again and again

6. 占い師

 ただ今、お昼に出ています。十三時には戻ります。

 占いの館「マーズ」の扉の前、流れるような文字で書かれたメモを見て私は拍子抜けした。
 昨夜は寝付けないのではないかと思っていたが、私は自分が考えるほど繊細な人間ではないらしく、前世の夢を見るのは嫌だな、と思っていたらそれも見ることはなく、ぐっすり眠れた。目が覚めても落ち着いていて、このまますべてを忘れてしまえるのではないかと期待したくらいだ。ところが――朝食を食べ終えてテレビを見ていたらCMに駒形由美が出ていて、それを引き金にして結婚式のことが蘇り、嫌な感じの混乱が押し寄せてきた。
 あんなに綺麗な人を見て、こんな気持ちになるなんて!
 この分では、駒形由美を見るたびに思い出すのではないか、いわゆるトラウマってやつ? と愕然となり占の館へ行くと決めたのだが……電車に乗って駅を降りて暑い中を汗を流して歩き、やっとたどり着いたのに、エレベーターに乗り込むと急に心細くなってくる。初めて訪れたときもたじろいだが、あのときよりもっと抵抗が強い。
 どのように話を切り出せばいいのか。前世を思い出しました、という言い方をして冷やかな態度をとられたらどうしよう――それで昨日は大失態を犯した――とはいえ、他にどういう言い方をしたらいいかわからない。紙に書き出して整理してからくるべきだったかも……でも、あの出来事を一人きりで思い出すのは痛みがありすぎる。今朝だってチラリと思い出しただけで逆さに吊るされぶらぶらと揺らされたような頼りなさに襲われ、助けてほしいと喚き散らしたくなったのだ。とても無理。ぶっつけ本番で正直に話し、この気持ちを丸くなるよう納めてほしいと告げるのが一番だろう。うまくいく保証はないけど。
 そのようなことを思っていると二階へつき一歩踏み出したらこの不在のメモが貼られていたのだ。
 鞄からスマホを取り出して時刻を確認する。デジタル時計は十二時二十八分を表示している。
 これは諦めたほうがいいということだろうか。
 不在に意味を見出すように否定的な気持ちに偏った。そのネガティブさにげんなりして、せっかくきたのだからと否定を否定する。何がしたいのか自分でも怪しくなる。
「もういい、見てもらう」
 両頬を打って決めた。私は思考派ではなくてだいたいが行動派なのだ。
 廊下は窓がないので熱がこもり蜃気楼が出てきそうなほど空気がねじれていた。待つのに適した場所ではない。どこか涼しいところで時間を潰すか、彼女の携帯にかけるのがいいだろう。念のためにと家を出るとき名刺を持ってきてよかった。
 財布のカード入れから取り出し、印字された番号と手書きの番号を見比べた。仕事用はオフにしているかもしれないので確実なのはプライベート用だ。
 メモ書きと同じ流れるような文字で書かれた番号の〇九〇まで入力したら、ふと躊躇いが生じた。お昼に出ていますとはお昼ご飯を食べているということで、ゆっくりしているのだろう。友だちでもなく親しくもない人の自由時間を無遠慮に終わらせるのは非常識な気がした。
 やっぱり待つ方がいいよね、と口の中で呟いて名刺を戻し、時間を確認し(二分も経過していなかった!)、メモの一三時というのも確認し、駅前にあった本屋でぶらぶらしようか、それともスタバにでも入ろうかと考えているとコルクボードが目に付いた。
 以前来たときと同じ雑誌の切り抜きが貼られている。恋愛マスター、と太字で書かれた部分を指でなぞった。ここへ来る人たちは大方が恋愛相談をするのか、と思えば自分が聞いてほしい悩みを場違いに感じる。
「あーあ」
 昨日からため息ばかりだ。ため息をつけば幸せが逃げていくと言うけれど、今まさに逃げて行ったのだと思うとますます気が重くなる。首筋に触れると汗が浮かんでいてべたついていた。
 エレベーターのボタンを押す。私が降りたあとの僅かの時間で誰かが使ったらしく一階の表示に光が点いた。階数表示が動き始めるのを見つめているとほどなく二階に戻ってくる。ゆっくりと扉が開く。それに合わせてゆっくりと顔を下げれば人が乗っていた。
「あら、いやだ。虫の知らせ」
 その人は私の顔を見ながら言った。
 油断大敵。占い師だった。
 タイミングの良さにうまく反応できずに棒立ちになってしまう。
「いつから待っていたの? 暑かったでしょ。電話くれたらよかったのに」
 占い師はそんな私を笑いながら、さぁ、入って、と鍵を開けて中へ通してくれた。
 窓が開けっ放しだったので風が通り廊下より暑さがましだったが、それでもムシムシとしていて占い師は窓を閉めるとクーラーをかけてくれた。室内が瞬く間にひんやりしていき私の汗も引っ込んだ。
