again and again
10. ホームパーティ
恥ずかしいなぁ、と私はくたびれた気持ちになりながら、ニンジンスティックを頬張った。シャリシャリとした歯ごたえと甘さを楽しむことで、なんともいいようのない脱力感をどうにか誤魔化そうと試みたがうまくいかない。誤魔化せないなら、恥ずかしさは怒りに代わる。私の隣の隣で優雅に食事をとる四乃森蒼紫を視界の端に置きながら、鎌足の奴! と八つ当たりめいたことを思った。
何がこれほど私を惨めな気持ちにさせているかといえば、四乃森蒼紫との再会だ。それがびっくりするほどあっさりと終わったのだ。
それはほんの一時間前にさかのぼる。
ホームパーティは六時に始まることになっていて、五時過ぎ頃から準備を開始した。スティック野菜のディップ添え、サーモンのタルタルカナッペ、パブリカチキンとカップ寿司。見た目にも食欲をそそる料理を巴さんは次々に完成させる。その間、私と明良兄は手伝っているのか邪魔しているのかわからないような感じで、キッチンとダイニングをうろうろしていた。
テーブルに大方の食事が並んだ頃、チャイムが鳴る。最初に訪れたのは緋村剣心と巴さんの弟・雪代縁だった。エレベーターホールでばったり遭遇したらしく仲良くやってきたが、縁のほうはすこぶる嫌そうな顔をしていた。そういえば結婚式のときも、緋村さんに腕をとられながら不機嫌だった。話によれば、この二人は教師と生徒の関係だという。緋村さんは四条学院で古文の先生をしていて、自分の生徒で尚且つ友人の弟ということで縁にとても親しみを持っているようだが、縁はそれが鬱陶しいのだ。それはそうだろうなぁ、と私も思う。学校の先生と私生活でも密接に関わるなんて嫌に決まっている。
そして、その五分後、またチャイムが鳴った。明良兄が扉を開けに行き戻ってくる。後ろには今度こそ、四乃森蒼紫がいた。
――あ、きた。
私は四乃森蒼紫を見た。目が合う。会釈をしてみせたけれど、四乃森蒼紫はすっと視線を逸らせた。
「操。さっき話してた四乃森だ。倒れたお前を運んでくれた人だよ」
何も知らない明良兄が紹介してくれる。
「……あのときは、いろいろと混乱していて、キチンとお礼も出来ずにすみませんでした。ありがとうございました。」
私はどういえばいいか少し考えてから頭を下げた。
いろいろ混乱とはもちろん前世のことを思い出して興奮していたことも含まれている。
「いえ」
四乃森蒼紫は短く言った。それだけ。目線も合わせてくれないままで、明良兄に、
「土産だ」
と袋を渡す。
「お、サンキュ」
明良兄が袋を開けると、ワインが出てきた。
緋村さんが四乃森蒼紫に気付いて「よう」と声をかける。
「今日は仕事だったのか」
「いや」
と世間話を始める。
私は一人ぽつんと取り残されていて、巴さんが
「操ちゃん、飲み物は何がいい?」
と聞いてくれたのではっとなって、あ、私との会話はあれで終わったんだ、とようやく気付いたのだった。
それから駒形由美がやってきて、いよいよパーティが始まったのだが、以降、四乃森蒼紫とは一言も話すことなく今に至っている。
それの何が恥ずかしいのか――いいじゃん、って思う。あんな風に啖呵切って、すごく嫌な感じで別れてしまったのだから、再会したとき嫌味の一つでも言われる可能性があったわけだが、するりと何事もなかったように振る舞ってくれてありがたい、と思うべきなのではないか。でも私はひどく”がっかり”している自分に気づいてしまったのだ。
考えてみれば、四乃森蒼紫が来ると知って緊張したけれど、あれは「あんな風に別れた人と、どんな顔をして会えばいいかわからない」というだけのではなく、もっと別の感情が含まれていた。認めたくないが、私は鎌足の言う「四乃森蒼紫が私を気にしているらしい」との言葉を信じないと撥ねつけながら実のところ結構信じちゃっていたのだ。
小学生の頃に、○○君は△△さんのことを好きらしいよ、と噂が流れたら相手を妙に意識してしまう、みたいなのと一緒。私も隣のクラスの山本君がどうやら私を好きらしいというのを聞いて、それまで全然なんともなかったのに、隣のクラスの前を通るときには妙に緊張したり、山本君と廊下ですれ違うときなど背筋がぴっと伸びたりして、ドキドキドキドキと心臓が高鳴り、あれ、私も山本君のこと好きかも、告白されたらどうしよう、付き合っちゃうのかなぁ、え、これって初恋なのかしら、なんて思ったことがあった。けれど、いつの間にかその噂は消えてしまって、あれ? と思っていると、山本君が私ではない女の子と二人でお祭りに行っている現場を見かけて、え? 山本君は私を好きじゃなかったの!? なんで!?? となって、がっくりきて終わった。
