again and again

19. going my way

「それにしても、どうして私なんですか」
 子猫を抱きながら、私は素朴な疑問を口にした。
 四乃森蒼紫は、果敢に子猫を撫でようと手を伸ばしてくるが(結構諦めが悪い)、子猫はにゃ、にゃ、と嫌がり続けている。流石に可哀想になってきて、撫でさせてあげたら? と言ってみる。さっきから、どうも人間の言葉がわかっているみたいだからどうかなと思ったら、首をぐるりとひねりつぶらな瞳で私を見上げ、にゃぁ〜あ? と鳴いた。荒々しさはなく、う〜んと考えているようにも思える。子猫は右の前足で顔を二度かいた。それからもう一度、にゃー、と鳴くと、四乃森蒼紫の方にすっと頭を低くした、ように見えた。
「あ、やっぱり言葉がわかるんだ。賢いねぇ。いいこちゃんだねぇ」
 すりすりとその頭に私は頬を寄せた。子猫はにゃっと鳴いた。その後で、
「はい、どうぞ、撫でさせてくれるみたいですよ。よかったですね」と改めて、子猫の頭を四乃森蒼紫の傍へ持っていたが。
――あれ?
 一向に撫でようとしないので、妙だなと思い顔を見上げて私は絶句した。何故ならその顔がびっくりするほど真っ赤になっていたからだ。
「……なんで、そんなに照れてるんですか」
 見てはいけないものを見てしまった気がして、こういう場合は触れずにいた方がいいと思うも、咄嗟のことについ言ってしまう。
「………………――――――照れてなどいない」
 四乃森蒼紫はからかわれたと思ったのかぶっきらぼうに言ってのけたが、誰がどう見てもゆでだこみたいな顔をして、そんな言い訳が通用するわけがない。
「別に、誰にもいいませんよ。子猫ちゃんの許可が出て照れたなんて」
 ちょっと面白いから、鎌足には言いたいけど、我慢しよう。
「子猫に照れたわけではない」
「子猫ちゃんに照れたんじゃないなら、何に照れたの?」
「照れてない」
「って言ってることがちぐはぐだよ」
 私は言ったが、四乃森蒼紫はくるりと背を向けて逃げの態勢をとる。
「え、ちょっと、撫でないんですか? せっかく子猫ちゃんが撫でていいっていってるのに無視するなんて、もう撫でさしてもらえなくなりますよ」
 その背中に向かって言えば、もう撫でられなくなると言うのが効いたのか四乃森蒼紫は振り返る。その顔から赤みは引いていて、ぶすっとしているように思えた。
 無言のまま、わしゃわしゃと子猫を撫でるものだから解放された時に毛並みがぐちゃぐちゃになっていた。
「そんなに乱暴に撫でるから嫌がるんじゃないですか?」
 子猫の毛を整えながら言えば、にゃーと鳴いた。
「ほら」
「……そうか。そんなに強く撫でているつもりはなかったが」
 四乃森蒼紫が言った。
「いや、どうみても強でしょ。毛がぐちゃぐちゃになってるし。ねぇ? もっと優しくしてって」
 言いながら撫で方実地訓練だと、もっと撫でやすいように猫の頭を四乃森蒼紫の方へ向けたのだが、ポンっとその手が置かれたのは何故か私の頭だった。
 物が言えず黙ってしまう。四乃森蒼紫も黙っている。
 しばらく我慢してみるが手が離れる雰囲気が感じられず
「なんで私の頭を……」とおそるおそる言ってみる。
 それでも返事がない。
「あの〜」
 もう一声、告げたらようやく。
「間違えた」
「へ?」
「いや、違う。練習だ」
「え?」
「これくらいか」
 四乃森蒼紫の手が、私の頭を撫ではじめる。子猫にしたような乱暴さはなくて、その手つきは丁寧で慎重で優しく思えたのだけれど、
「って、どうして私で練習するの!?」
 一歩、二歩とその手から逃れるように後ろへ下がり睨み付けるが、
「なんだ、顔が赤いぞ。照れているのか」
 それはさっきの意趣返しに違いない。
――性格悪っ!!
