2012年読切
以心伝心
操の気持ちは果たして真の恋慕であるのか。今も正直わからない。まだ年若い身だ。そうでなくとも、操はどこか世間知らずなところがある。盲目的に俺を慕っているが、出会いもまだ数多あるだろう。ふと我に返って、己の抱いていたものが恋ではなかったと思うことがあるかもしれない。否、そうなる確率の方が高いと考える。何せ、操が俺を慕い始めたのは年端もいかぬ幼子の頃からなのだ。そんなものが恋慕であるがずがない。だが――そうなったとき、果たして俺はどうするだろうか。
許嫁となってからも、蒼紫は時よりそのようなことを考える。
操が好きだと言ってくることに長らく応えずにいた一因も、いずれは目が覚めて自分への気持ちなど跡形もなく消えてしまうのではないかと思っていたことにある。
だが操は蒼紫が葵屋に戻ってからも、その一途さを僅かも揺るがすことはなかった。
それ故に、蒼紫も覚悟したのだが。
しかし、今も時々疑う気持ちが顔を出す。本当によかったのかと。
起きるには随分と早い時間。静かに襖が開く。だがそれを敏感に察知し蒼紫は目を覚ました。とはいっても、体を起こすことなく目も瞑ったままである。その気配が見知ったものであったから。
それにしても珍しい。
このような時間に一体どうしたのか。
何かあったのかと心配しながら、少し様子を見てみると、操はするりと蒼紫の布団の中にその身を滑り込ませてきた。かつて、まだ操が幼かった頃、よくこうして蒼紫の床に潜り込んできたものだが流石に近頃はなかったのに。
蒼紫は目を開けて上向きの態勢から体を横に倒した。操と向き合う形になる。
目が合うが、その瞳は不安げであった。
かける言葉が思いつかず、代わりに手の甲で頬を撫であげてみる。
「悲しい夢を、見たの」
それもまた、幼き頃を彷彿とさせる。怖い夢を見たと言っては蒼紫に泣きついてくるのがお決まりだった。
――変わらないな。
良くも悪くも。同時に、蒼紫の胸に時折顔を出す"不安"がやってくる。
やはり操はまだ子どもである、と。
何も変わらぬ子どもである、と。
婚儀を決めるのは早すぎたのだ、と。
蒼紫は苦しくなったが、それを気付かせぬように、もう一度頬を撫でる。すると、操は先を続けた。
「みんながね、嘘だって言うの。私が蒼紫さまを好きだって言ったら、私の"好き"は雛鳥が親鳥を追い求めるようなもので、それは"好き"とは違うって。じいやも、お増さんも、お近さんも、黒も、白も、学校の先生も、友だちも、みーんなで私に言うの。そんなことないって言っても、誰も信じてくれないの。いつか目が覚めるよ。そしたら"恋"じゃなかったってわかるよって。世間知らずな子どもだったって気付くよって。私にはよくわからなかった。世間を知らないと恋はできないの? 子どもだったら恋はできないの? そんなことないよ! って言ったけど、誰も笑って聞いてくれなかった。私は悲しくなって泣いたの。どうして私の気持ちを嘘だって言うの? どうして信じてもらえないの? 悲しくて悲しくて泣いたの。そしたら目が覚めたの。ああ、夢かって思ったんだけど、でもね悲しさはなくならなかったの。だから蒼紫さまに会いにきたの」
言いながらも、思い出して悲しくなったのか操の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。蒼紫は何といってやればいいか困惑した。その疑問はつい先程も蒼紫自身が持ったものだったからである。
この時になって初めて、疑われる身の辛さを知る。
自分への気持ちが真実ではないのならば、過ちを犯す前にとそればかり考えて囚われていたが、真実であったとしたら――? その可能性が抜け落ちていた。
傷つけたくなかった。否、それは体の良い言い訳で、本音は自分が傷つきたくなかったのであろう。と、蒼紫は思い至る。"違う"と言われる日がくることを怯え、その前に回避しようと。手に入れて、その後で失うことになるなど堪えがたく、それ故に執拗になっていただけであったと。
気持ちを疑われて、よい気分がする者などいない。
何故、己はそんなことも気付かずにいたのだろうかと。
蒼紫は操の目元に指を沿わせる。
操は真っ直ぐに蒼紫の目を見つめた。
――もう二度と、愚かな疑念は抱くまい。
その澄んだ目に無言のまま誓えば、深く強い光をもって、
「蒼紫さま――あいしてる。」
Copyright(c) asana All rights reserved.