again and again
11. 帰り道
天気予報では夜は止むと言っていたのに外はまだパラパラと小雨が降っていた。
車は近くのパーキングに停めているらしく、二人で一緒に歩いて行った。雨傘をさしながら話をするというのは大変で、親しい人が相手でも自然と口数が少なくなってしまうものだけれど、四乃森蒼紫とは最初から距離があるので、ずっと無言だった。
駐車場に着いて、乗り込む。父親以外の男の人が運転する車の助手席に乗るのは初めてだ。それも二人きり。私の身体は勝手に緊張していく。
「家の住所を、」
四乃森蒼紫はカーナビをつけて入力画面を出した。私は聞かれたことを答えた。長い指先がそれを入力していき、最後に決定ボタンを押すと、「ルートを検索します」というナビゲーションが流れた。それから、ゆっくりと動き出し駐車場を出て車道に入る。音楽もラジオもない静かな車内では、ワイパーのカチッ、カチッ、という音だけが聞こえている。
「……えっと、こんなことになってしまってすみません。」
送ってもらってありがとうございました、と言おうかと思い、けれどそれは降りるときに言うべきかと、迷った挙句に私はそう告げた。
四乃森蒼紫はハンドルから左手を離して口元に手をやっただけで無言だ。返事がないのは寂しい。無理やり送らされることになり機嫌を損ねているのはわかっていたけれど、謝ってもらっても気持ちは慰められないという態度のように思えた。私は彼から視線を外して窓を見た。雨粒が流れていく。
「駒形に頼まれたら、断れないからな」
諦めていたら、聞こえてきた。
私は振り返り四乃森蒼紫を見た。四乃森蒼紫は前を見ていたけれど(運転しているのだから当然だが)、私の視線を感じとっているようで、小さく咳払いした。
信号が赤に変わり、車が停止する。
四乃森蒼紫はワイパーとヘッドライトの灯りを消した。細やかな運転をする人なのだな、と思った。
「どうして、由美さんの頼みは断れないんですか」
弱みでも握られているのだろうか。だから、頼まれたら面倒なことでも断れなかったのだろうか。四乃森蒼紫の言葉から私はそう推測し、この見るからに隙のなさそうな人が弱みを握られるというのはどういったことでだろうかと興味が湧いて尋ねた。
四乃森蒼紫は私のほうを向いた。それからいやにハッキリとした調子で、
「美人の頼みは断らない主義だ」
と言った。
それは、私の推測とは全然違う回答だった。
男の人が美人に弱いのは知っている。テレビでもそういう検証番組があった。美人はおごってもらったりする機会が多くて、容姿が良くない人より生涯を通して三億円得をするとかいうような話も聞いたことがある。なんだ、そういうことか。四乃森蒼紫は由美さんの前で格好つけたのか。四乃森蒼紫は面食いなのだ。由美さんにいい顔をするために私を送っている。それは言い換えれば、少しも私のために、という気持ちもなく、行動しているのだということだった。
心臓の音が早まっているのがわかる。それは車に乗り込んだときの緊張とは意味を違えていた。ホームパーティの間、結局一言も話すことなく、このままお別れするのだろうと思っていた四乃森蒼紫と思いがけず二人きりで帰ることになって、話が出来るかもしれない、と思っていたのに、今の言葉で、すっかりその気持ちが失われてしまった。四乃森蒼紫は結婚式のときに私に興味がないと言っていたことが鮮明に思い出されて、それから今日会ったときの素っ気なさも蘇ってきて、胸が痛んだ。私に関心のないことなど、とっくにわかっていたけれど、堂々と言われると情けない気持ちになる。こうして二人きりでいると尚更だ。他に人はいないのに、私の存在を無視されている。いないもののように言われるのはとても居心地が悪い。
「そっか。じゃあ、由美さんのおかげですね。今度会うことがあったら、たっぷりお礼を言わなくちゃ。それから、四乃森さんの株が上がるようにアピールしますから、任せてください」
自分でも意外なほど、明るく、楽しく、冗談めかして言えた。傷ついていることを悟られたくなかった。それから、そうやって応援すると言えば、私を認識してくれるかと思った。けれど、四乃森蒼紫は何も言わず、なんだか心なしむっとした顔になって前を向いた。薄暗い車内だから見間違えかもしれないけれど、不機嫌そうなオーラを放っているのは間違いないと思う。何が気に食わなかったのだろう。四乃森蒼紫の感情のスイッチがわからない。
車が再び走り始める。
それから、しばらく沈黙が続いた。カーナビのルート案内だけが、時々聞こえる。
再び窓を眺めた。明良兄の家から、私の家まで、乗り換えなしで七駅になる。だんだんと見慣れた場所が目に飛び込んでくる。家まで行かずとも、適当なところで降ろしてもらおう。そんなことを考えていると、
「それにしても、近頃の女子高校生というのは、みんな君のようなのか」
四乃森蒼紫が言った。その言い方は悪意に満ちているように感じられた。
「どういう意味ですか」
「君は清里が好きなのだろう」
返ってきたのは思ってもいないことだったので、びっくりして言葉を失う。
四乃森蒼紫は盛大なため息を吐き出した。
「否定しないということは、やはり図星か。まぁ、あれほどあからさまな態度でいればわかるが。……しかし雪代に失礼だとは思わないのか」
「失礼って何がですか?」
「自分の方が清里のことを知っているというような態度をとっていただろう」
「私、そんな態度とってません」
強く言い返したけれど心には不安が満ちてきていた。
四乃森蒼紫の言う通り、私は明良兄が好きだった。結婚すると聞いてショックだった。正直に言えば、まだ少しは二人の幸せな姿に苦しくなる瞬間はあるけれど、お祝いする気持ちの方が強いし、友好的に振る舞っていたはずだ。それはうまくいっていると思っていた。けれど、そうではなかったのだろうか。人の目から見たら、違っていた? 自分では気づかぬうちに何か嫌な態度をとっていたのだろうか。