 四乃森蒼紫はそれで気が晴れたのか、ふふん、というように笑う。私は怒りなのか、戸惑いなのか、よくわからないけれどわなわなと体が震えそうだった。
「突然頭撫でられたら、誰だってびっくりして恥ずかしくなるでしょ。もう私は子どもじゃないんだから!」
「そんなに怒鳴らなくてもいいだろう。どれぐらいの力加減がいいのか口の利ける人間で試した方がいいかと思った」
 悪かったといいながらちっとも悪びれた風には見えなかった。
 だいたい、普通思っても実行するか? わかっていたけれど、この人やっぱり変だ。変わり者なのだ。
「まぁ、そうカリカリするな。飲み物を入れる。何がいい?」
 言いながら、スタスタとキッチンへ向かう。
 この人に怒っても無駄なんだろうな――私は気を取り直し、喉も乾いていたというのもあり、その提案に乗ることにした。
「何があるんですか?」
「……いろいろある。アイスコーヒー、アイスティー、コーラ、ファンタ、オレンジ、リンゴ、牛乳、いちごミルク」
「いちごミルク!?」
 これだけの種類を常備しているのだから飲み物にはこだわりがあるのだろうけれど、いちごミルクがあるとは思わなかった。
「そうか。いちごミルクか。そうだろうと思って買っておいてよかった」
 四乃森蒼紫は私の驚きを、指定したのだと勘違いしたらしく、しみじみと言った。
「……それ私のために買ったんですか?」
「ああ、俺は水かコーヒーしか飲まないから。招待しておいて何も飲み物がないのはどうかと思い、いろいろ買っておいた。いちごミルクを選びそうな気がしたが的中した」
 何から突っ込んでいいのか、もうわからない。
 まず、根本的に、招待されていないし。無理やり連れてこられただけだし。それなのに彼の中では私は招待してやってきた客人みたいになっているのか。
 それにいちごミルクを飲みそうというのは……どう受けとめたらいいのだろう。子ども扱いされていると考える、べきだよねぇ。
 ぐるぐると考え込んでいるうちに、四乃森蒼紫はその問題の、いちごミルクを注いだコップと自分用のアイスコーヒーをもってリビングへ戻ってきて、テーブルにコップを置き、座るように促されたので、子猫が隠れていた大きな液晶テレビの前のソファに腰かける。
「それで、どうして私に連絡してきたんですか?」
 その質問にまだ答えてもらっていないことを思い出した。四乃森蒼紫との会話は毎回先へ進まない。
「猫が好きだと言っていただろう」
「そんなこと言いましたっけ?」
「言っただろう。清里の家の台所の調味料入れが猫の形をしているのを見て。その後で猫カフェに行くとも言ってたな。行ったのか」
「あ〜そういえば、そんな話をしたかも」
 よく覚えている。以前も、私が忘れてしまったことを細かく覚えていて感心したが、この人は本当に記憶力がいいのだと改めて思った。
「でも、私、猫飼ったことないですよ?」
 にゃ、とそれまで大人しくしていた子猫が鳴く。
「ん? どうしたの?」
 かりかりと私の指を軽く引っ掻くので離してほしいのかと床にゆっくり下ろしたら、次はテーブルの脚かりかりする。
「どうしたんだろう。……この子も何か飲みたいのかな。子猫ちゃん……ってこの子、名前あるんですか?」
「いや、付けてない」
「そうなんですか? あ、里子に出すなら愛着わくからつけない方がいいですもんね」
「いや、里子には出さない。飼うつもりだ」
「飼うんですか!?」
「そんなに驚くことか」
「だって……相性あんまりよくなさそうだし」
 捨て猫だから警戒心があるのは仕方ないと思うが、私にこれだけ懐いたということはそもそもが人懐っこい子なのだろう。その子にこんなに嫌われているなんて、どう考えても相性がよくないのだ。そんな二人がうまくやっていけるのか心配だった。
「時間が経過すれば慣れるだろう。それまでしばらく様子を見にきてくれ」
 とてもすごいことを、さらりと言われた気がする。
 四乃森蒼紫はグラスを手にしてゴクゴクと飲んだ。私もつられて飲む。いちごミルクなんていつ以来だろう。懐かしく、そして甘い味が口の中いっぱいに広がる。にゃーと子猫が鳴く。ああ、そうだ。子猫ちゃんも喉が渇いて……。
「これが、家の鍵だ。急に家を出なければならないこともあるかもしれないから持っていてくれ」
