その年の春は遅かった。
桜が三分咲きになったところで季節が停滞する、いわゆる寒の戻りからふたたびの暖かさが巡ってこず、寒さが日増しに強まっていった。四季の移ろいが乱れると心も乱れ、何か良くないことが起きる前兆ではないかと巻町操は心配した。
「案ぜずともじきに来る」
四乃森蒼紫の部屋を訪れ、春がまだ来ないと話せば茶をすすりながら一言返された。昔から人は自然の恵み、或いは驚異の中で生かされてきた。どうしようもないものに気持ちを重ね合せても仕方ないとの慰めである。操は頷くよりなかった。
そして三日後。蒼紫の言った通り春が訪れた。昨夜まで三分咲きから動かなかった桜の花が一夜のうちに唐突に満開に綻んだのである。気まぐれとしかいいようのない現象に、操は笑った。
その昼下がりのこと。
一通の文が届いた。
東京の、緋村剣心からのものである。
剣心の妻・神谷薫と操との間では度々文のやりとりが交わされていたが、剣心から蒼紫には滅多と――否、初めてのことだった。剣心は器用な男だが文字だけは苦手としており悪筆で滅多と書かない。政府の要請で長期に家を空けるときなど、心配する薫が文を書くようにと願ってもなかなか書いてよこさず喧嘩になることもあるほどだ。その話を薫から聞いていた操は、それ故に剣心から文が届いたことに潜まっていた不安がふたたび膨れた。
蒼紫が文を読む間、傍に座り息を飲み待つ。本当は後ろから覗き込んでしまいたかったが、逸る気持ちを抑えて堪えていた。そんな操の胸中を知ってか知らずか蒼紫は優雅に、否、悠長に文を読み、読み終えると静かに折り目の通り文を折った。
やはり何か良くないことが起きているのだろうか。蒼紫の力を貸りたいとの申し出だろうか。そうであるとしたら、かなりの大事になるだろう。ここしばらく平和であったが、平和のうちにその転覆を図る計画が企てられるものである。
操はジリリとしたが。
「子が、出来たそうだ」
不意打ちだった。
「嘘。」
疑う必要もないし、疑わねばならぬこともないし、素直に喜ぶべきだが、薄暗いことばかり想像していたせいで喜びが先に出なかった。操はのちにそのことを悔しがった。
*
東京は神谷道場に懐かしい顔が揃ったのは文月に入った頃のこと。
女医の高荷恵は会津から薫の出産に立ち合うために訪れていた。
そして、京都からは蒼紫と操が。医者でもなければ産婆でもない、出産には到底縁遠い二人が来ても役に立つことはないが、剣心からの文を受けてから操が行くと聞かなかった。操の頑固さは重々承知、反対しても独りで強行してしまうだろうと、それならばお目付け役に蒼紫も同行することになったのである。
されども案外これが役に立った。
薫が身籠ってから剣心の人が変わった。というよりも本来の優しい気質と心配症が絡まり合って拍車がかかったというべきか。とかく、何かあっては一大事と薫を外へ出したがらなかった。薫も当初は自分を思ってくればこそと受け入れてはいたが、腹が出てくるに伴って、過干渉に苛立ちを感じるようになった。
人間、何もせず一日部屋に閉じこもっていれば気が滅入る。そうでなくとも薫は神谷活心流師範代として日々鍛錬に励んでいた娘である。おまけに身重の体というのは情緒も不安定になりやすい。薫の顔つきはいかめしいものへとなっていった。
先に駆け付けた恵が、妊婦は病人ではないし適度な運動も必要であると諭してどうにかかごの鳥から脱出できたが、出かけるとなると必ずついてくる。薫はそれにも腹が立つらしく、ギスギスとした。
そこへ操たちの到着である。操のお目付け役で来たはずの蒼紫が剣心のお目付け役を、恵と操は薫を連れ出し気晴らしをさせた。さすれば薫も落ち着きを取り戻し、よく笑うようになった。
*
「けども、なんだかんだいっても、仲いいよね。薫さんと緋村」