あれは何だったのだろう。私の初恋だったのだろうか。それとも噂に踊らされて錯覚しただけで好きではなかったのだろうか。未だにあやふやな記憶だ。あのときの微妙な気持ちと、まさに同じ状態だった。実際、会ってみると、四乃森蒼紫は実に素っ気なく、好意なんて微塵も感じられなくて、あれ? あれ!? 四乃森蒼紫は私を気にしてるんじゃなかったの!? なんで!?? という感じでがっかりきたのだ。
私は無自覚に期待していたのに、四乃森蒼紫に好かれているらしいと思って、ちょっと何かすごいことが起きるのではないかと期待しちゃっていたのに、全然ちっとも空振りに終わってしまって、恥ずかしい。まるで自分がとんでもなく自惚れ屋みたいに思えて、だから鎌足に八つ当たりしたかった。鎌足の能力だって外れることがあるだろうに、そんなこと関係なく、嘘ばっかり! と心で文句を言うことで自分を慰める。
「操ちゃん、食べてる? とろうか?」
野菜スティックを齧り続けている私に、隣に座る由美さんが聞いてくれた。
「あ、すみません」
「何が好き? 巴の料理は何でもおいしいけどから適当にとっていい?」
「あ、すみません」
バカみたいにそれを繰り返してしまい、これではいけない、と言い聞かせる。隣にあの駒形由美がいて、私に料理を取り分けようとしてくれていて、こんなすごいことないのだから、もっと楽しまなくてはもったいない。
由美さんは一通りの食事をちょこちょこと綺麗に盛ってくれた。私はそれを受け取りながら、気持ちを切り替えるべく、
「……それにしても明良兄と由美さんが知り合いだったなんて、全然知らなかった」
なるべく明るい声を出して言った。
正面に座る明良兄がポリポリと頭を掻いて、
「お前がそんなに駒形のファンだとは知らなかった」
「超ファンだよ! だから結婚式で由美さんの姿を見たときはすごーくびっくりした」
「そうなのかぁ……というか駒形がそんなに有名だとは知らなかったからなぁ」
のんきな感じで言った。明良兄が芸能関係に疎いのは知っているけれど、それでも多少なりともわかるでしょう、と思う。だって一緒にいたら周囲の人間が騒ぐだろうし、そしたら嫌でも気付くだろうと。
「清里くんは巴のことしか見てなかったからねぇ」
由美さんが冷やかすように告げた。それから、学生時代に由美さんにアプローチする男性たちを、巴さん目当てなのだと勘違いして(中には本当に巴さんを狙っていた人もいるらしいけれど)明良兄が心配しまくっていた話を聞かされた。
「最初のうちは、大丈夫よって言ってたんだけど、だんだん腹が立ってきて、『巴じゃなくて、あたし目当てよ』って自分で言っちゃったわよ。だけど言っても全然信じないの。失礼しちゃうでしょ?」
「ひどすぎる」
モテているのは自分だと告げるなど、下手をすれば自意識過剰の嫌な感じになるわけで、それでも我慢できずに言ってしまうぐらいに明良兄は巴さんを心配していたのだ。それほどぞっこんだったのだろうけれど、言いにくいことを言ったのに信じてもらえなかった由美さんの気持ちを思うと、笑っていいのか同情するべきなのか困ってしまう。
「そのくせ、本人には全然だったからなぁ」
緋村さんが横槍を入れた。
「そうそう。告白もできないくせに、独占欲だけは人一倍で、困ったものよね」
それに便乗してにやにやと由美さんも言った。すると明良兄が、
「もう、そんな昔の話はよしてくれよ」
と情けない顔で言う。
「あら、結婚もしたんだし、暴露大会も面白いじゃない」
由美さんがさらに続けた。どうやら明良兄が巴さんに告白するまでにはかなりの紆余曲折と周囲の人間の協力や後押しがあったことが伺える。私の前では穏やかで、いわゆる草食男子っぽい明良兄だけれど、巴さんに対しては頑張って行動を起こしたのか、と思うと興味がわいてくる。詳しく聞きたい。――と口にしようとしたけれど、その前に舌打ちが聞こえた。それは縁だった。
