again and again
12. 真相?
勢いに任せて車から飛び降りたが、思っていたよりずっと家の近くまで戻ってきていて、迷うことはなかった。
とぼとぼと雨に打たれて家に帰り着くと、濡れた格好に母が驚く。
「どうして傘をさしてこなかったの」
最もな疑問だけれど、ショックすぎて傘をさす気力もでなかったのだ、と言えば何があったのか聞かれるに決まっている。答えたくなかったので、走るのに邪魔だったから、と無茶苦茶な返事をしてお風呂に入った。
湯船につかっていると頭がぽーっとしてきて、鼻歌を歌った。悲しみを押し込めようと無意識に防御していたのかもしれない。一人きりなのだから泣いてしまえばいいのに。
丁寧に身体を洗い、髪を洗い、身体の芯からぽかぽかするまでゆっくりして上がると、明良兄から電話があったと聞かされた。
「操がきちんと帰っているか心配して確認したかったんですって。すごく焦った感じだったけど、明良君も過保護ねぇ」
何も知らない母は笑って言った。
焦っていたという様子から、私が途中で車を降りたことを聞かされて心配してくれたのだろうと思った。四乃森蒼紫は知らぬふりもできただろうに、黙っていなかっただけ良心があったということか。
部屋に戻り鞄からスマホを取り出すと、不在着信が二度と、メッセージが届いていた。どちらも明良兄からだった。
件名:
本文: 四乃森から話を聞きました。無事に帰れたか心配になって電話したけれど出ないから、家の電話にかけて、叔母さんに帰宅を確認して安心しました。
私の予想は的中した。ただ、文面から四乃森蒼紫がどういう風に話したのか伺い知ることは出来なかった。すっかり嫌な印象を強めていたので、自分の都合が良いように、私が癇癪を起こしたと言っているかも、と想像してしまう。考えたら落ち着いていた気持ちが逆撫でされる。それでも、ここで明良兄に「あの人、なんなの!?」と怒りのメールを送って話を大きくするのも余計に辛くなると思い、
「心配かけてごめんなさい。無事に帰りました。今日はどうもありがとう。試験がんばります。巴さんにもよろしくお伝えください」
とだけ返した。
それからすぐに布団に入り、目を閉じた。何も考えたくないし、何も思い出したくない。四乃森蒼紫に会ったあとは、いつもこんな感じだなと情けなくなりながら、意識が沈んでいくのを待った。
翌朝、目覚めてスマホが点滅していることに気づく。マナーモードを解除し忘れていて音が鳴らなかったのだ。確認すると、明良兄からだった。私がメールを返してからほどなくと、その一時間後にもう一通、合計二通のメッセージが届いていた。最初のメールは
件名:Re
本文:四乃森がお前と話したいと言っているんだが、もし話せそうならメールください。
それから次のメールは、
件名:ReRe:
本文:無理を言ってごめんな。嫌な思いをさせて悪かった。今度、お詫びにケーキを食べにいこう!