浅草の浅草寺の近くにある茶店で操と薫、恵、それから赤べこの休みで燕も一緒に甘味を食べていた。
薫は白玉団子を頬張りながら前に座る操を見つめた。
「めちゃくちゃ大事にされてるじゃん」
操がさらに続けると、
「……そうね。それは感謝するけれど、限度ってものがあるでしょう?」
「たしかに、今回の剣さんの態度は度を越しているわね。あんなにオタオタした姿を見ることになるなんて思わなかったわ」
数多の死闘を潜り抜けてきた伝説の男が愛妻の懐妊に右往左往である。だがそれも平穏の証明、悪いことではないと恵は付け足した。
「そういう恵さんだって左之助と仲良くしてるんでしょ」
「あのバカのことなんて知らないわよ。向こうが一方的に文をよこしてくるだけよ。それもどこを怪我した、どこを打ったとか、手当のしようもないのに、ただ心配させるだけなんて性質が悪いわ」
「それは十分恋文だと思うけど」
けしてマメに思えぬ男が、わざわざ文を書いてよこす。内容よりも書いているという事実に意味があるのだと告げる薫に恵は反論しなかった。恵とて憎からず思ってはいるのだろう。
「燕ちゃんは弥彦と“らぶらぶ”だし、なによぉ、みんなして幸せそうで、いいなぁ」
操は薫、恵、燕を順々に見ながら心底羨ましげにつぶやいた。その言葉に、にこにこと話を聞いていた燕の頬がほんのりと赤く染まる。薫はすでに夫婦となったし、恵と左之助は離れ離れであることを考えれば燕が一番“恋人の関係”を堪能しているのかもしれない。
「いいな、いいな、いいな」
「操さんだって四乃森さんがいるじゃないですか」
ふてくされ始めた操へ燕が我に返り言った。
「そうよ。いつも一緒だし。操ちゃんこそ”らぶらぶ”じゃない」
薫も援護する。しかし、操は少しも納得していない様子であんみつの入った器を持ち上げる。そして、白玉や寒天はほとんど食べつくし黒蜜しか残っていないそれをグビグビと飲み始めた。
「え、ちょっと、操ちゃん」
驚いた薫が止めに入るが、操は最後まで飲みきるとドンっと音を出して器を置いた。
「甘くないのよ」
「……甘いでしょ。どう考えても」
すかさず恵が突っ込むが、
「違うの。あたしと蒼紫さまのことよ。全然、ちっとも、これっぽっちも、甘くないし、恋人って感じじゃないし、というか、蒼紫さまってあたしのこと好きじゃないのよ。絶対、好きじゃないわ」
言い終えると、うげぇと泣きそうな顔で今度は湯呑を持ち上げ飲んだ。
その間、誰も何も言わなかった。
蒼紫が操を大事に思っているのは間違いなさそうだが、操が言うように二人の間に甘い恋人のような雰囲気は見えない。
「あーあ、惚れ薬があればな。そしたら蒼紫さま、あたしを好きになってくれるのに」
操はため息を吐き出した。
惚れ薬とはこれまた突飛な話である。薫と燕は顔を見合わせた。
「でも、惚れ薬で好かれても、むなしくない?」
薫が言うと、燕も困ったような顔をしながら頷いた。
「むなしい……」操は薫の言葉を繰り返してみせた。
薫の言うことは操にもわかる。薬を使って好かれても、それは本当に自分を好いてくれているわけではない。好き合うとはもっと尊いものである。効力として好きを得るなど悲しいことだとは正論ではあったが、
「それは薫さんが好きな人に好かれたから、そう思えるんだよ。あたしは、違うもの。だからいい。むなしくてもなんでも、蒼紫さまがあたしを好いてくれるなら、それでいい」
冗談っぽく返すつもりが口から出ると思いがけず強くなってしまい、操は視線を下げた。
近くからは賑やかで楽しげな声が聞こえるが、四人の周囲だけは静まり返る。
「よっぽど煮詰まっているのね」
それを拭い去ったのは恵だ。
「いいわ。じゃあ、私が惚れ薬作ってあげる。ただし、どういう結末になっても受け入れること」
そう続けた。
*