「……妻の前で、過去のことを持ち出して、清里がいかに自分を大事にしてくれていたのか自慢するのは十分失礼だと思うが」
過去のこと――それは運動会の話だろう。
明良兄がどれほど一生懸命になってくれたのか話した。私はそれがとてもうれしかったとも言った。でもあれは自慢するために言ったわけではない。縁が明良兄のことをバカにしようとするので、どうにかいいところを聞かせようとフォローのつもりで言ったことだった。それを巴さんへのあてつけで言っていると解釈されていたなんて。
他の人にもそんな風に聞かれていたのだろうか。緋村さんも、由美さんも、いい話だと言ってくれたけれど、本音は巴さんに失礼なことを言う子だと思っていたのだろうか。――そう考えると足が震える。
「そうかと思えば、次は緋村に媚を売って」
どう返せばいいのか言葉に詰まっていると四乃森蒼紫は続けた。今度のそれは、まったく身に覚えのないことだった。
次の角を左、と張りつめていく空気を無視して、ナビゲーションが告げた。車は減速し、指示通りの進路を辿る。
「やけに褒めていただろう。緋村の剣道姿など見たこともないのに」
「だって、緋村さんは、」
前世で伝説の人斬り抜刀斎と言われていた人だから、と続けようとしたけれどギリギリのところで言葉を飲み込んだ。前世の話を持ち出せば、きっとまた四乃森蒼紫は冷たい目で私を見るだろう。いや、今もすでに辛辣な態度をとられているけれど。
私が黙ってしまうと、四乃森蒼紫はため息を吐く。これで二度目だ。人にため息をつかれる――それは馬鹿にされているような、見下されているような気持ちにさせる。
「……そういえば君は最初に俺にも言い寄ってきていたな。年上が好きらしいが、生憎、緋村は君のような節操のない子どもを相手にするような愚かな男ではない。今日は清里夫婦を祝うための集まりだったんだ。男漁りなら他でしなさい。清里の評判にも傷をつけることになる。それぐらいわからないのか」
嘲るように、辛辣に、傷つける意図を持った発言だった。
――どうして、
たちまちに私は呼吸の仕方を忘れそうなほど胸が締めつけられた。
私は緋村さんに言い寄ったりなどしていない。それなのに、男漁りをしているなんて! どうして、こんなひどいことを言われなければならないのだろう。何故、突然こんなことを言いだしたのか、さっぱりわらない。ただ、ハッキリしていることが一つだけある。
「あなたが私のことを心底嫌っていることはよくわかりました」
そして、それを惜しみなく私に見せつける。普通、いくら嫌っていてもあからさまな態度を見せないものだろうに、四乃森蒼紫はそれを私にしている。理不尽で失礼で、最低だと思った。
「……俺は、」「ここでいいです。」
四乃森蒼紫が何か言いかけたけれど、私はそれを聞く気はなく、ねじ伏せるようにして言葉を重ねた。彼はチラリと視線を投げてきた。
「停めてください。降ります」
「……そういうわけにいかない。君を家まで送ると約束してきた」
さっきまでの強気な雰囲気は消えて、困っているように聞こえた。それが返って私の感情に火をつけた。
「停めてくれないなら、飛び降ります」
けれど、車は止まらない。私の本気は伝わっていないようだった。頭にカッと血が上り、扉のロックに指を宛がい開けようとする。けれど――走っている状態では扉は開かない仕組みになっているらいく、一瞬ロックが外れるものの、扉が開く前に施錠がかかる。それでも私は何度かそれを繰り返し、最後にはドンドンと窓を叩いて「停めてよ!」と叫んだ。
「そんな乱暴をするな」
それから、根負けしたのか、これ以上暴れられて車に傷がつくことを恐れたのかゆるやかに減速した。
よく見ると信号にひっかかっただけだった。どちらでもいいけれど。停まってくれたらそれでいい。私はシートベルトを外し、すばやく扉を開けた。今度はうまくいった。
降りられる準備を整えてから、私は四乃森蒼紫に告げた。
「私は……たしかに、明良兄のことが好きだったけれど、巴さんをライバル視して過去の話をしたわけじゃない。明良兄の剣道の腕前が強くないと知らずにしつこく聞いてしまって、それで縁が明良兄のことを鼻で笑ったから、どうにかいいところを言って巻き返さなきゃって思ってあの話をしたんです。それから、緋村さんのことは、本当に強いだろうなって思ったからそう言っただけです。別に媚びているわけじゃない。あなたは、私のことを嫌っているからそういう風に悪く見るんでしょうけれど。……それに、私に媚びているっていうけど、あなたこそ媚びてるじゃない。私を送ってくれるのは由美さんのため。由美さんにいいところを見せたいから、嫌悪している私を送ることにした。でも、途中で我慢できなくなって私を非難しはじめた。……そんなに嫌だと思っているなら断ればよかったじゃないですか。みんなの前ではいい格好して、二人きりになったら私にいらだちをぶつけるなんて、最悪。私だって、あなたに送ってほしくなんてなかった!」
一息にそこまで言うと、急に涙が浮かんできた。
悲しいというより悔しくて。傷ついていることがとても悔しい。こんな人に何を言われても平気だと突っぱねられない自分がとんでもなく悔しかった。
私はそのまま車を降りた。傘もささずそこから逃げるように走った。後ろから「待ちなさい」という声が聞こえたけれど振り返ることなくひたすら走った。雨が私の全身を打ったけれど、心の痛みの方が痛くて、冷たさは感じられなかった。
2013/9/6
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