 コトリとテーブルにカードキーが置かれた。
 私は将来芸人さんになって、一流のツッコミになりたいわけではないんだけれど、と思った。
「引っ掻くな。ミルクを温めてきてやる」
「にゃぁー」
 四乃森蒼紫の言葉に、背に腹は代えられないのか、子猫は今回に限り威嚇せずに返事をした。
 一方で私は怒涛のように近づいているパニックの波を感じながら、言う言葉を探していた。
 しばらくってどれくらいですか。――違う。
 様子を見るってどうすればいいんですか。――違う。
 鍵なんて預かれませんよ。――それはそうだが、言いたいことはもっと別にある。
 えっとーえっとーとぐるんぐるん高速回転しているような眩暈の中、
「ひぇぇぇぇ」と、自分でもよくわからない、こういうのを奇声というのだろうという声があがった。
 それを聞きつけて、慌てて四乃森蒼紫が戻ってきた。
「どうした。子猫に引っかかれでもしたのか」
「にゃにゃー」
 濡れ衣を着せられ、すかさず子猫が怒りの威嚇をしてから、私を心配して右の前足で、にゃ、と私の足の甲の当たりを撫でた。むにゅっとした柔らかい肉球の感触がした。
「操! どうした」
 パニックの私につられて、パニックっぽくなっている四乃森蒼紫は、勢い込んでか私を呼び捨てにした。そんなことを考え付くなど案外冷静なのかも。それともパニックがぐるりと一周して、そういう今はあまりどうでもいいことばかりを思いつくのだろうか。所謂、現実逃避。
「操」
「にゃ、にゃ」
 と一人と一匹に呼び戻されて、ごくんと唾を飲み込んだら、しゅるるるるっと何かがしぼんだ。
「なんで、私が?」
「なんの話だ?」
「にゃーにゃ」
「なんのって、どうして私がしばらく様子を見ることになってるの? 鍵なんて預けられても、やるとも返事してないし」
「……他に適任がいない。子猫の方も操を一目見て気に入ったようだし、猫カフェへ行こうとするぐらいの猫好きなら子猫を独り占めできるという話は歓迎されるものではないのか」
「にゃ、にゃ」
「そうかもだけど、でも、でも……私はまだ返事してないし、そんな一方的に決められたらなんというかこう……気持ちがついていかないというか」
「そうか……そうかもしれな。話が唐突過ぎたことは謝る。しかし、その口ぶりは世話を焼くことに否定的ではないということだな」
「え? えっ……えっと」
「来てくれるならば、送り迎えは極力するし、夕食もご馳走するし、行きたいところがあるというなら連れて行くし、勉強も見る。他にしてほしいことがあるならそれも飲むし、用事が出来てこれないときは仕方ないと諦める。それでどうだ」
「どうって、えっと、その、」
「迷っているということは嫌ではないということだ。なら、この話は決まりだ。夏休みの間、ここへきて、子猫の世話をしてくれ。……よかったな。これからしばらく、お前の面倒をみに来てくれるそうだ。しっかり感謝しろ」
「にゃーあ」
 子猫は私の足にすりすりと頭を撫で付けてきて――きっとこれは感謝の気持ちの表現――その愛らしさに私の混乱はゆるゆると和ごんでいく。そして、四乃森蒼紫はともかくとして、言われたとおり、猫カフェに行ってみようかと思うくらいに猫好きな私が、こんなに可愛くて、とっても懐いてくれる子猫と一緒にいられるのはラッキーではないのかと思い始め、何より、慣れるまでは一匹だけでお留守番させるのは心配だし……それに、じっと真っ直ぐ私の目を見てくる四乃森蒼紫の何とも言えない迫力に負けて、結局は頷いてしまった。


 シューシューと奇妙な音が聞こえる。
「ああ、沸騰させすぎた」
 四乃森蒼紫はそう言いながら、別段慌てた様子も見せずに立ち上がり、キッチンへ戻る。子猫のためにミルクを温めている途中だったのだ。かけっぱなしの鍋から、ミルクがぐつぐつと煮詰まり蒸発していく音なのだろう。
「にゃ〜あ」
 子猫は私の足にまとわりつくのをやめ、器用にソファへジャンプして昇ってくると(なかなか高さがあるのに頑張ったと思う)、膝の上に乗ってきて丸まった。
 ほどなく戻ってきた四乃森蒼紫の手にはマグカップがあった。湯気がゆらゆら上がっている。そんな器では子猫が飲めないのでは? と思っていたら、
「ほら、飲め。落ち着く」