茶店を出ると、私は診療所へ戻るから夕方に行くとき惚れ薬を持って行ってあげるわ、という恵と、赤べこへ戻る燕と別れ薫と操の二人で戻った。
川沿いを歩けばさらさらと流れていく風が二人を包んだ。
シロツメクサの可愛らしい白、瑞々しい緑が強い日差しに負けず姿勢を正して咲いている。
薫は足を止めしゃがもうとしたが、まもなく臨月を迎えるお腹では大業なことであり尻餅をつきそうになって操が慌てて支えた。ごめん、ありがとう、と陽気に言うとシロツメクサを一輪つんで、よいしょっと、立ち上がる。
「こけそうになったことは剣心には秘密ね」
「……おそろしくて言えないよ」
薫は声を立てて笑った。それから手にしたシロツメクサの花弁にそっと触れる。しばしそうしていたが、ふと思いついたような何気なさで
「さっきの話だけど、本当に惚れ薬を使うの?」と告げた。静かな声だった。
薫が反対しているのは知っている。
操は答えに窮した。
そもそも、惚れ薬があればいい、とは言ったが、ないという前提の言葉遊びであったのに、それが実際に手に入るなど思ってもみなかったことである。まだ現実だとは思えずにいた。
「私ね、忘れ薬があればいいと思ったことあったの。そしてね、それを剣心に飲ませたかった」
シロツメグサを撫でる指を止めて薫は続けた。
忘れてほしい人がいた。その人のことを忘れ去ってほしいと思ったと打ち明ける姿に、操は息を飲んだ。
「……でもね、そんなものなくてよかったと今は思ってる」
言うと、手にしていたそれをふっと川の方へ投げた。瞬く間に流れに沿って遠のき、やがて見えなくなった。
子を身ごもり幸せそうな薫だが、ここへたどり着くまでけして平坦な道のりではなかった。薫だけではなく、恵も、燕も、誰かを好きになれば楽しいばかりではない。みな、多かれ少なかれ辛い思いをしている。
「後悔しないようにね」
薫は短く告げ、それきりその話題には触れてこなかった。
*
道場へ帰り着くと剣心が玄関で薫を待ち構えていて、それに付き添う形で蒼紫までも出てきていた。
帰りを出迎えられる、それも妻が夫を三つ折りついて迎えるというのではなく、夫が妻の帰宅を玄関まで迎えに出る。初めに見たとき操は(恵も)驚きを通り越して狼狽えたが、すっかり慣れたものである。
「疲れたでござろう、少し横になるとよい」
言うや否や部屋へ連れて行こうとする。
薫が大事で仕方ないと惜しみなく態度で示す。
「もう、大袈裟なんだから」
薫が窘め、それを見て滅多なことは言わぬ蒼紫も呆れたように、
「お前がこれほど過保護な性分だとはな」
やれやれと続けたが剣心は蒼紫から操へ、そしてもう一度蒼紫を見たあと、何も言わず薫の背を押した。薫は諦めたのか、はたまた本当に疲れていたのか、最後は従い部屋に戻った。
その間、操は一言も口を挟まなかった。蒼紫を援護して、ホントよ、緋村ったら少し心配しすぎだよ、と言いそうなものを何も。心ここにあらずという風にぼんやりと二人が消えた廊下の先を眺めていた。
「操。」
「え?」
気づけば蒼紫がじっと操を見つめていた。
「どうした。何かあったのか」
「な、何もないよ」
問いかけに、早口で答えると、蒼紫はすっと目を細める。
まずい――と操は本能的に焦り
「じゃあ、私は夕食の準備するね。うん、緋村は忙しそうだもんね」
おたおたと逃げ出した。
*
その夜、縁側に座る操の手には青い小瓶があった。
茶店で別れるとき告げられた通り、恵が持ってきてくれた惚れ薬である。
「残念だけど効果は一生ではないわ。一滴で一刻。一瓶飲ませればだいたい一日の効き目がある。飲ませた後、最初に見た人間に惚れるから、くれぐれも二人きりのときに飲ませること」
と渡された。
これを飲ませれば、一時期であれ蒼紫が好きになってくれる。
願い続けた夢が現実になる薬を手にしても操の表情には陰りがあった。
『薬を使って好かれてもむなしくない?』
