again and again

4. 記憶

 ちちさまと、ははさまと、あたし。三人だけの家族なの。他の子には、おじいちゃんやおばあちゃんがいるのに、あたしにはいないの。どうして? って聞いたらね、ははさまは、寂しそうに笑うの。だから、あたしは、聞いたらいけなかったのかと思って悲しくなったの。するとね、ははさまはあたしの頭を何度も何度も撫でながら言ったの。
 ちちさまはとても”せんさい”な人で、ははさまはそんなちちさまを、とてもあいしてしまったの。ちちさまをあいするためには、すべてを捨てなければならなかったの。って。
 あいするってよくわからないけれど、きっと仲良くすることなんだ。だって、ちちさまとははさまはとっても仲良しなの。あんまり二人で仲良くするから、ときどきあたしはすねるの。あたしだって仲良くしたいのに。って。するとね、ちちさまとははさまは二人であたしを抱きしめて、操はわたしたちの宝物よ、って言ってくれるの。
 あたしはとってもうれしくなって、ちちさまと、ははさまがいればいいって思うの。他の子みたいにおじいちゃんや、おばあちゃんがいなくても平気。ちちさまと、ははさまと、三人。ずっと仲良くいられたらいいの。あたしはそう思ったの。


 目が覚めると、見たこともない場所にいて、見たこともない白髪頭のおじいさんがあたしの傍にいた。
 起きあがって、ちちさまと、ははさまは? と聞くと、おじいさんは目を細めた。おじいさんの顔は笑っているように見えるのに、悲しそうにも思えて、どうしてそんな顔をするのだろう、とあたしは不思議だった。それにね、その顔はとてもははさまに似ていると思ったの。おじいさんは男の人で、ははさまは女の人なのに変だよね。
 ここはどこなのか、どうしてそんな顔をするのか、何も答えてはくれず、あたしの頭を撫でるおじいさんに、あたしはどんどん不安になっていった。
「ちちさまは? ははさまは?」
 ぽろぽろと涙があふれた。
「操。操。泣くな。お前には儂がおる。儂はの、お前の母の父じゃ。お前のじいじゃ。もう何も寂しくはないぞ」
 そう言うと、おじいさんはあたしを抱きしめてくれた。
 あたしのおじいちゃん? よくわからない。だって、あたしにはおじいちゃんも、おばあちゃんもいないって。いないかわりに三人で暮らせるんだって、ははさまはいってたの。それなのにおじいちゃんができてしまったら、あたしはちちさまとははさまと暮らせなくなる。おじいちゃんはいらない、おばあちゃんもいらない、あたしは三人で暮らしたいの。
 おじいちゃんはあたしを強く強く抱きしめて、泣くな、泣くな、いい子だなぁ、と背中をさすってくれるの。それは、ははさまがあたしにしてくれたのと同じで、だから、この人は本当におじいちゃんなんだと思った。そして、あたしはもうちちさまと、ははさまと、三人では暮らせないんだとわかったの。
 あたしはますます悲しくなっておいおい泣いた。泣いているうちに疲れてきてそのまま眠ってしまった。
 次に目が覚めたときには、おじいちゃんはいなかった。代わりに別の男の人がいた。おじいさんではなくて、おじさんでもなくて、おにいさん……ああ、そうだ、おにいさんだ。隣の隣にすんでいる喜平おにいちゃんと同じくらいだもの。でも、喜平おにいちゃんよりもちょっとおっかない感じ。すっごくきれいな顔をしているけど、少しこわいなぁ。
 あたしがおにいさんを見ていると、おにいさんもあたしを見ていた。何も言わないから、あたしはまた、ちちさまと、ははさまは? とたずねた。そしたら、さっきのはなしって、また三人で暮らせるようになる気がした。でも、おにいさんは、
「俺にも、両親はいない」と言った。
 両親というのはちちさまと、ははさまのことだ。
 おにいさんにはちちさまと、ははさまはいないのか。
「あたしにはいるよ。ちちさまと、ははさま。だけど、今はいないの。……あれ? じゃあ、おにいさんと一緒だね。」
「ああ」
 おにいさんはそういうと黙ってしまった。
 あたしはまたおにいさんを見た。おにいさんもあたしを見ていた。
 なんだかものすごく、変な感じ。と思っていると、あおしさま、という声と一緒にすっと人が現れた。あたしはびっくりした。だって、本当にすっとでてきたんだもの。障子や襖を開けて入ってくるんじゃなくて、気づいたらおにいさんの傍に片膝をついて座ってたの!
 びっくりしたまま見ていると、その人は顔を上げた。そしたら、その顔には鬼みたいなお面がついてたの!
「かっこいい!」
 あたしがいうと、おにいさんと、お面の人はあたしを見たあと、二人で顔を見合わせて、またあたしを見た。なんだろうと思いながらあたしは立ち上がってお面の人に近寄った。
「そのお面、とってもかっこいいね」
 あたしはもう一度いった。
 それから、おにいさんの名前は「蒼紫」でお面の人は「般若」って言うんだと教えてくれた。二人はあたしのめんどーを見てくれるんだって。おじいちゃんからそう言われたんだって。
 しばらくすると、またおじいちゃんもやってきた。それで、おじいちゃんは言ったの。おじいちゃんや蒼紫さまや般若くんが傍にいるから、ちちさまと、ははさまがいなくても寂しくないって。あたしは、そうかなぁ、と考えて、そうだよね、って思うことにしたの。だからもう寂しくないよって言ったの。本当は寂しかったけど、寂しいっていうのはなんだかとっても悪いことのような気がしたから、寂しくないって嘘ついたの。


