again and again
18. SOS
怒涛の一週間(主に水曜日からだけど)が過ぎて日曜日。ようやく私の心も静けさを取り戻し、夏休みに入ったのだという実感がわいてきて、同時に授業がないのは嬉しいが時間を持て余してしまうという微妙な感じでだらだらとしながら、バイトでもしようかなぁと考えていたら携帯が鳴った。
音楽からメールではなく電話である。友人はたいていメールが多いので誰からだろうか――正直に言えばもっと具体的な名前が過ったが、でもそんなわけないよねと何故か否定し――スマホを見れば登録していない番号だった。
四乃森蒼紫だ。否定したはずなのにすぐにそう思い、たちまち心臓が跳ね上がった。あれから私は彼の番号を一度は登録したのだが、ほどなくして消去して、また登録するという無意味な行為を繰り返していた。それはまたかかってくるだろうから登録しておこうという気持ちと、もうかかってこないかもしれないのに登録しておくのは間抜けだという気持ちとが交互に押し寄せてきたせいだった。夕べ、再びの衝動で消去したところだったのに。
やっぱりかかってきた。そのことに安堵している自分がよくわからない。
「もしもし?」と出れば
「俺だ」
オレオレ詐欺か、と名乗ることもしない。「俺」で通じるほど何度も電話し合ってもいないのにとカチンときて、「どちら様ですか」と言い返しそうになったが鎌足から冷静になって対応するようにと注意されたことを思い出してぐっと唇を噛んだ。
「なんですか?」それでも声はつっけんどんになってしまう。いけない、と冷たさに四乃森蒼紫から抗議があるかと思ったが、
「困っている。助けてほしい」と言われる。
困っている? 助ける? ――試食会がうまく進まなかったのだろうか。他に年頃の女の子が見つからず、もう一度私に頼もうとしているのか。
「今、家の下にいるから降りてきてくれ」
「家!? ……って私の?」
「そうだ。待っているから、とにかく降りてきてくれ」
そういうとプチリと電話が切れた。
――なんて一方的なの!?
約束しているわけでもないのに勝手にやってきて、私が家にいなかったらどうする気なのだろうか、と驚くより、そういうことを考えていない……つまり私を暇と思っているのだということにむっとしたし、私の返事を待たずに言うだけ言って電話を切られたことにも腹が立つ。いくら怒らないように普通に接しようと思っても、四乃森蒼紫の態度はどうしたってイライラするものばかりだった。
「無視しようかな」
――だけど、
助けてほしい、その言葉が不思議と強く心に残った。たぶん、それは前世の蒼紫様がけしてあたしには言わなかったことだからだろう。何でも自分一人で片付けようとする人だった。あたしや周囲の人に心配かけまいとして、そして、それが可能なほど優秀で有能な人であった。その彼が、たとえ生まれ変わりとはいえ、その魂を持つ彼が、困っている、助けてほしいと言ったのだ。それに、下まで来ているというのにそのまま放置というのはどうかと思う。余程大変なことがあってパニックになった末の不躾なのであれば知らぬ顔をするのは薄情なような気もする……。
「ああ、もう!」
イライラしながら、結局私は無視しきれず家を出た。
エレベーターに乗って降下している間に、自分の格好(短パンにTシャツとサンダル)が家着すぎることに着替えてきた方がいいかも、と思った。けれど、別にデートにいくわけではないし、お洒落することもないかと思い直し、デートという言葉が浮かんだことに動悸がした。
違う。鎌足がデートの誘いだとか変なこと言うから、意識してしまっているのだ。
誰に聞かせるわけでもないのに言い訳をしている。そんな自分に戸惑い、ぶんぶんと顔を左右に振っていると扉が開いて、一歩踏み出したら人とぶつかる。まだ四階で、途中で人が乗り込んできただけだった。恥ずかしくて鼻をつまんで喉の奥で咳払いして誤魔化す。
一階へついてエレベーターを降りても、動悸は静まっておらず前髪をげしげし引っ掻いては、それを指で梳いたりしながら外へ出る。
マンションの正面入り口の前は、割合車の流れが多い公道だが、四乃森蒼紫の車は堂々と停められていた。
邪魔になってるじゃん、と思いながら傍に寄る。車道は向かって進行方向が左になっているので助手席が手前にくる。その窓を叩くとウィーンという音を出して下がる。中を覗けば、四乃森蒼紫が少しだけこちらへ身体を傾けるようにしていた。今日はスーツ姿ではなく、シャツの上に紺色のカーディガンを羽織った軽装だ。
「乗ってくれ」