「駅前のグランデってお店があるんだけれど、今日はそこでランチをする予定だったのよ。日曜日はそこって決めてるの。でもすごく混んでいてね、並ぶ気分になれなくて、コンビニでサンドウィッチを買って部屋で食べることにして戻ってきたのよ。そしたらあなたが待っていて、きっと私を呼んだのね」
 私の顔を見るなり「虫の知らせ」と言ったのはそういう理由からか。単なる偶然ではなくごく自然と「虫の知らせ」という言葉が出てくるあたりがいかにも占い師っぽいなと感じた。
「ねぇ、麦茶とアイスコーヒーどっちがいい?」
 ご馳走してくれるらしく、にこにこと尋ねられた。
 麦茶をお願いすると涼しげな青いグラスに注いで、部屋の中央にある白いテーブルの上に置いてくれた。私はグラスの前の椅子を引いて座った。テーブルにはグラスの他に二種類のカードがあった。絵柄が下になっているがそのうちの一つは前に来たとき使っていたのでタロットだとわかる。もう一つの真っ赤な格子柄のカードもタロットだろうか。
 占い師はコンビニの袋とグラスを持って私の前に座った。
「操ちゃんはお昼食べたの?」
「いえ、あまり食欲がなくて」
 食欲不振は昨日から続いている。今日も朝に食パンを半分齧り、牛乳を一杯飲むとそれ以上は受け付けずに昼も食べずにここへ来た。――そこまで考えて、あれ? と思った。占い師は私を”操ちゃん”と呼んだ。自己紹介などした記憶がない。
「あら、夏バテ? だめよ、食事はちゃんととらないと。これ、食べなさい」
 ぐいっとサンドウィッチを一切れ渡されて勢いに受け取ってしまう。
「いただきます」
 占い師は礼儀正しく両手を合わせて食べ始めた。私ももらったサンドウィッチを一口齧った。ハムと、ゆで卵をつぶしてマヨネーズで和えたもの、それから食パンの柔らかくしっとりとした食感が舌の上で絡まり合う。
 私がもごもごしているうちに、占い師はどんどん食べ進めていく。今日もバッチリメイクがされていて、近くを歩いてきたようだが暑さに化粧崩れをしている様子はなく、目元にたっぷりのマスカラ、真っ赤な紅はサンドウィッチを食べてもとれることはなく艶々として彼女の唇を潤している。綺麗なお姉さんは小鳥がついばむように食べるイメージがあるが、占い師は上品でありながらスピードはとてつもなく速い。私も食べるのは速いので友だちと食べるときはみんなのペースに合わせるように気を付けているが、占い師のそれはまるで男の人のように豪快だった。そのギャップに驚きながら痩せの大食いってこういうことなのかもな、と思った。見ているとつられて私もいつの間にか食べ終えていた。
「ふー、おいしかった。ごめんなさいね。先に食べないと集中できないから」
 占い師は包装袋をビニール袋へ入れて足元のごみ箱へ入れて、そのあとでグラスを手にして飲むとにっこり笑って言った。集中できないというのは食事にだろうか、話にだろうか、とぼんやりと思っていると占い師のほうから、
「で、あれから何か進展あったのよね」
 だからここへ来てくれたんでしょ、と断定的に聞いてきた。
 私も青いグラスを手にして一口飲む。水分を入れても喉の渇きはあまり消えなかった。緊張している。
 柔らかな笑みを浮かべる占い師の顔が、柔らかな笑みを浮かべていたけれど私が前世のことを告げた途端に表情を硬くした彼の顔に見えてきた。
 私はもう一口麦茶を飲む。ゴクリと音が鳴る。
 どうしよう――迷いのあとグラスから口を離すタイミングで思い切って口火を切った。
「あの夢の内容が何であったのか思い出したんです」
 前世という言葉はやはりどうしても言えなかった。
「それじゃ、前世の記憶を取り戻したのね!」
 ところが占い師はいとも簡単に前世と告げ、とても嬉しそうに笑った。
 その態度から私の夢が前世であると知っているようだった。いや、実際、前に来たときも知っているような口振りではあったけれど、あのときはこんなことになるとは思っていなかったし、占い師の言葉をそれほど信じてはいなかったのだが――本当にこの占い師は霊能力があるのだ。
 変な目で見られなくてよかったという安堵と、特殊な能力を実感して少し怖い気持ちとが混ざり合って何と続ければいいか思いつかない。
 視線を落とせばテーブルに置かれた占い師の手が見えた。今日は黒色のマニュキュアが塗られていて魔女のようだった。前のときにも感じたが女性の手にしてはゴツゴツしている。
「そっか。思い出したか。ああ、でも心配しなくていいから。数はそんなに多くはないけれど、前世の記憶を持っている人っているのよ。だから、自分が変なんじゃないかとか、どうかしてるんじゃないかとか、悪いほうに考えないでね。あたしもね、自分の記憶が前世のものだってわかったときは驚いたけど、大丈夫、別に記憶があっても普通に暮らせるし。場合によっては大変な人もいるけど、少なくともあなたのケースはそういう悪いものではないし」