 新しくあたしの家になったところは、これまで暮らしていたところとは全然違った。隠密御庭番衆っていって、将軍様のために、すっごく大変なお仕事をしてるんだって! それでね、人と違う”とくしゅ”な”のうりょく”を持った人たちがたくさんいるの。
 般若くんは、どんな人にも”へんそう”できるし、べし見はおとなだけど小さくてすばしっこいの、ひょっとこはお腹に油が入っていて火を噴くし、式尉さんはものすごく身体がカチカチなの、それでね、蒼紫さまは……蒼紫さまは”とくしゅ”なところがないなぁ。でもね、とっても強いんだって。すごく、すごーく強いの。あたしは蒼紫さまが戦っているところを見たことないけど、般若くんたちがそういうからきっと本当なんだ。
 でもね、そんなに大変なら、あたしと遊んでくれる人はいないんだなぁ、って思っていたの。だけど、お仕事の間にね、みんながあたしと遊んでくれたの。
 あたしのお気に入りはね、ひょっとこのお腹の上でぴょんぴょん跳ねること。ひょっとこはすっごく太っていて、お腹がたぷたぷしているから高くまで飛び上れるんだよ。面白くてあたしは十回も二十回も飛び跳ねるの。でもね、あまり飛び跳ねすぎたらひょっとこは火を噴いてしまうの。屋敷にいるときは油を入れてないんだけど、それが少し残ってしまうんだって。あたし、初めてそれを見たときびっくりしちゃって。あんまりにも驚いたから大きな声で泣いてしまったの。そしたらね、蒼紫さまがすぐに来てくれたの。それでね、ひょっとこはすごく怒られてた。あたしはなんだか悪いことをしちゃったなぁと思って、それからはあまりひょっとこのお腹の上では遊ばないようにしてたんだ。そしたらね般若くんがきて、ひょっとこが寂しがっているから遊んであげてっていうの。だからあたしはときどき、蒼紫さまのいないときに、ひょっとこのお腹の上で飛び跳ねるの。そしたら、もしまた火を噴いても、蒼紫さまに叱られたりしないでしょ?
 みんながいてくれるから、あたし、すっごく楽しい!
 でも、ときどき、寂しくなるの。寂しくないよっておじいちゃんに言ったのに、とても寂しくなって、やっぱり、ちちさまと、ははさまに、会いたいなぁーって。そんなときは、こっそりと一人で木に登るの。
 高い木の上から見る夕日はとってもきれいだった。
 ゆっくり、ゆっくり、沈んでいくと空がだんだんと暗くなっていく。あたしはそれを眺めていたの。そしたら、いつも、いつのまにか、蒼紫さまがとなりにいた。 
「操。」
「うん。」
 それだけ。蒼紫さまはおしゃべりじゃないから、他にはなーんにも言わない。黙って、夕日が沈んでしまうのを二人で見るの。でもね、あたしはそうしているのが好きだった。蒼紫さまと二人でね、沈んでいく夕日を眺めていると、寂しい気持ちが夕日に溶けてしまうような気がしたの。
 あたしが蒼紫さまに手を伸ばすと、蒼紫さまはやっぱり無言で、だけどしっかりと握り返してくれる。その手はとても冷たいけれど、とても優しく思えた。
「蒼紫さまは、ずっと操と一緒にいてね。約束」
 そういうと、蒼紫さまはうなずいてくれる。
 それでね、あたし、思ったの。あたしは、蒼紫さまのことが大好きだ。って。