「なんなんですか、一体」
「ここではゆっくり話せないし、乗ってくれ」
四乃森蒼紫は繰り返した。その通りにここではゆっくり話せないし、何よりも他の車の走行の邪魔であることは明白であったので仕方なく乗り込んだ。
シートベルトを締めている途中で、車が発進する。
「その次のところを右に曲がったら公園がありますから、その前だと少しくらい駐車してても迷惑にならないと思います」
私は言ったが、車は直進する。
「……あの、私の話聞いてます?」
「聞いている」
「なら、どうして曲がらないんですか。何処へいく気?」
「俺の家だ」
「ええ!? なんで?」
うまく言葉にならずにいれば、何をそんなに焦っている、としれっと言われる。慌てている私が可笑しいのだという風に。
「だって、あなたのことよく知らないし、そんな人の家にいくなんて、」
四乃森蒼紫がチラリと私を見る。流石に面と向かって、あなたを危険に思っていますと告げたのは(四乃森蒼紫がというよりそれほと親しくない人という意味だけれど)気を悪くさせたかと怯むが、けれどここはしっかり否定しなくては、と続けようとした。――が、その前に四乃森蒼紫が言った。
「なかなかしっかりしているな。男の家にほいほいついていくのは危険だ……しかし、別に俺はよいだろう」
何がいいのか、さっぱりわからず睨みをきかせれば、
「たしかに俺は男だが、学生に興味はないし、学生を相手にしなければならないほど困ってはいない。これでも一応老舗料亭の跡取りでな、体裁には気を付けている。馬鹿な真似をして人生を棒に振るようなことはしない。ましてや友人の血縁者においそれと手を出すなんて真似、絶対に、ない」
絶対、というところを殊更に強調したのは気のせいではない。
イヤミったらしい、イヤミったらしい、イヤミったらしい!!! だけど、そんなことわかんないじゃんと言ったら、まるで私がこの男に口説かれたいみたいに思われる可能性がある。それに気づいてぐぐっと堪えた自分を褒めたい。褒めたいが、でもやっぱりこのまま言われっぱなしは我慢できない。
「私だってあなたのようなおじさんに興味ないですから。何よ。偉そうに」
おじさんというささやかな意趣返し。傷つけ! と思った。思ったけれど、悪意を持って言葉を発すると心を重くする。言ってからチクリチクリと小さな針が私の心臓を突き刺した。
私はまっすぐ正面を見た。信号は点滅しはじめていたが、四乃森蒼紫はアクセルを踏んだ。私はぎょっとして四乃森蒼紫を見た。前に乗せてもらったとき丁寧な運転をする人だと思ったのに。
「…………そういいながら、清里のことを好きだったのではないのか」
次の信号では停止した。完全に赤になっていたから当たり前だ。
「どうしてそこで明良兄の話が出てくるの? 関係ないし」
「関係なくはない。俺と清里は同じ年だ。いや、俺は早生まれだから学年は同じだったが年齢は一つ下になる。清里が恋愛対象になるのなら当然俺も対象だろう」
「明良兄は特別だもん! あなたとは違う!」
「何も違わない」
「違う! ……私は年上だから明良兄を好きになったわけじゃないもん。というか、どうしてあなたにそんな話しなくちゃいけないの?」
いつものことだけれど、四乃森蒼紫と話しているとだんだんと会話が明後日の方向へ進んでいく。それも私がこれまで誰にも話したことのない気持ちにずげずけと踏み込んでくる無神経っぷりだ。
信号が変わり再び車が走り始め、ぷいっと窓の方を向けばファミリーレストランの看板が見えた。あまり見かけないチェーン店だ。その傍にはガソリンスタンドとコンビニ、ケーキ屋さんが並んでいるがどれもこれも見慣れない。私がいつも利用する駅や商店街、通っていた小学校や中学校は全部が南側にそろっていたので、北側のことは近所でも詳しくない。十六年も住んでいるのに知らないなんて、自分の生活圏内の狭さにちょっとショックを覚えた。
前みたいに飛び降りてしまいたいが、考えれば鞄も財布も持ってきていなかった。急いで降りてきたからスマホだけだ。ここで車を降りてしまえば私は途方に暮れる。きっと一駅か二駅ほど離れただけだから歩いてでも帰れるだろうけれど迷子は迷子だ。いい年をしてそれはかなり恥ずかしい。
立場のまずさを自覚して、私は黙った。急に大人しくなったことに何か言ってくるかと思ったが、四乃森蒼紫は話しかけてこない。相変わらずカーラジオがついていない車内は会話が途絶えると静かすぎる。
しばらく走り続けて、左へ曲がり細い路地に入る。一方通行だ。
……というか、お願い事というのは何なのだろか?
