2013年読切
正月二日 (2011年読切の「人身御供」の関連作。
「ええ!? 蒼紫さま呑んだの?」
年が明けて二日目。料亭葵屋は忙しい。本当は三が日はお休みのはずなんだけど、新年の挨拶に来てくださる方々を手ぶらで返すわけにもいかないとおもてなしする。結果、酒宴になる。大広間での無礼講。いろんな人たちが和気藹々としているのは華やかでいい。私はわいわいするのが好きだから嬉しい。だけど、そうでない人だっているわけで――蒼紫さまは静かなのが好みだから正月から多くの人が入り乱れる状態はそれほど歓迎ではないはずだ。ただ、葵屋の若旦那としてはお客さんに挨拶はしなくちゃならない。本来ならば休みのはずの時間を、最も苦手な場所で過ごすなんて可哀想だけど、我慢してもらうしかない。ならせめて(一応)看板娘であり、お祭りごとが大好きな私が代わりに盛り上げて少しでも蒼紫さまの負担を減らせるようにと頑張っていた。そしたら、お増さんが私の袖を引き小声で耳打ちしたのだ。
――蒼紫さまがお酒を呑んで具合を悪くしている。
蒼紫さまは下戸だ。匂いくらいならどうにかやりすごせるようだけど、一口でも口にするとたちまち酔っぱらってしまう。そして、かーなり酒癖が悪い。かつて、私はそれでひどい目に遭った。あれ以来、絶対に蒼紫さまにはお酒を呑ませないようにとみんな注意していたし、蒼紫さまも呑まないようにしていたのに――お客さんに薦められて断りきれなかったのだろうか。
私は心配になって宴を抜けて蒼紫さまの部屋に向かった。
入るよ――と一声かけて障子を引く。布団は敷いてはおらず、畳の上に直に横になっている。
「操か。」私に気づくとゆるりと目を開ける。赤い。
「酔っぱらったって聞いたんだけど、大丈夫? お水持ってこようか」
尋ねるけれど、蒼紫さまは私の問いかけには答えず右手をひらひらと振って手招きする。正直、私はあまり近寄りたくはなかった。とにかく蒼紫さまは酔うと私を幼い子どもの頃と混合しはじめる。そして、世話を焼こうとしてくる。それは懐かしい光景であったし、今更になって蒼紫さまは幼い私をとても大切に思ってくれていたのだと実感できたりもしたけど――でも、私はもう二十歳の娘なのだ。あの頃と同じように撫で回されたり構われたりするのは途方もなく恥ずかしい。もうあんな目に遭うのはごめんだ。とはいえ、無視してしまうことも出来ず、私はおそるおそる蒼紫さまに近寄った。
傍までいくと、次に蒼紫さまは顔の前あたりの畳をポンポン叩く。そこに座れということだろう。私はおとなしく座ってみる。
「蒼紫さま!?」
座るとたちまち蒼紫さまの頭が私の膝に乗った。思わず悲鳴に似た非難の声があがるけれど、蒼紫さまはまったく気にもしていないのか、ただ私の膝の上で居心地のよい場所を探るように頭の置き場所を変えている。それが定まると目を閉じた。
「蒼紫さま。寝るなら布団敷いてちゃんと眠った方がいいよ」
「これでよい。」
「よくないってば。酔いが醒めてきたら寒くなってくるし、布団に入って暖かくした方がいいよ」
「これがよい。」
蒼紫さまは私の言うことを聞いてくれない。まるで子どもが駄々をこねているみたいに見える。いや、子どもならまだいい。言うことは子どもみたいだけれど、言いながら蒼紫さまの手は私の膝や太股を撫ではじめる。着物の上からだけどその触れ方はかなり怪しい。
「ちょっと、蒼紫さま」
蒼紫さまの手を叩くと動きは止めてくれたけれど、ゆっくりと私を見上げてくる。その目は赤みが増し潤んでいる。どれだけ呑んだのかわからないけど(そんな無茶苦茶は呑んでいないと思われる)、相当きている。涙目の蒼紫さまなんて初めてみるかもしれない。なんだか少し可愛い――なんて誤魔化されている場合じゃない。
「……広間に戻るよ」
変なことになる前にと内心付け足し蒼紫さまの頭を降ろそうと両手で触れる。けれど、その前に蒼紫さまが器用に頭の位置を変えて寝そべったまま私の腰に両手を回し抱きついてきた。
「ええ!?」驚いて変な声が出る。
「操。」
私の帯のあたりに顔を埋めているから蒼紫さまの声はこもっていて聞き取りづらい。
「お前、ここのところつれなくないか」
「え? 何?」
「昔は俺の傍を張り付いて離れなかったというのに、近頃では朝の挨拶をしたらそれっきりで夜まで話さぬこともある。年末年始と忙しいのはわかるが、心変わりでもおきたか」
「ぼそぼそ言わないでよ。全然聞こえないってば。蒼紫さま?」
私に聞かせる気がないのでは? と思うほど早口で何かを言っている。蒼紫さまがこんなに饒舌に話すなんて珍しいことだし、お酒を呑んだら呂律がまわらなくなるはずがなめらかになるなんて変だなぁと感じられる。
「操。」
ようやく気が済んだのか、蒼紫さまは抱きついていた腕を緩め顔を離し、また私を見上げてきた。先程よりもさらに潤んだ眼差しはやっぱりどうしようもなく可愛らしく思える。蒼紫さまはきっと辛くて仕方ないんだろうから、そんなこと思っちゃいけないんだろうけど、普段絶対観られない様子にドキドキしてしまう。
「蒼紫さま、大好き」そして、ぽろりとそんな言葉が口を出る。
酔っぱらって苦しんでいる状態の相手に何を言っているのだろう。
私ははっとなったけれど、蒼紫さまの指が私の頬に伸びてくる。その手に自分のそれを重ねた。
「大丈夫?」
「……ああ。」
「じゃあ、私、宴に戻るね。蒼紫さまの分もちゃんとお客様のおもてなしするから安心して休んでてね。また様子見に来るから」
「ああ。」
駄々っ子みたいだったのが一転、今度はものすごく聞き分けがよくなってあっさりと私の膝から頭を降ろした。口では平気と言っているけれどかなり気持ち悪くなったということだろうか。無理に話したりしたから余計に酔いが回ったのかもしれない。一人にしてあげるべきだろう。
「ゆっくり休んでね。おやすみなさい」
私はそれだけ言うと部屋を後にした。
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