「大好きな姉さんをとられて悔しいのはわかるが、舌打ちはいただけないなぁ、縁くん」
一瞬の気まずい空気を元に戻したのは緋村さんだった。縁の頭をぐりぐりと撫でながらにこにこと言った。
……そういえば、前世でも縁は相当のシスコンだったようだけれど、それは今世でも引き継がれているらしい。に、しても舌打ちするか!? 空気読めないというか、自分の不愉快さの方が先に立つとは、賢い学校に通っているけれど幼稚だ。
「プライベートまで先生面するなよ」
「こら、縁。そんなこと言わないの」
それには巴さんが叱りつけた。縁は巴さんにはからっきし頭が上がらないらしく、ぐっと押し黙る。
「先生面ではなく、年長者として意見しているんだ」
緋村さんは飄々と(愉快気に)返していた。
――うーん、変な感じ。
私は由美さんがとってくれたサーモンのカナッペを齧りながら、その光景に奇妙な感嘆を覚えていた。
前世ではこの二人は逆恨みする方とされる方で、命のやりとりをしていたはずなのに。それだけではない、明良兄と、巴さんそれから緋村さんの間にも深い因縁があるのだ。その人たちが一緒の場所でご飯を食べて笑いあっている。前世ではとても辛い縁を持っていた彼らが、今世では楽しげに笑っている。それは奇跡を見ているようなものだった。
「みなさんはどういうお知り合いなんですか?」
私は尋ねた。まだ、繋がりを聞いていない。どうやら大学の同級生らしいけれど。
「男三人が同じサークルで、僕と巴ちゃん、それから由美ちゃんが高校の同級生で、その繋がりで一緒につるむようになったんだ」
答えてくれたのは緋村さんだった。感じのいい人だ。
「サークルって……剣道ですよね」明良兄は中学のときから剣道をしている。ということは彼らもそうだろう。「緋村さん、めちゃくちゃ強そうですね」
思わず言った。だって、元・伝説の人斬抜刀斎なのだ。生まれ変わっているといえ、きっと名残があるはず。同級生の明神弥彦も剣道部で全国優勝する腕前だから(明神も前世で剣術に長けていた)、たぶん緋村さんもそうに違いない。
「あら、よくわかるわね」
由美さんは意外そうに告げる。
「この三人なら、四乃森くんが一番強そうに見えるのに」
言われてみると、その通りだ。四乃森蒼紫から漂う武骨な感じは、いかにも何か武術をやってます、みたいに見える。だけれど、剣術ならば緋村剣心だ。前世的に、とは言えないので、
「……あ、なんとなく。小柄な人の方が動きが俊敏そうだし」
とそれっぽく納得いきそうなことを口にした。言った後で、男の人に小柄と言うのはあまりよくなかったかも、と心配になったが緋村さんはにこにことしたままで、
「そうそう。それに弱そうに見えると相手も油断してくれるから」
と続けた。
私はその台詞を聞いて、緋村さんは本当に強いのだろうなとしみじみと思った。中途半端な人間ほど自分の力を誇示しようとするものだ。弱く見られることに抵抗がないのは強い証拠だ。
「緋村と四乃森はうちの部の双璧だったからな。二人とも恐れられていたよ」
明良兄が自慢げに言う。
「そういう明良兄はどうだったの?」
私は尋ねた。
「操。それを聞くのは酷というものだぞ」
「え、でも明良兄、中学からずっとやってたんでしょう?」
「人には向き不向きがあるんだよ。長くやっててもどうにもならないことがある」
「そんなに弱かったの?」
謙遜ではなく? と言えば、
「清里は戦略には長けてるんだけどなぁ」
緋村さんがフォローを入れた。だけど、やっぱり強いとは言わない。どうやらかなり下手らしい。縁がそれを受けて鼻で笑う。ああ、やらかしてしまった、と私は後悔して、
「でも、たしかに、明良兄には戦略派だよね。……私の小学校の運動会のときもそうだったよ」
どうにか明良兄を持ち上げようと、昔の記憶を遡れば、すぐに一つの思い出にたどり着いた。