とあった。
眠ってしまって気づかなかったことを話したくないから返事をしないと解釈したのだろう。最初のメールから次のメールが届くまでの一時間、ずっと私のメールを待っていたのかと思ったら、少し申し訳ない気になってしまう。もちろん四乃森蒼紫にではなく明良兄にだけれど。明良兄が謝ることも、お詫びすることもないのだから。
今からでも何か返事を打とうかと考えた。けれど、何も言葉が浮かんでこず、メール画面を閉じて、アドレス帳を開く。出したのは――鎌足のアドレスだ。こういうとき、私が頼れるのは鎌足しかいない。
受話器あげるのボタンを押すと四コール目で出た。
「もしもし、操ちゃん? どうしたの、こんな朝早く」
鎌足の声は柔らかくて優しい。それを聞くと保てていたはずの気持ちがいっぺんに崩れ、喉が震えてうまく話せなくなってしまった。
「何かあったのね? ……今日はこれから鑑定の予約が入っているの。お昼には終わるから、それから会いましょう」
十二時に占いの館で会うことになり電話は切れた。私はごしごしと両目をこすった。幼い子どもになったような頼りない気持ちがして、しばらくぼんやりとした。
近所のケーキ屋でお土産にゼリーを購入して行った。鎌足は私の話を聞くために、いつも日曜日に行くというグランデというイタリア料理屋でのランチをやめて、コンビニで菓子パンを買ってきてかじっていて(前にもそんなことがあった)、私のお土産に喜んでくれた。
ゼリーを二人で食べながら、昨夜の一部始終を話すと、
「それは最悪だわ」
鎌足は眉をしかめて言った。私の悲しみを怒ってくれるという行為はとても気持ちを慰めてくれる。
「……私の態度って、そんな風に見られるようなものだったのかな……」
前髪をぐしゃぐしゃと撫でながら言った。そうしないと涙が溢れてしまいそうだった。
男漁りをしていると言われたことが突き刺さったまま抜けない。そんなつもりは全くなかったけれど、傷ついているという事実に、時間が経過すると、それが本当だからではないのかと思うようになっていた。全く心当たりがないなら、傷ついたりはしないはずだと。
「いやいや、酷いことを言われたら、本当のことじゃなくても傷つくわよ。なんでそんなこと言われなくちゃいけないの!? と思うのは普通だから、気にしなくていい」
鎌足は力強く否定してくれるけれど、突き刺さったトゲは抜けない。
「でもさ……。意味もなくこんなこと言わないでしょう? 少なくとも四乃森蒼紫にとっては、私はそういう人間に見られてるってことでしょ。やっぱり嫌われてるんだよね……鎌足の能力は四乃森蒼紫に関しては外れてるよ」
出してもらったアイスコーヒーを飲みながら、ため息をついた。青いグラスが窓から入る太陽の光でキラキラしている。私はそれを遮るように両手でグラスを覆った。
「嫌われてるんじゃなくて、好かれているからの悪態なんだ思うわよ」
「……どういうこと?」
鎌足はテーブルにあるタロットカードを手にして混ぜ展開させる。次々と綺麗な絵柄が表に出された。
「うん。やっぱり、どう見ても彼は操ちゃんのことを気にしているわ。嫌ってなんて全然いない」
「嫌ってないなら、どうしてあんな酷いことを言うの!?」
グラスから手を離して拳を握る。鎌足の言うことと現実がちっとも噛み合っていない。そうであるのに自信満々で、私は不信感を持った。
「可愛さ余って憎さ百倍ってことがあるでしょう?」
「意味がわからない」
「だからね、操ちゃんにも操ちゃんの気持ちがあるように、向こうにも向こうの気持ちがあるから。彼は操ちゃんと話をしたかったんだけど、ちっとも話せなくて寂しく思っていて、それが苛立ちに変わったってことよ。大人げないけど」
「うっそだぁ、だって、最初に話しかけたとき素っ気ない態度をとったのは四乃森蒼紫のほうなんだから。話したいならそんな態度とらないじゃん」
再会に緊張していたのに、驚くほどあっさり終わって、何か起きると期待していた自分が恥ずかしくて仕方なかったことを思い出し、私は握っていた拳をもっと強く握りしめた。やはり四乃森蒼紫が私に好意を持っているという鎌足の言うことは嘘だと思う。