本来ならば真っ先に聞くべき内容がようやく浮かび上がってきた。逃げ出すわけにもいかないし、かといっていつまでもこの気まずさを引きずっていたくもないので、ここは思い切って話題を変えた方が得策だろう。隣から感じる圧はとてつもなくおどろおどろしく怒っているようだが頑張って言ってみることにして、
「それで、……お願い事って何?」と尋ねた。
「着いた」
四乃森蒼紫は質問には答えず、短く言った。
車が大きなマンションの敷地に入っていく。スピードが落ちて、備え付けの駐車場へ進んでいく。四乃森蒼紫の指定位置は奥にあり、バックで入っていき一度の切り返しでキチンと停まった。
扉を開けて降りていく四乃森蒼紫を追いかけるように私も降り、先を行く姿についていく。
後ろでヘッドライドが二度点滅した。
エントランスはひんやりとしていて、むわりとした熱気から解放された。
広々としたそこにはオブジェがある。砂利が敷かれ、丸椅子がぽつぽつと等間隔に並べられ、青いジェル状のものとビー玉で作られた川が流れていて涼しげだ。
「綺麗。」と呟けば、前を歩いていた四乃森蒼紫が足を止めた。
「季節ごとに変わる」
「そうなんだ。……いいですね」
言いながらぐるりと見渡した。ゴミは一つも落ちておらずピカピカに掃除されているが、高級すぎて緊張するというのではなくて、くつろげる雰囲気だ。明良兄が一人暮らしをしていたところは(大学のときから住んでいたというのもあるけど)もっと狭くて古い場所だったので、いいところに住んでるなぁと思う。ひょっとして、家族と一緒に暮らしているのかも、と尋ねてみたらあっさりと否定された。
「こんなに素敵なところに一人暮らしなんて、贅沢ですね」
エレベーターの前まできて、私は言った。
「背に腹は代えられんからな」
四乃森蒼紫の返事はいまいちよくわからない。見上げれば、向こうも私を見下ろしていた。背が高いし体格もいいし、おまけに無表情だから威圧感があるが、車内で感じた怒りはもうなかった。
「以前住んでいたところで不法侵入さたことがある」
それもまたさらりと言われたが、不法侵入なんて物騒な言葉に私の方は面食らう。
「大学の時、住んでいた家の近くにあったコンビニの店員に付きまとわれて、所謂ストーカーというやつだな。家に入られ、通報したが、警察には無理やり連れ込まれて襲われかけたと供述された。幸いにもその時は緋村と一緒であったし、家に帰るところを隣人にも目撃されていたから女の嘘がすぐに証明されたが、そうでなかったらと思うとぞっとしたな。で、セキュリティの高いここへ越してきた」
エレベーターが開く。
乗り込みながら、私はどう答えればいいのか迷いつつ、
「ものすごい修羅場ですね」と返した。
奥に大きな鏡があり、バリアフリー用の手すりが四方すべての壁に取り付けられている。乗り込むと四乃森蒼紫がボタンの前に立ち、六階を押した。
「あれから、出入りには気を付けるようになったし、住所はおろか最寄り駅も教えないようにしている」
「大変ですね……」
他にかける言葉も見つからず、当たり障りのない同情を寄せた。
四乃森蒼紫は特にそれ以上は何も言わなかった。
エレベーターが目的階へつく。先に降りたが部屋がどこかわからないので、四乃森蒼紫が降りてくるのを待って後をついていく。私の住むマンションのように一直線に部屋が並んでいるのとは違って、ぼこぼことして、ランダムに並んでいて迷路のようだった。
四乃森蒼紫が足を止めた。カードを取り出してドアノブの傍にある丸い穴のようなところにそれを差し込み回す。カチャリと開閉の音がする。
「そういえば、困ったことって何なんですか」
結局教えてもらっていない。ここまで来て今更な気もするが最後の抵抗とばかりに家に入る前に尋ねた。
「百聞は一見にしかずだ。入ればわかる」
すると、今回は一応解答が得られたが、意味は分からなかった。