 京都の葵屋という料亭に身を寄せることになったのはあたしが八歳のときだった。
 おじいちゃんが亡くなってしまって(ちちさまとははさまもきっと亡くなったんだってようやくあたしはわかった)、そのあと今度は徳川幕府が潰れてしまい、隠密御庭番衆はいらなくなって、行き場をうしなったの。それで蒼紫さまと、般若くんでしょ、ひょっとことべし見と式尉さんと六人でいろいろ旅をしたんだけど、この葵屋に身を寄せることにしたって、蒼紫さまは言ったの。
 葵屋にはね、おきなと、黒と白、お近さんとお増さんがいた。
 おきなっていうおじいさんはとーっても変な人なの。あたしのことを見るとね、先代によう似ておる、と言って涙を流して、それから、儂のことはこれからじいやと呼んでくれ、と言ったの。じいや? へーんなのってあたしは思ったんだけど、わかったって返事をしたら、にこにことうれしそうだった。
 じいやは面白いことをいっぱい知っていて一緒にいると可笑しいの! お近さんとお増さんはとっても優しいし、黒と白も、料理がすごく上手でいつもおいしいご飯を作ってくれる。
 ふーん。そっか。ここでみんなで暮らしていくのか。いいかも。それ、とっても楽しいかも! 
 でも、しばらくすると、蒼紫さまはいなくなった。
 蒼紫さまだけじゃない、般若くんも、ひょっとこもべし見も、式尉さんも。あたし一人だけが、葵屋に残された。
 どうして? 蒼紫さまはあたしと一緒にいてくれるって言ったのに、だからもう寂しくないって言ったのに。
 すると、じいやは言ったの。すべてはあたしのためだって。あたしに幸せになってほしいからだって。幸せって何? どうして蒼紫さまたちがいなくなることが幸せなの? それならあたしは幸せになんてならなくていいよ。あたしは、蒼紫さまの傍にいたいの。


 蒼紫さまに会いたい。もう一度、会いたい。
 会いたい、会いたい。
 その気持ちはいつまでもなくならなかった。
 ちちさまとははさま、それからおじいちゃんは死んでしまったけれど、蒼紫さまは生きている。生きているならきっと会える。だからあたしはけして諦めない。


 旅に出よう。蒼紫さまを探す旅。
 それを実行したのは十三のとき。最初はとにかく葵屋を飛び出すだけですぐに白に連れ戻された。全然準備が足りてなくて、少しもうまくいかなかった。でも、それぐらいで諦めたりしない。あたしの気持ちは本物なの。だからぜったい諦めない。二度目、三度目、と重ねるごとに遠くへ行けるようになった。情報を集めることもうまくなった。けれど蒼紫さまたちを捕まえることはできない。一度なんて、今朝までいましたよ、と宿屋の人に言われたことがあって、それならそんなに遠くへ行っていないはずとものすごく探したのに、宿を出た後の消息は何も見つけられなかった。
 流石、隠密。それでもあたしは探し続けた。


