を見たくないとの気持ちを隠し持っていたことを。求められたいが求める姿を見たくなかった。
 俺は恐ろしかったのだ。
 今ならばわかる。初夜に感じた恐怖――操を壊してしまうのではないかと思い恐ろしくて動けなかった。それに嘘はなかったが、操を壊してしまうのではないかとの思いは肉体のことばかりではなく操へこれまで抱いていた印象までも変わってしまうのではないかとの意味もあったのだ。
 昔の記憶が、人を好きになるより先に男女の色欲を知った過去が、恐怖を煽った。何も知らず騙されて俺に足を開き、身体をくねらせ、ねだり、大事な情報をたやすく吐き出す女たち。ただ快楽を貪るだけの夜伽は終わればむなしさに苛まれる。操に対してもそのような気持ちになるのではないかと、されば操への気持ちまでも消えるのではないかと、躊躇ったのだ。
 操はそれを敏感に感じ、俺を求めなかったのかもしれない。すべては俺自身のせいだったのではないか。
 しかし、現実に、操が俺の体を求め溺れる姿を見せつけられても、俺の内には心配していた感情は少しも芽吹かなかった。何を恐怖に感じていたのか。不安とは頭で考える間が最も強くあるとはよく言ったものだ。現実に起これば不安は少しも不安ではなく、ただただこみ上げるのは悦びである。
 本当に、操はもう俺のものだ。身も心も――それは歓喜以外を産まない。
「操。」だがやはり俺は己の手で昇らせるのが好ましい。揺らめく操の体を無理に組み敷き覆い被さると、ぐっと体重をかけた。小柄な身体には負担になろうとも求めれば、
「やぁ……」悲鳴のような嬌声が漏れる。
 押さえつけたまま己の身体を前後へ揺すり浅い処から深い処までたっぷりと愛撫を与えていくと声はどんどん溢れてくる。それを時より口づけで塞ぎながら、高みへと昇りつめていく。何の隠し立てもなく、何一つ惜しみなく。
「あっ、あっ、あっ、あっ、やぁ、……んんっ、やぁ…」
 俺の動きと操の動きが重なっていく。気持ちよくてたまらず、気がふれそうな甘い痺れに満たされていく。それでもまだ足りぬと。欲しい。何もかもが欲しい。指を絡ませ、唇を合わせ、最も繊細な場所を揺らし、心も身体もそのすべてを余すところなく求め合う――。


「何もそんなに離れずともよかろう。傍にこんか」
 縁にへばりつくのは故意であると声をかける。
 あれから何度か繰り返しこの手に抱いたが、俺の猛りはなかなか治まらなかった。されど操が身が痛いと子どものようになってしまったので、続けるのはどうもなと後ろめたくなった。それで少しばかり休むかと代わりに風呂に入れることにしたのだが、はじめは大人しくあったのに湯に浸かっている内に頭が働き出したのか急激に恥ずかしさを思い出したらしい。本当は上がってしまいたいのかもしれぬが、立つと全裸を見られると(それも今更なのだが)代わりにすすすっと遠く移動してしまう。せっかくこうして二人で入っているにやるかたなしと呼び戻すも無視される。代わりに俺が近寄ることにしたが、ぱしゃりぱしゃりと湯をかけてくる。
「やめんか」手を取り近づくが
「ちょっと! こないでよ」
「随分な言い草だな」しかし今度は俺が無視をして後ろに回り込んだ。
「もう。こないでって言ってるのに」
「何をそんなに嫌がる必要がある」
「必要あるよ。子どもじゃないんだよ。一緒に入るなんておかしい」
 脱衣所で言うならまだしもすかりと湯に浸かった後で言い出すなど思わない。
「別におかしいことはない。大人になれば入ってはならぬ決まりはない」
 はっきりとした否定を告げる。操は俺への信頼からか整然と言い切ればそうなのかもしれないと納得してしまうところがあり、案の定、
「そうだけど……蒼紫さまは恥ずかしくないの?」怒りは引っ込めた。だがまだ羞恥はあるようで心細げに聞いてくる。
「恥ずかしがる方が余計恥ずかしいだろう。濁り湯であるし、浸かってしまえば見えぬ」
「でも……変なことしない?」
「お前の言う変なこととはなんだ」
「何って……」操は黙り顔を赤らめる。あれだけのことをしていながら本当にこの手のことには慣れない。それが可愛くあり苛めたくなる。
「蒼紫さま、ここにきてからすっごく意地悪ばっかり言うから嫌い」操はぷくっと膨れる。