「父兄参加競技の二人三脚に一緒に出てくれたことがあったんだけど、そのとき、一歩目から思いっきりこけちゃって。私は今よりもっと小さかったし、かなり体格差があったから仕方ないんだけど。そしたら、明良兄が、『抱きつけ、そっちの方が早い』って、私はずっと腰にしがみついゴールしたんだよね。でも、それはズルい! って抗議が入って。ちゃんと二人三脚で走ってないから無効だって。きちんと足首は繋いでるからルール違反ではないって明良兄は主張して、二十分ぐらいもめたことがあったんだよ。結局そのときは明良兄の言い分が認められたけど、一位ならまだしも、三位でそこまでムキになることないだろうって、いろんな人にからかわれて。あのときの抗議は本当にすごかったもん。明良兄って普段穏やかなのに、なんかすごく難しい言葉いっぱいつかって、ガンガン言うからびっくりしちゃった。でも、私のために抗議してくれる姿はすっごく格好良かったんだ。正義の味方みたいだった」
それは私の自慢だった。きっと生涯忘れないと思う。明良兄は親以外の人で自分のために一生懸命になってくれた初めての人だ。
「いい話じゃない」
由美さんが言った。
「うん。温厚な清里の意外な一面だな」
続いて緋村さんも。
「……いや、あのときは、操がこけて大泣きしちゃってさ。これはまずいと思って、どうにか巻き返そうと苦肉の策だったんだ。それを無効だと言われて、そんなことになったらせっかくの楽しい運動会が嫌な思い出になるだろうと必死だったんだよ。……よく考えたら、モメて大ごとになってしまって、そっちの方がトラウマになるよなぁ。考えが浅はかだった」
言いながら明良兄は照れくさそうに笑った。
あの断固とした抗議には明良兄のそういう気持ちが込められていたのか――私は今になってその意図を知った。明良兄らしくない振る舞いに、ムキになりすぎるところに、私の両親や周囲の人たちは明良兄もまだまだ子どもだと笑っていたけれど、そうではなかったのだ。
「そんなことないよ。とっても嬉しかったよ。どうもありがとう」
だから私はもう一度、お礼を言った。
食事会が終わったのは八時過ぎだった。
最初はどうなることかと心配だったけれど、とても楽しく過ごせた。緋村さんも由美さんも優しくしてくれたし(由美さんと写真まで撮ってもらった!)、明良兄の学生時代の話もたくさん聞けたし、充実した時間だった。けれど、子どもの時間はおしまい。これから酒宴に移り変わっていく――というよりこの段階で明良兄と緋村さんと由美さんとで四乃森蒼紫が持ってきたワインを二本開けて、かなり出来上がっていたけれど――だろうし、お暇することにする。
その前に、食器を片づける。巴さんは後でするからいいと言ってくれたが、そういうわけにもいかない。それに洗い物は好きだ。目に見えて綺麗になるので気持ちがいい。
キッチンは対面式になっている。きちんと整理整頓されていて、カウンターのところに可愛らしい猫の調味料入れが並んでいる。こんな可愛いものがあるのか、と感心しながら、猫好きなんですか? と尋ねた。
「ええ、私も明良さんも猫派で、よく二人で猫カフェに行ったりするの」
「猫カフェ!」
「興味ある? 操ちゃんも猫好き?」
「大好きです。うちでも飼いたいってお願いしてるんですけど、許してもらえなくて」
「そっか。じゃあ、今度一緒に行こうか。猫カフェ」
「いきたいです!」
そんな約束をしていると、のっそりと四乃森蒼紫が現れる。手にはテーブルに残っていたお皿がある。四乃森蒼紫はカフェバーを経営しているそうで、帰りに店に寄るためにお酒は呑んでおらず、酒盛りの輪を抜けてきたようだ。
「ありがとう」と巴さんが受け取ろうとするが、黙ったまま直接タライに置いて、
「ここは俺がするから、雪代は休んだらいい。食事も一人で作ったんだろう」と言った。
巴さんは、でも、と申し出をすんなりとは受け入れなかったけれど、いいから、と四乃森蒼紫が強めに言い、私も援護して、洗い物は任せてもらった。
私が洗い、四乃森蒼紫が流したものを水切りカゴへ入れていく。キッチンに二人並んで作業するなんて変な感じだ。
「食器はこれで最後です」
と言ってラストのお皿を渡せば四乃森蒼紫は無言のまま頷いた。
食器が終わると、水につけてあった鍋に取り掛かる。家の鍋だと多少傷つけてもいいや、ぐらいの気持ちで洗うけれど、人の家の物だと気を使う。傷つけないように、けれどきちんと汚れが取れるように、丁寧に力を込めて洗った。
洗い物中、一切の会話はなく、気まずかったが、それでもどうにか片付け、すべて終わると巴さんがコーヒーを入れてくれ、、四乃森蒼紫と三人でリビングテーブルに座った。
「二人ともどうもありがとう」
改めて巴さんが丁寧にお礼を言ってくれた。
「あっちはずいぶん出来上がっているようだな」