あのときは、それでいいと突っぱねてみたものの、いざ薬が手に入るとなってからその言葉にとらわれていた。
庭先を見れば朝顔の花がしぼんで頭を垂れていた。それがしょぼくれて見え、まるであたしみたい、と小さな笑いが漏れた。
操はもう一度手の中の小瓶を見つめた。
心配事は“むなしさ”だけではない。
(こんなもの飲ませられたと蒼紫さまが知ったらどう思われるか――)
己の意思とは関係なく惚れさせられる。いい顔をするはずがなかった。
すっと目の近くへ掲げれば、瓶の中で液体が揺れた。右へ左へ傾ければその通りの動きを見せる。思うように手の中で揺らめくそれを見ていると心に忍び寄ってくる誘惑がある。
(でも――)
一滴くらい飲ませても、それほど大事に至らないのではないか。
少しだけ、ほんの一刻、好きになってもらうくらい、許されるのではないか。
「あたしだって、好きな人から好かれてみたいもん」
誰になのか言い訳するようにつぶやくと、ふらりふらりとお勝手へ足が向いた。
*
「蒼紫さま、入るよ」と声をかけて障子を開ける。
夕餉が終わり、団らんに一息つくと恵は診療所へ戻る。薫の出産のために東京へ訪れたのだが、出産までの間を診療所で手伝いをしている。急患があれば対応できるようにそちらで寝泊まりしており、いつも剣心か蒼紫が送っていく。この日のそれは蒼紫だったが、送り届けてしばらく前に戻っていた。あぐらをかいて書物に目を落としている。
葵屋での日々は店の仕事に忙しなく、部屋に戻ってのんびり出来るのは午前様近くのこと、戌の刻頃に部屋でくつろぐというのはほどんどない。こちらにきた当初は、そのせいで手持無沙汰を感じていたが、ようやく慣れて、蒼紫は何処で仕入れてきたのか古書を読み漁り、操はその傍でゴロンと横になり熱心に読み進める蒼紫の横顔を眺める、というのがだいたいの夜の過ごし方になっていた。
操は蒼紫の傍に近寄り、盆に乗せた湯呑を差し出した。
むしむしとした夏の夜でも、蒼紫が飲むのは熱めの茶である。
湯気が立ち昇るそれを蒼紫は躊躇いなく手に取ると、すぐには飲まず、しばらく手のひらを伝う熱を楽しむ。それからようやく口元へ運ぶ。
操はその間、固唾を飲んで見ていたが
「あ、」
寸でのところで声を漏らした。
蒼紫は動きを止め視線だけで操を見た。
「どうした」
「あの……やっぱり煎れなおしてくる」
じくじくとした痛みを携えながら、操は言った。それは良心の告げる後ろめたさである。
やはり、こんなこと、しちゃいけない、と慟哭が顔を出した。
「何故だ」
「何故って、あの……ちょっと熱すぎるかなって。今日はすごく暑いし」
蒼紫は湯呑を膝の上まで降ろすと今度は顔ごと操のほうを向いて真正面から射抜くように捕えた。
「……じき冷めるだろう。これで良い」
「良くないよ! だから」
操はお盆を手に取ると、置いて、というようにずいっと蒼紫の前に差し出す。
「これで良いと言っている」
ところが、蒼紫は拒否した。
「良くないって言ってるじゃん」
操はますます語調を強めて告げるが、蒼紫は静かなまま、
「俺が良いと言っているだろう。それとも、これを飲まれては何かまずいのか。毒でも盛ったか」
「ど、毒なんて盛るわけないじゃん」
否定しながらも、竜頭蛇尾のように声は小さくなっていく。
「そうか。俺はてっきり惚れ薬でも盛ったのかと思ったが」
「――え?」
さらりと告げられたが、操は思考停止に陥り、目の前が真っ白になった。
まるで何もかも知っているように――否、蒼紫は知っているのだ。そうでなければ”惚れ薬”など具体的なことを言うはずがない。
「知ってたんだ」
空虚にポロリと漏れると、言葉になって出たそれが自分の耳に届き、じわじわと身体を巡り心臓へ突き刺さった。
「お前の様子がおかしいので、何かあると思っていたが、先ほど事情を聞かされた」