「お前はここにきてからそればかりだな」
「だってそうでしょ」
「そんなことはない」
 操の腰に腕を回して引き寄せながら後ろへ身体を引いて足を伸ばす。操は声を上げたが強い抵抗はみせなかった。湯船が波打ちみなもが幾重にも生まれる。
「ほら、お前も足をのばせ」
 話題を変えようと二の腕やをさすってやりながら告げる。
「酒でも持ってくるか」
「……いい」
「そうか」
 月の光が湯船に降り注ぎ照り返しで操の真白な肩を浮き彫りにする。夜になると冷え込んでくる。風邪を引いてしまわぬように湯をかけてやる。
 されば不思議な気持ちがしてくる。
 遙か昔に、こうして操と風呂に入った。
 幼い操の世話を任されていたが風呂だけは女衆に入れられていた。しかし、何の事情だったか女衆が出払っていて手を貸す者がおらず――左様なときに限って庭遊びをしているうちに雨降りに遭い操は泥だらけになった。洗ってやらねばならない。俺は操をつれて風呂に入った。
 どうして俺だったのか。確かに俺は先代から操を頼まれていたが、実質の面倒を見ていたのは般若である。しかし俺は自分の手で入れた。それから幾度かそういう機会が巡ってきたときもすべて俺が入れてやった。
 幼子といえ他の男の目に触れさせたくなかったのだろうか。俺はその頃から操を意識していたのか。――否、俺が意識したわけではない。その頃には俺は任務で色町の女を抱くことがあった。十分に成熟した女子の身体を知れば、幼い操の姿など男と女の区別もないようなもの。それを意識するなどありはしない。ただ、最初に風呂に入れたことを先代が知り、
「そうか。大事な娘のすべてを見たのならば責任をとって嫁にもろてもらわねばならんな」と笑った。
 冗談。からかい。さして気にとめることもなかったはずが妙に先代の言葉を忘れられなかった。
 すでに俺は次期御頭候補として頭角を露わにしており、先代の愛孫の操を嫁にもらう話は自然の成り行きな気がした――もっと正直に言うならば、俺はそれが嫌ではなかったのだ。操を嫁にすることを望んだ。そして、将来添い遂げる操を誰にも触れさせぬと、操を風呂に入れるのは俺の役割とした。先代のからかいの言葉を真剣に現実的なこととして考えて悪くないと思うほど夢を見た。現実主義の御庭番衆にはあるまじき夢を。
 そんなことを考えた過去も遠いものとなり果てたが、今になって本当になるなど人生とはわからぬものだ。
「おでこが出てる」しばらく黙っていた操だが、落ち着きを取り戻したのか俺を振り返り顔に手を伸ばしてくる。操に湯をかけられて濡れた前髪が張り付くので後ろへ流していたのだがそれが珍しいらしい。
「こっちの方が顔がよく見えていいよ」
 俺は頬に置かれた操の手をとり口元へと移動させた。
「そうか。ならば”夜”はこうしていようか。その方がお前の乱れる姿もよく見えるしな」
「……もう! どうしてそんなことばっかり言うの! 助平、変態」
 静かな夜に操の怒りの声が飛ぶが、やはり怒りに満ちた真っ赤な顔も愛らしい。
 もうどうしたって、何をしても何を言っても、俺には操のすべてがいとおしくて仕方ない。これまで押さえてきた分も、今宵は遠慮なく存分に可愛がる。されば朝になる頃にはこの機嫌が良くなっているか、更に悪くなっているか。ひょっとすると一日ご機嫌をとる羽目になるかもしれぬがそれはそれで楽しいものだ。
 しかしながら、
「変態は言い過ぎではないか。お前の可愛い姿を見たいと思うのを左様に言われることはないだろう」助平は受け入れられても変態はないと撤回を求めるが、
「そういうこと言うのが変態なんだよ。信じられない」もう知らないとぷいっと背を向けられる。これが外ならばどこかへ行ってしまうのかもしれぬが、俺のよく見えるとの発言を受けて"見られる"ことを恐れてか湯からは出ない。これを不幸中の幸いと呼ぶのだろうか――俺は笑った。その気配を察知してか操は振り返る。それを好機と俺はそのまま抱き寄せて口づける。唇を離せばまた咎めを受けるだろうとじっくりと重ねた。それでもまだ足りぬかと、
「愛している。操。」顔を離した瞬間に告げた。
 昇りはじめから見ていた月は高い位置までその姿を移していたが、秋の夜長はまだこれからが本当を迎える。