抱きしめられた、かと思うと、次に「両想いだ」と聞こえた。
え? 両想いなの? とびっくりして声が出なかったけれど、意思表示しなければ全部が夢になってしまいそうで私は慌てて頷いた。でも――昨日の、あの美人さんは何だったのだろうか。彼女ではなかったの? だからあんな風に私を怒ったのではないの? 考え始めると急に冷たい気持ちがした。蒼くんが二股をかけるような人ではないとは思うけれど、もやもやする。
とにかく状況を整理しなくちゃ。と、私は深呼吸した。
蒼くんは、なでなで、と小さな子どもにするような感じで私の髪を撫でまわしている。私の方が三歳も年上なのになぁ、と思う。というか、公共の場でそれも朝から抱き合っている(抱きしめられている)状況もあり得ない。離れなくちゃ、と思っていると彼の方が先に動き、肩をがしっと掴まれ、ぐっと身体を離された。
ああ、蒼くんも正気に戻ったのだなぁ。
真面目な人だと知っている。恥ずかしくなったのだろう。私はそう思った、のだけれど――次の瞬間、ぐわっと近づいてくる顔が見えて、それから唇に柔らかい感触。
こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、これは。
「ぎゃぁー。」という叫びはふさがれた唇からうまく音が抜けださず、ぶほっと吐き出す形になって、その反動で彼の前歯が私の上唇に当たりひっかき傷のようなひりひりした痛みが走った。
私は、右手で自分の唇に触れた。しっとりとして、かすかに湿っている。
「なっ、信じられない。何するの!?」
「恋人になったのだからキスぐらいするだろう」
「ええええええ〜」
心の声が駄々漏れる。
いやだって、たしかに、両想いであるらしいことがついさっき判明したけれど、それはまだ好きあっているということで、付き合うというところまではいっていないような(あの美人さんのこともあるし)。百歩譲って付き合うことになったとして、恋人になって五分も、というか三分も、いや下手をすれば一分経過していないというのに、キスする? 早すぎない?
私はパニックになりながら、そう説明した。
すると、彼はとても落ち着いた(ように見える)顔をして、
「正式に付き合いだしたのはついさっきでも、ずっと傍にいて関わりを持っていた時間は十数年に及ぶのだし、早すぎると言うことはない。むしろ、やっと出来たといっても過言ではない」
とか言い出した。
何言ってるのかさっぱり理解できなくて、彼がおかしくなってしまったのかと恐怖さえ感じ、ひとまず時間が欲しいと、それに学校へ行かなければならないことを(すでに遅刻決定)告げたのだが。
「今日はもう休む」と言う。
「何言ってんの!? 蒼くん受験生じゃない。今が一番大事な時期なのに!」
そう返しても、ごねて(あれは完全にごねていたと思われる)なかなか行こうとはしなかったけれど、なんとか駅まで連れて行き電車に乗せ(その時、もっかいキスされた。ほんの一瞬だったし、ラッシュは終わっていたとはいえ、絶対人に見られた!)、私も大学へ向かい、昨日からの怒涛の出来事を友人である神谷薫に洗いざらい聞いてもらったわけだけれど。
「キャー、若いって素敵」と両手で拳を作り口の前に持ってくる、いわゆるぶりっ子ポーズで歓声をあげる。完全に面白がっている。
「私は真剣に混乱してるんだけど」
「でも好きだと自覚した途端、両想いなんてラッキーじゃん。幸せでしょ?」
「幸せ……と思うほど実感できていない。その前に、ガンガン先に状況が進んで、わけがわかんないよ」
「贅沢ね」
薫はべちんと私にでこピンしながら言った。
贅沢。そうなのか。だけど、これは何か違う気がしなくもない。
「で、学校が終わったら会うんでしょう? しっかりね」
「しっかり……って何をすれば」
「ナニをするんでしょう?」
「は?」
「その感じなら、絶対待ったなしよね」
「いやいやいやいや、いくらなんでも、それは。だって、今日付き合い始めたばっかりなんだよ!?」
私は言った、けれど薫はにたにたと笑いながら、
「報告待ってまーす」とひらひら手を振られ、私は本日何度目かの混乱に落ちた。
2014/7/28