すると、それを肯定するように続けられた。恵を送る途中で、全部聞いたと。
何故、話してしまうのか、と恵に対する混乱と、知っているならどうして飲もうとしたのか、と蒼紫の態度への不可解さが操にのしかかった。
蒼紫は湯呑を膝から胸元へ持ち上げて、惚れ薬入りのお茶を揺らしている。
その顔はいつもと変わらぬ無表情のようでいて僅かに寂しげにも見えゴクリと操の喉が鳴る。すると、それが合図のように、ふらりふらりと欲望に負けて突き動かされていた場所から完全に正気へと戻された。感じていた苛立ちは操自身へ向かい、馬鹿なことをした、馬鹿なことをした、馬鹿なことをした、とぐるぐると自分を蔑む言葉が押し寄せてくる。
「こんなことして、呆れてる?」
聞かずともわかっていたが、それでも間が持たず口が滑る。
操の瞳が左右へ小刻みに揺れ動く。
蒼紫はそんな操を黙って見つめた。
――どうしよう。
混乱がじわじわと押し寄せてきて呼吸が荒々しくなってくると、ようやく蒼紫が口を開いた。
「呆れてはいないが」と、操の言葉を否定すると「他の男はどうかしらんが、お前に盛られても俺にはその薬の効果は出ないだろう」
蒼紫は表情を緩ませ、ほんのりとした笑みまで浮かべていた。それを見て、操は呆れられたり嫌われたり蔑まれたりしていないのだと安堵するよりも、混乱を強めた。
*
「あんまりよ。そんなにハッキリ言わなくてもよくない?」
薫、恵、操の三人は茶店にいた。本日は柴又帝釈天まで足を延ばしている。
「そりゃさ、姑息な手段を使おうとしたあたしも悪いけど、惚れ薬を盛っても効果はないなんて! あたしは薬の力を使ってさえも好きになってもらえないの? “しょっく”すぎてもう立ち直れない」
泣いて目が腫れた顔を蒼紫には見せられないと昨夜は涙を必死にこらえたが、一晩中眠れず目の下には隈が出来ている。道場を出て女三人になると堪えていた泣き言があふれ出た。
薫は聞かされた話をにわかには信じられなかった。少なからず、操はこれまで蒼紫に気持ちを伝えており、そのどれもを拒否したり否定したりしなかったはずである。それが、左様にそげないことを言ってのけるものなのか。操の聞き間違いではないのかと疑ったが。
「聞き間違いじゃないもん。蒼紫さま、そう言ったもん」
幼子がぐずるように泣き始める。すると
「お馬鹿さんね」
それまで黙っていた恵が言った。
「ちょっと、恵さん、そんな言い方」
薫の仲裁もむなしく、その一言に、操の泣き顔はふくれっ面に変わり、
「って、そもそも恵さんが蒼紫さまにバラしてたんじゃん!」
恨みがましく攻め立てた。
恵はまったく悪びれる様子もなく枝毛を探すように長い髪を弄びながら、
「あったりまえじゃないの。最初からそのつもりだったんだから。そもそも惚れ薬なんて真っ赤な嘘であれは単なる砂糖水だもの」
「ええ!? 何それ。あたしのことからかったの?」
目を白黒させる操の横で、流石にそれはやりすぎではないのかと薫も告げた。
恵は息を吐くと、
「別にからかうつもりはないわよ。操ちゃんがあまりに思いつめてたから、協力してあげようとしたんでしょ」
「これのどこが協力よ!」
操の鼻息は荒い。
一方で、操よりも恵のことを知っている薫は、もう少し話を聞いてみましょう、と今度は操を宥め、ひとまずあんみつでも食べて落ち着いて、と促した。操は勢いに任せぱくぱくと白玉を二つ頬張る。恵は自分の皿から操の皿へ白玉を移した。
「こういうのは当事者を揺さぶるのが一番効果的でしょ。だから、操ちゃんが思い悩んでいて、惚れ薬を渡したけど、中身はただの砂糖水だから、あとはどうにかしてあげてって、御頭さんに言ったの」
「で、四乃森さんはなんて?」
「何も。黙って帰っていったわ。どうするのかしら? って楽しみにしていたんだけど、御頭さんも役者ね。……それなのに操ちゃんったら自分で飲ませるの止めちゃって、台無しじゃない。お馬鹿さん」