 もう両手でも足りないくらいの旅をした。でもあたしは少しも不安を持たなかった。今度こそ会えるのではないか。不思議と自信がわいてくる。会える気がした。すると、ついに、蒼紫さまを知っているという侍に出会った。
 赤い髪をした頬に十字傷のある侍――緋村剣心。
 あたしは必死で聞き出そうとした。けれど、なかなか教えてくれない。蒼紫さまがあたしを置いていったということは、それがあたしのためなのだから、忘れた方がいいと、そう言った。
 ふざけるな! あたしは怒り狂った。それはもう何度も言われたことだった。じいやにも、お近さんにも、お増さんにも、白にも、黒にも。蒼紫さまたちのことを綺麗に忘れて幸せになる。それがあたしに出来ることだって。でも、あたしは、あたしの幸せは、蒼紫さまの傍にしかない。
「一番大事な人のことを忘れて、どこが幸せなのよ!」
 緋村はあたしの叫びに、本気を感じただろう。あたしを認めてくれた。
 あとになって、緋村にも同じように置き去りにしてきた人がいることを知った。


 蒼紫さまと再会できたのは、それからほどなくだった。でもそれは、あたしの期待したものとは違った。 
「失せろ。二度と俺の前に姿を現すな」
 まるで知らない人みたいに言い捨てた。
 蒼紫さまは葵屋を出た後、流れに流れて、青年実業家の、その実、裏ではやくざまがいの悪行をしている男の用心棒として雇われた。そこで、不幸が起きた。その男はこともあろうに蒼紫さまを回転式機関砲の餌食にしようとした。それを守るために、般若くん、ひょっとこ、べし見、式尉さんは自らの身体を盾にして蒼紫さまを守ったという。蒼紫さまは彼らの無残な死を自分のせいだと責めて修羅に落ちていた。
 蒼紫さまはもうあたしの大好きな蒼紫さまではないの?
 本当に、修羅になってしまったの?
 すると、じいやは緋村に言ったの。
「蒼紫を殺してやってくれ。修羅に残された安息は死のみ。それがあいつの唯一の救いじゃ」
 蒼紫さまを殺すの?
 もうそれしか道はないの?
 でも――
「蒼紫の安息の地はここにある。必ず連れ帰る」
 緋村はそう約束してくれた。
 蒼紫さまは修羅に落ちていないって。まだ正気が残っている、だからあたしに蒼紫様さまを待っているようにと。
 あたしは蒼紫さまの帰りをまっていていいの?
 蒼紫さまが、帰ってくる。
 ここへ帰ってきてくれる。あたしのところへ。
 そして、それは本当になったの。


 大好きだった大きな手に、あたしはまた触れることが出来た。ひんやりとした冷たい手。
 ねぇ、知ってる? 手が冷たい人は心が優しいんだって、とあたしが言えば、俺にそんなことを言うのはお前ぐらいだ、と蒼紫さまは言うの。そんなことないよ。みんな知ってるよ。蒼紫さまが優しいって。あたしは意地になって言いかえす。
 そう。彼はとても優しい。その優しさが彼を狂気に突き落とし、彼の生涯にけして消えない後悔を刻ませた。きっと生きている限り、彼が苦しみから解放されることはないのだろう。どれほど時が経とうとも、どれほど罪を償おうとも、永遠に消えないのだろう。
 そんな彼が、たまらなく愛おしかった。
 あたしはようやくわかったの。母が父を愛した気持ち。強いけれど弱くて、とても繊細な彼を、あたしもまた愛してしまったの。
 でもね、あたしには何も出来ない。父は母といて幸せそうだったけれど、あたしには彼を幸せにできないの。何もしてあげられない。ただ、傍にいるだけ。だから、せめて、とあたしは祈った。
 神様。生まれ変わりがあるなら、今度は彼に優しい生涯を、苦しみのない人生を生きさせてあげてください。どうか、お願いします。そして、出来るなら、その姿をあたしも見たいです。彼が何のためらいもなく幸せに笑う姿を、あたしにも見せてください――――……



2013/7/18