「私?」
「温め過ぎたから、今、作り直している。これは操ちゃんが飲むといい。ホットミルクは落ち着くから」
「にゃぁ〜」
 子猫は、匂いにつられて私の膝でお座りの格好になっている。
「お前はもう少し待て。じきできる」
「にゃぁ〜」
 聞き分けよく返事をした。
 私は渡されたマグカップに口をつけた。おそろしく甘くてむせた。
「大丈夫か? 熱かったのか」
「……ものすごく甘い。どれぐらいお砂糖入れたんですか?」
「二杯」
「大匙とかじゃないですよね」
「まさか。多すぎたなら、次からは一杯にしておこう」
 次があるのか疑問だが、ふむふむと頷いているので、そうしてください、と返しておいた。
 そんなやり取りをしている間に、痺れをきらしたのか、にゃ、にゃ、と子猫がマグカップにジャンプしようとしている。
「ダメだよ。これは熱いから、子猫ちゃ……あ、そういえば名前。飼うんだったら、この子に名前つけてあげてくださいよ」
 私はマグカップをいちごミルクのグラスの隣に置いて、子猫を抱き上げた。マグカップの方へ向かおうと少し暴れるがお腹を撫でたら気持ち良かったのか大人しくなった。
「そうだな。操ちゃんが決めてくれ」
「私がつけていいんですか?」
「ああ、そういうのを考えるのは苦手だから」
 言い残して、四乃森蒼紫はキッチンへ再び戻った。
 子猫の名前を考える。嬉しいような、責任重大のような。
 抱く向きを変えて、子猫の顔とにらめっこするみたいに持ち上げれば、にゃーと鳴く。
「なんて名前がいいかな。……やっぱり猫っぽい名前がいいよね。ミケ……って三毛猫じゃないし、タマ……ってタマで白猫ならサザエさんからとったみたいだし……うーんと」
 ズキリ、とこめかみが痛んだ。次にフラッシュバックみたいに短い映像が私の網膜に映った。それは先日見た夢の一部だった。縁側で泣きじゃくる”あたし”の膝の上に、真っ白な子猫が乗ってきて、にゃーにゃーと頭を撫でてほしいと催促される。
「雪ちゃん」
 ぽろりと口から洩れた。
 そうだ。あの白い子猫に“あたし”は雪ちゃんと名付けた。珍しく雪が降った日に、寒さに震えているところを保護したから、雪ちゃん。色も白いし、ぴったりだと思った。
「んにゃー! んにゃ、んにゃ、んにゃ」
 大人しかった子猫ちゃんが、いきなり興奮し始めて、私も嫌われたのかとぎょっとした。
「え、え、え、何? どうしたの??」
「にゃにゃーにゃ」
「え? 雪ちゃん?」
 その名を口にした途端、本日、一番大きな声で、んにゃー! と叫んだ。
 そんな、まさか、という衝撃が私の身体を駆け巡った。けれど、こんなに興奮しているということはそうなのだろう。そもそも、人間が生まれ変わるならば、猫だって生まれ変わりがあってもおかしくはない。
「……雪ちゃん、なの?」
 私は、尋ねた。
 すると、子猫は鳴かずに頷いたのである。人の言葉がわかる賢い子猫ちゃんだとは思っていたが、それはまるで人間みたいで、心底驚いた。そして、それは私を納得させるに十分だった。
「雪ちゃん! すごい! 偶然!! すごい、すごい」
「にゃ、にゃ、にゃ、にゃ」
 私は雪ちゃんを膝に降ろし、前足を持って、感動を分かち合った。
 ああ、そうか、だからこの子は、私を見た瞬間に飛びついてきて(そうだとしたら、蒼紫さまの生まれ変わりである四乃森蒼紫に懐いてもいいように思うけど……ひょっとして蒼紫さまのことは覚えていないのかな)、甘えてきたんだ、と腑に落ちた。
「なんだ、どうした。何を喜んでいる」
 戻ってきた四乃森蒼紫ははしゃぐ私たちを見て、不思議そうに尋ねてきた。
「そりゃ喜びますよ、だってこの子」「にゃー」
 すると、雪ちゃんは私の言葉を遮るように鳴く。
「にゃー、にゃー、にゃー」
「あ、そっか」私はその意図を理解する。
 うっかり前世のことなど口にしない方がいい。言ったらきっとまた四乃森蒼紫は態度を急変させるに違いない。
「私と雪ちゃんの秘密です。ねぇ〜」
「にゃー」
「……なんだそれは。まぁ、いい。名前は雪にしたんだな。ほら、雪。ミルクだ飲め」
 四乃森蒼紫はそう言うとため息をついたものの、本当にそれ以上は追及してはこず、雪ちゃん用のミルクを床に置いた。



2014/9/12