「まぁ、そうね。でも彼は操ちゃんを嫌って素っ気ない態度をとったわけじゃないからねぇ。ただ、びっくりしちゃったのよ。操ちゃんが来るって知らなくて、来てみたらいて、心の準備も出来てなくて、つい冷たい態度をとっちゃったんだと思うわ。前にも言ったけれど、この人は人付き合い上手じゃないし、こと恋愛に関してはかなり精神年齢幼いから、目当ての女の子がいました、傍に近寄ってアプローチします、なんて芸当到底出来ないもの。緊張して、結局話しかけられず、操ちゃんが話しかけてくれないかなって待ってたんだと思う」
私が話しかけるのを待っていた? ――四乃森蒼紫の態度を思い出してみてもピンとこない。四乃森蒼紫はそもそもが無口な人らしく(その辺は前世の蒼紫さまと同じだ)、基本的に聞き役で、それでも時より会話に参加してくる。その時、私は四乃森蒼紫を見るけれど、四乃森蒼紫と一度も目が合うことはなかった。私と話をしたいというなら、こちらを見てくるものではないのか。そういうことが出来ないから恋愛下手なの? だったとしても、
「……それが本当なら、帰りに二人になったとき、あんな酷いこと言うことなくない? それこそ普通に話をするはずじゃん」
「それが出来ないのがこの人なのよ」
私は眉をひそめた。鎌足はそれを見て、肩をすくめた。
「今回の件はこの人が悪い。悪いけれど、この人の気持ちを代弁するなら、彼は操ちゃんに話しかけることが出来ず、操ちゃんの方から話しかけてくれないかと期待したけれど、それも叶わなくてて寂しくて、おまけに明良さんと緋村さんとは楽しく話しているから、なんなんだって嫉妬して、それが最後に爆発しちゃった感じ?」
鎌足はまったく淀みなく、はきはきと告げる。私は眩暈を覚えた。もしそうなら、私が四乃森蒼紫に素っ気なくされてガッカリしてしまったのと同じように、四乃森蒼紫もガッカリしていたということになる。といっても、私は四乃森蒼紫に八つ当たりなんてしなかった。
「何それ……勝手じゃん」
眉間の皺はますます寄って行く。
「勝手だけど、この人の言い分はそうなのよ。……それは裏を返せば、彼がそれだけ操ちゃんに執着しているってことでもあるのよ。無自覚だけれど、もうこの人はこの子は俺のもの、ぐらいに思っていて、だから、こういう無茶苦茶な感情が出てきちゃう。そんな風になって自分でも混乱していると思うわよ」
混乱なら私のほうがずっと混乱している。
前髪を撫でる。さっき触ったときに乱れてしまったのを丁寧に梳かした。
「うーん、でもねぇ、彼も二人になれたことをチャンスだって思ってたはずなのに、どうしてこんなことになっちゃったのかしら? ……何かきっかけがあったはずなんだけど」
どういう感想を持てばいいかもわからずにいると、鎌足は人差し指を唇に当てながら言う。
「きっかけ?」
「そう。……カードを見る限り、突然、感情が大きく変化しているのよ。それまでは、どうにかして話せないかなっていう前向きさがあったし、だから、操ちゃんを送ることになって、チャンスって素直に喜ぶ気持ちもあった。それなのに、真逆の行動をとった。意味もなくそんなことをしたわけではなくて、何かしらのきっかけがあってのことだと思うのよ」
言いながら、口元に当てていた人差し指で今度は人が雷に打たれてひっくり返っているようなカードを指さした。
「心当たりない? 彼が暴言を吐く前に何か言ったりしたりした?」
「何かって、お礼というか謝罪はしたよ。送ってもらってすみませんって」
「それだけ?」
「それだけって……うん、そう。そしたら、四乃森蒼紫は、私を送るのは由美さんに頼まれたからだって。美人に頼まれたら断れないって言われたの。由美さんの頼みじゃないなら送ってくれなかったと思う。四乃森蒼紫は私ではなくて由美さんが好きなんだよ」
言葉にすると、それを聞かされたときの感覚が蘇り胸がヒリヒリとしてきた。グラスを手にしてアイスコーヒーを飲んでもその痛みはおさまらない。
「それで、何って返したの?」
「えっと……そんなことを言うのは、私に協力してほしいのかなぁって思ったから、『今度由美さんに会うことがあれば、四乃森さんの株が上がるようアピールしますね』って」
「それよ!」
「え?」
「なるほどねぇ」
鎌足は一人で納得して、カードをめくり始めた。そして、表れた絵柄に、やっぱり、とうんうん頷いている。
「……何がなるほどなの?」
鎌足は、さらにタロットカードをめくった。一枚、二枚とめくり、
