2012年読切

面影

 緋村剣心の師匠であり育ての親である比古清十郎は陶芸家としての腕も確かだ。茶の湯をたしなむ蒼紫は正体を知らぬうちからその作品を幾度か手にしたことがあった。
 よく馴染むが、馴染み過ぎず、滲みでる重みが自信家の比古清十郎らしい剛毅さをたたえている。それでいてどこか繊細さもあるのだから味わい深い。
 志々雄一派の襲来から守ってくれた縁もあり、葵屋でも比古の品を買い付けるようになっている。料理皿としてはいささか個性が強すぎるきらいがあり、板場に立つ黒尉・白尉は難儀している様子だったが、「こういう素晴らしい品に負けない料理を作ってこそ葵屋も繁盛するのよ」と発破をかけたのは近江女だ。男気溢れる姿に惚れこんでいるようで、折りに触れては差し入れしに足を運んでいるらしい。
 陶器が焼き上がると取りに赴くのは蒼紫だった。
 他の者を使わず若旦那自ら向かう。それが葵屋の恩人への蒼紫なりの礼儀だった。とはいえ顔を合わせても親しく談笑するということはない。蒼紫は無口の性質だし、比古も愛想のよい男ではない。作業時に重なれば「そこにあるから持って帰れ」とそげなく告げられる。暇をしていると一応家に上げて茶を振る舞ってくれるが――茶と憚っているが酒だ。比古にとって水みたいなものでも蒼紫は下戸である。
「なんだ。酒も呑めねぇのか。ガキだな」
 口悪く笑われる。
 緋村剣心でさえ子ども扱いする男だ。更に年若な蒼紫など言うに及ばず。しかし、齢十五で隠密御庭番衆御頭を務め上げた蒼紫をお子様扱いする者などいなかった。それを三十になってからされるとは奇妙に思う。
「ちょっと、失礼なこと言わないでよ!」
 蒼紫の代わりに怒るのは一緒に着いてきている操だ。そして、どこをどうしたらそのようなことになるのか――比古と呑み比べを始める。翁に鍛えられている操は相当に強い。小柄な身のどこにそれほどの量が入るのかと不思議なほど酒豪の比古にも並ぶほど呑む。
 酔うと日頃の陽気さに拍車がかかり愉快になる操を
「おお、なかなかいい呑みっぷりじゃねぇか」
 意外にも比古は喜び気に入った。愛想はないが、蒼紫のように静寂を好む性質というわけでもないらしく、酒を旨く呑むのが良い人生だと独自の人生観と操の楽しげな姿が一致した結果だった。
 そうでなくとも人懐っこい操が馬の合う人間に見せる屈託なさを厭う者はあまりいない。案外面倒見のよい比古もそのようで、以降旨い酒が手に入ったときなどひょっこり葵屋を訪れる。人間嫌いの比古清十郎が――と緋村剣心が聞けばおののきそうだが、操の天真爛漫さは現世に嫌気のさした人間にほど染みわたる。蒼紫自身よく知っており、理解できないものではなかったが。
 しかし――ここのところ操の比古に対する態度が妙なのである。
 楽しげにするのは変わらないが、時々ふっと真顔になりじっと比古の顔を見つめる。その眼差しがなんとも形容しがたい。
「ありゃ、一体なんなんだ?」
 その日、操は他用で出ており蒼紫が一人、出来あがった品を引き取りに訪れていた。作業中の比古であったが珍しく手を止めて近寄って来た。言っている内容が何に対してなのか蒼紫は理解する。
 あのような視線を向けられれば気になるのは無理ない。だが本人に聞くのは躊躇われるのだろう。それほど操の比古を見る眼差しは緊張を強いる。
「俺にもわかりかねる」
 蒼紫は答えた。だが、実のところその理由を知っている。
 いつだったか比古の家からの帰り道、ぽろりと操が口にした。

「お父さんってあんな感じなのかなぁ?」
 唐突に告げられたのは蒼紫の予想にわずかも存在しない内容だった。
 操の突飛な発想には慣れていると思っていた蒼紫だがこれには驚き言葉を失う。
 若く見えるが比古清十郎は四十を過ぎている。操の父親の年齢としては十分であったし、思えば操はそれくらいの年齢の男と関わったことがない。されば父親の面影を見てしまうこともわからないではないが。しかし、よりにもよってである。
「……操、そのことを告げるなよ」
 念のために口止めすれば、
「あったり前じゃない! 私、もう二十歳なんだよ。それなのに父親を恋しがってるみたいに思われたら絶対馬鹿されるもん。言うわけないじゃん」
 いや、そういう意味ではないが――蒼紫は内心思うが当人告げる気がないと言っているのだからよいかと黙った。

「まさか俺に惚れたんじゃないだろうな」
 蒼紫の知らぬという言葉を受けて比古は続けた。
「よしてくれよ。俺はガキに興味はねぇ。まぁ、俺の魅力にかかりゃ仕方ねぇかもしれないがな。……しかし泣かれるのはかなわねぇからお前、しっかり手綱を握っておけよ」
 操の気が蒼紫から自分へ移ったのではないかと言われれば、蒼紫としても面白いものではなかったが、真実を告げればおそらく怒り狂うだろう。知らぬが仏であると耐え忍び、焼き物を手にして蒼紫は無言の内に去った。