「……どうしてあたしがお馬鹿さんなの!?」
操は恵からもらった白玉を突きながら、ふてくされた顔で文句をつけたあと、パクリと頬張り、もぐもぐ咀嚼し飲み込んで、
「止めて良かったよ。止めなかったらそれこそ大馬鹿者でしょ」
「まだわからないの? あなたが黙ってたら、御頭さん、飲んだでしょうに。そしたらどうなってたか」
ふぅと恵は先程よりも大きなため息をついて操から薫へ視線を投げた。
薫のほうは操より幾分敏いようで、なるほど、と頷いたあと、操を見ながら
「昨日の段階では、操ちゃんは本物の惚れ薬って思ってたんだよね?」
「あたしはね、思ってたよ。それで飲ませようかどうしようかめちゃくちゃ悩んだんだから!」
どんどん、っと机を叩くと、やめなさい、と恵が注意する。操はじっとりとした目で睨んだ。
「話をちゃんと聞きなさい。」
厳しめな口調で叱りつけられると、操は怯んだ。それでも素直に言うことを聞くのは悔しいのか、唇をとがらせる。
薫はそんな二人に微苦笑を漏らしながら続けた。
「つまり、もし昨日操ちゃんが止めなかったら、四乃森さんは惚れ薬入りのお茶を飲んで、薬が効いたと見せかけて、操ちゃんに惚れている芝居をしていたはずなの。それで、次の日恵さんが、あれは実は惚れ薬でもなんでもなくて、単なる砂糖水よってバラすわけ。そしたら、じゃあ、昨日のは何だったの? ってなるでしょ。そういう方法を四乃森さんはとろうとしたってことよ」
薫の言葉に恵もうなずいた。しかし、それで頷けないのが操である。両の人差し指をそれぞれ左右のこめかみに宛がい、え、え、え、えっと小さなうめきを漏らす。
「意味がわかんない。どうして私が止めなかったら嘘の薬で惚れたふりをするの? だって、蒼紫さま、あたしが薬を飲ませても効果ないって言ったんだよ」
「それはあなたが飲むのを止めたから、方向転換せざるをえなかったんでしょう?」
「惚れた振りと拒絶じゃ、正反対じゃん! 方向転換んしすぎだよ」
「本当にお馬鹿さんね。御頭さんは拒絶なんてしてないわ」
「拒絶したもん! 聞き間違えなんかじゃない!」
操が大声をあげるので、店内が静まり返り周囲の注目を浴びる。
薫が、すみません、と愛想笑いを浮かべ、恵は他人になりたいとばかりにうんざりとした顔をした。操は昨日と同じくあんみつの器を持ち上げて底にたまった黒蜜を飲み、うげぇっとむせかえる。
「もう、仕方ない子ね。いい、御頭さんの言ったのは拒絶じゃないの。拒絶じゃない受け取り方を考えてみなさい」
拒絶ではない――操と一緒に薫も考える。
お前に盛られても薬の効果はない、というのが薬の効果をもってしても好きにならないという意味ではないとしたら、では何故効果がないのか、である。
「あっ」と先に声を上げたのは薫だった。
その効果がすでに出ている場合、それ以上効果の出ようがない。
「そういうことよ。まったく、御頭さんももっとわかりやすく言ってあげればいいのに」
顔を見合わせる薫と恵の傍で、当の本人だけはまだ理解していない。肝心の、蒼紫がもっともわかってほしい娘は眉間に皺を寄せるばかりである。
「薫さん、わかったなら教えて!」
すがるように袖を引き懇願してくる様子は、可愛らしい小動物を思わせて、薫は口を開きそうになったが恵が止める。
「ダメよ。自力で考えなさい。わからないなら、あなたにはまだ恋は早いってことよ」
えー、と操から不満が漏れたが、ダメダメ、絶対にダメよ、と恵が言い、さらには、ほら駄々こねないで、口直しにこれ食べてなさい、と残っていた白玉をまた操の皿に移した。操はそれはパクリと食べて、食べたから教えてよ、と執拗に迫ったが、食べたんだから教えないわ、と恵が言う。そんな二人のやりとりに薫は吹き出した。
2013/6/19