「あのね、この人は別に由美のことは何とも思ってない。操ちゃんのことを送っていきたかったけど、送るって言えずにいて、由美が送るように言ってくれたことに感謝はしてる、というのはあるわよ。でも、由美のためとかそんな気持ちはない……ただ、あなたが他の男の人と親しくしていたから、自分も他の女と親しいところを見せつけたいとか、そういう幼稚な気持ちから言っただけなのよ。これは、彼独特の感覚というか……そういう人もいるのよ。素直じゃないタイプというかね。俺だってお前以外にも女がいると見せつけて、焼きもちを妬かせたかったのね。ところが、思惑が外れた。操ちゃんに応援しますと言われて傷ついて、それが引き金になった」
「それで、あの暴言につながったって言うの?」
「そう。それなら突然豹変したことも理解できる」
「理解できるかもしれないけど……それってあまりにも理不尽過ぎない? 自分が望んだ反応が返ってこないからって、ひどいことを言うなんて、いい大人のすることとは思えない」
「たしかに大人のすることではないわね。でも、もし、彼が本当に操ちゃんを嫌っているなら、こんな嫌みは口にせず黙って家まで送って、さよなら、ってしたはずよ。面倒事は起こしたくないって考えてる人だから。基本的に彼は腹が立つことがあっても、黙って我慢するタイプなの。それがわざわざ傷つけるような、喧嘩になるようなことを言った。それは操ちゃんに強い感情があるからなのよ。好かれないなら嫌われてでも気を引きたいっていう、あまりよくない感情ね。それも意図してというより、気持ちが抑えられずにやらかしちゃった感じが強い。操ちゃんに対してはいつもの自分とは違ってしまっていて、それが今、悪い方向で発揮されているみたい。こんな風に感情的なことを言って、自分自身ひどくびっくりしているし、こんな結果になったこともすごく落ち込んでるわよ。可哀想なぐらい」
鎌足言うようなことを私も思わなくはなかった。いくら嫌いな相手でも、嫌な奴には嫌な態度をとってもいい、と思える人は少ないのではないか。それが出来てしまえるほど、私は嫌われているのか――最初の出会いで迷惑をかけてしまったけれど、そこまで嫌悪されることなのかと疑問だった。いや、人にはそれぞれ許せない境界線があり、あのときの私の態度は四乃森蒼紫の許せないラインに属した可能性もゼロではないから、自分のしたことを軽く見てはいけない、とも思うけれど。でも考えても、考えても、そこまでのことだったのか、と疑っていた。だから、鎌足の話はそういう意味では私の疑問を拭ってはくれた。とはいえ、そのまま信じられるかと言えば抵抗がある。
「……正直、そういう風に解釈しようと思えば、そうかも、って思う部分はあるけど、それが本当だとしても、四乃森蒼紫のことを許せない気持ちのほうが強い」
私は本当に正直に言った。
「それは仕方ない話ね。いくら本音に操ちゃんへの好意があって、それが変な形で出ているだけと言っても、実際に目に見える形でされていることは大きいから。普通はこういうことがあったら、もうこれでおしまいよね。……でも、目に見えていることだけがすべてではないから。それだけで判断すると、大切なことが見えなくなることもある」
鎌足は静かな、それでいてハッキリとした口調で言った。
「ただ、あたしが言っていることは本当よ。彼はとても厄介な人だし、今は嫌な面ばかりが見えてしまっているけれど、彼自身も苦しんでいる。――今回のことは特に、すごく後悔しているわ。当然だけどね。こんなことして、自業自得だもの。でも、彼に悪意はなくて、小学生が好きな子を苛めるみたいな感じの、それのずっと性質が悪いものね。でも、けして、操ちゃんを嫌っての行動ではないことだけはわかってあげてほしい」
私を嫌っていない。前にもそう言われて、信じないと言いながら信じて、再会して素っ気なくされガッカリきて恥ずかしくなったのに、またしてもその言葉に揺さぶられてしまっている。嫌だ、許せない、と突っぱねてしまえないことが不思議だった。
「……あと、誤解しないでほしいのは、彼の肩を持っているように聞こえるかもしれないけれど、あたしは、操ちゃんの味方よ。あなたが幸せになれることを願っている。彼とくっつけようとしているわけではないから。それは信じてね」
鎌足はとても真剣な目をしていたので、私は気圧されるように頷いた。
2013/9/7
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