ここで駄々をこねてもどうしようもないので、私はため息を吐き出しながらも入ることにした。お邪魔します、と断り玄関へ。四乃森蒼紫は私を通した後で入ってきたが、さっさと靴を脱ぐと追い抜かしていった。
「お邪魔します」
私はそれをもう一度繰り返して、靴を脱いだ。
廊下をまっすぐ、後を追いかける。さっきから後を追いかけてばかりだ。そうするしかないわけだが、なんとなく情けなくなってきた。
リビングへたどり着いたら、四乃森蒼紫は部屋の中を動き回っていた。何をしているのだろうかと見ていれば、おい、どこだ、と言い始めた。一体何に声をかけているのか、ちょっと怖いなぁと思い始めた頃、テレビの後ろを覗きこんで、ここにいたのか、と言ってからガッと手を伸ばした。その五秒後には態勢を戻し、私を振り返った。その腕には、
「猫!」とそれはそれは可愛らしい真っ白な子猫が抱かれていた。
可愛い可愛い可愛い……と興奮したのも束の間、その子猫は四乃森蒼紫の腕の中でのたうち回っている、というか、暴れまわっている、というか、明らかに嫌がっていて、鳴きまくっている。その鳴き声が「いやにゃー、いやにゃー」と聞こえるのは気のせいなんかではない。
「すごく嫌われてるじゃないですか」
そのあまりにも懐いていない様子と、四乃森蒼紫の子猫の抱き方の不慣れさから、長年飼っているわけではないらしいのはわかった。
「これが困っている原因だ」
四乃森蒼紫は暴れて腕の中らが落ちそうになっている子猫を抱きなおしては、また暴れて落ちそうになるという悪循環を繰り返す合間に言った。
「扱いに困っているのはわかりましたけど……そもそもこの子、どうしたんですか」
「捨てられていたので保護した」
そう言ったと同時に、にゃーっと一際大きな鳴き声が響いた。
私は思わず、おいで、と助け船を出す。もちろん、四乃森蒼紫にではなく子猫の方に。ただ、捨て猫なら人間を警戒しているだろうし、私のことも嫌がるかもしれないし、意味はないかも、と言った後で思った。ところが、私の言葉で子猫はこちらに意識を向けて(それまで四乃森蒼紫から逃れることに懸命で私の存在には気づいていなかったらしい)、目が合うと「にゃにゃーにゃ」とひどくびっくりしたような声……と言っていいのかわらないのだが、今までのいやにゃーいやにゃーとは全く違った鳴き声を上げた。かと思うと、私の方に前足を伸ばしてきた。にゃ、にゃ、にゃ、にゃっと鳴いては必死にこちらにこようとしているので、私も近寄って手を伸ばす。四乃森蒼紫が抱く力を緩めれば、そのままするりと私の腕の中に納まった。
それからはもう、さっきまでの暴れ様は何であったのかというほど、すりすりと私の方に頬を寄せてくる。こんなにも人懐っこい子猫にあれほど嫌われるなんて、四乃森蒼紫は何をしでかしたのかとよからぬ疑惑を向けそうになるほどの甘えぶりだった。それを見て、
「子猫の扱いに慣れているのだな」と言われる。
「……というか、四乃森さんが嫌われすぎなだけだと思いますけど」
「猫と触れ合う機会がこれまでの人生でなかったからな」
「それなのに拾ったの?」
「雨の中で段ボールに入った子猫を知らぬふりはできないだろう」
たしかに、こんな子猫が雨風に野晒しになっていれば命の危険がある。誰かが保護してやらなければ。
「優しいんですね。子猫とか興味なさそうに見えるのに」
「俺は小さくて可愛いものは好きだが」
言いながら、子猫の頭を撫でようとするが、にゃ、っと鋭い声で威嚇される。その報われなさにいけないと思いつつ、
「四乃森さんがいくら好きでも、嫌われてるみたいですけどね」つい言ってしまう。すると無表情な四乃森蒼紫にしてはとてもわかりやすくしかめっ面をしたので、それが可笑しくて私は大笑いしてしまった。
2014/8/6
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