四乃森蒼紫はダイニングを一瞥している。三人はまだ飲み続けていて、その傍で、縁がテレビゲームに夢中になっていた。私はコーヒーを飲んだ。苦味が口の中に広がると、ほっと息をつく。それから置時計に視線を投げる。八時三十五分になろうとしていた。
「あ、操ちゃんがくれたロールケーキ食べようか」
巴さんが思い出したように言った。
それを聞いていたらしい由美さんが(随分盛り上がって話していたのに地獄耳だなと思う)「ケーキ、あたしも食べたい!」とこちらへやってきた。それにつられるようにして明良兄も。緋村さんだけが縁の傍に寄って何やら話しかけている。縁はそれを無視して画面に集中していた。
「……あの、そろそろ、帰るよ」
傍に来た明良兄に言った。
「じゃあ、駅まで送ってくから」
明良兄はそう言ってくれたけれど、酔いが回ってかなり足元が覚束ない。ダイニングからここへ来るのも危ういくらいだった。この状態では、駅まで着いてきてもらっても、また明良兄を送ってこなければならない。
「いいよ。一人で平気」
私は言った。
「何言ってんだ。そんなわけ行くかー」
呂律も怪しい感じで明良兄が大きな声を出した。酔っ払っても心配をしてくれているのは嬉しいけれど、ちょっと絡み酒が入っている。
「私が送っていくから」
見かねて、巴さんが言ってくれた。
「いいです、いいです。ホントに大丈夫です。走って行きますから。私、足には自信があるので」
滅相もない、と断る。どう考えても私より巴さんの方がか弱そうだし、美人だから危ない目にも遭いそうだ。万一に私を送った帰りに巴さんの身に何かあったら、それこそ私は一生後悔する。
「僕が行こうか?」
すると、いつの間にか緋村さんがこちらに来ていて申し出てくれた。緋村さんは比較的酔っている様子はなく、このままでは巴さんが無理にでも来てくれそうだったからお願いしようかなぁ、と思った(というか、こんなことになるなら、もっと早くに帰ればよかった)。
「じゃあ、お願――」「送ってあげなさいよ。」
私が口にしかけたのに被るよう、突然、由美さんが叫んだ。
ええ!? とびっくりして見ると、名探偵が犯人を指さすときのようなポーズをビシっと決めて四乃森蒼紫を指さしている。指された四乃森蒼紫も、その場にいた全員が、ぽかんとした。
「四乃森くんが送ってあげたら一番いいじゃない。酔ってないし、車なんだから、駅までと言わず家まで送ってあげたら一番危険じゃないし。その帰りに、お店の様子を見てきて、ここに戻ってくればすべて丸くおさまるじゃない。すっごい、ナーイスアイディア!」
ナーイスアイディアではないと思う。いや、たしかに効率的な話をすればそうなのかもしれないけれど、こういうのはやる気、気持ち、メンタリティが重要だ。親切を無理強いすることなどできない。私は四乃森蒼紫をチラリと見る。完全に固まっている。それはそうだろう。何故私を送り届けなければならないのかと思っているに違いない。けれども、
「ああ、そうだな。それはいい」
「由美ちゃん、賢い! 賢い!」
と明良兄も緋村さんも口々に賛成し始める。褒められた由美さんは、えっへん、と得意げな顔をする。それはまるで小学生のようだった。酔っ払いには酔っ払いの共同声明みたいなものでもあるのだろうか。
「いえいえ、そんなご迷惑おかけできませんし、一人で帰れますから」
私は慌てて四乃森蒼紫に断られてしまう前に自分から先に言った。
「何言ってるの! 男が女の子を送るのは当然でしょう!? それを断るなんて、操ちゃん、恥をかかせたらダメよ。ねぇ、四乃森くん」
けれど、由美さんは一歩も引かない。というか、四乃森蒼紫が送ると言っているのに私が遠慮しているという話になっていた。相当に酔っているのだなぁ、と私は頭をかいた。おまけに、明良兄や緋村さんまで、「そうだ、そうだ」とはやし立てる。これはもう、無視してしまうのがいいだろう。酔っぱらいは相手にしない。鉄則だ。と思ったのだが、
「ねぇ、あたしの頼み、断らないわよねぇ」
今度は四乃森蒼紫に凄んでいる。酒癖悪い。それに負けたのか、
「わかった」
四乃森蒼紫はため息交じりに頷いた。
2013/9/4
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