 私の不安とは裏腹に占い師は砕けた物言いで饒舌になっていた。
 発言から、どうやら一定数は前世の記憶がある人がいること、占い師もその一人であること、このまま普通に暮らせるらしいことが知れる。
「でも、嬉しいわ。前世での知り合いが前世の記憶を取り戻すなんて、仲間ができたみたいよ」
「え?」引っ掛かりを覚えて私はつぶやきを漏らしながら、はっとなって彼女の顔を見た。
 はっとなった私に、彼女もはっとなって私を見ていた。
「え?」と私がもう一度繰り返すと、
「え?」と同じく告げて「思い出したのよね? 前世の記憶」
「それは、思い出しましたけど」
「……あたしが誰かわからない?」
「えっと……」
 言われて、おずおずとその顔を見つめた。
 綺麗な人。そう思うけれどそれだけだ。
「インパクトのある出会いだったから覚えてくれてると思ったのに。何せ全部見せた仲だし」
「全部、見せた?」
 その瞬間、背筋に悪寒が走り抜ける。それから、こめかみにズキリとした痛みが走り、占い師の顔がぼやけ始める。これまでも似た現象が二度起きた。そのとき浮かび上がってきたのはメイド服姿の少女、赤毛の侍、中華風の男。今回は大きな鎌を持った女で――……。
 像の存在に意識を奪われ身体が重くなっていく。私は目を閉じて両手でこめかみをさすった。いつもならばここで誰かが私を現実に引き戻してくれた。でも今回はそれがなく、像がすぅっと私の網膜へ移って頭の中から鈍く揺れる感覚に襲われた。目の前にぬっと巨大なスクリーンのようなものが現れ、どんどん迫ってきて私の身体を頭から飲み込んでしまう。抵抗する暇もなく、強い光にぎゅっと瞼を閉じた。
 次に視界に現れたのは古い街並みだった。
 自分の掌を見る。指の間に手裏剣とは違うけれどおそらく似たような用途だろうと思われる鉄製のものを挟んでいる。何これ、と頭は疑問に思うけれど心は不思議とこれが前世の記憶が見せているものだと理解していた。
 ここは明治だ。明治の京都。
 目の前には忍び装束の男たちがいる。その様子から緊迫を感じとれた。
 今見ているのは、京都大火の危機――それは”あたし”の生涯の中でもとりわけ厄介で危険な出来事だ。
 公式の記録にさえ残されず秘密裏に葬られたが明治時代に政府の転覆を謀った者がいた。志々雄真。伝説の人斬り抜刀斎・緋村剣心の後継者となった男だ。志々雄はその野心を恐れられ戊辰戦争のどさくさで仲間に暗殺されたはずだったが、その並外れた生命力で一命をとりとめた。地獄から蘇った志々雄は、自らを貶めた明治政府を恨み「弱肉強食」を打ち立てて国盗りを始めた。
 志々雄は京都を放火しようと配下の十本刀を送り込んでくる。
 あたしたちはそれを迎え撃った。
――なんとしても京都を守らなければ。
 緊迫し対峙する中、一人場違いにはしゃぐ女がいた。
 なんなのあいつ!? あたしは苛立ち、
「一刻も早く鎌女を倒すしかない!」と叫んだ。
 すると、その女は笑い出した。
 何がおかしいの!? とさらにあたしは苛立った。
「鎌、女? やーねぇ、勘違いしちゃって」
 女は言いながら着物の裾を捲し上げて見せてくる。百聞は一見にしかずという風に。
 その股間には女性にはけしてないはずのものがぶら下がっていた。
「私はね、鎌女じゃなくてカマ男」
 続いた言葉にあたしは、
「い、い、い、い、いややややややややぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 ほとんど反射的に叫び声をあげた。おぞましい光景にとにかく叫ばずにはいられなかった。身体がわなわなと震え自分の声にびっくりしてますます大声になる。ジェットコースターに乗ってもこんな大声出ないと言うほど張り上げる。だけど、突然それが塞がれた。うぇっ、とむせかえり目を開けて傍にある気配を見ればカマ男――本条鎌足の顔が見えた。
 うそ!?  捕らえられたの!
――いや、違う。
 これは鎌足ではない。洋服を着ている。ということはこれは占い師。現実の私に戻っている。叫んでいるのは”あたし”ではなく私だ。
 よくよく見れば占い師の右手で頭を左手で口と鼻を押さえつけられていた。息が出来きなくなったので声も出なくなった。代わりに苦しくて暴れまわるが、私の動きは容易く封じられる。占い師は見かけは綺麗なお姉さんだがバカ力だった。
 この人は男なのだ。
 本条鎌足の生まれ変わりなのだ。
 ああ、どうして私は前世でも今世でも鎌足を女だと思ってしまうのか。気づけるポイントはいくつかあったはずだ。たとえばゴツゴツしていると感じた指先とか。たとえ食べるスピードが驚異的であったこととか。――いや、それよりもまずこの状況をどうにかしなければ。
「いい。手を放すけど叫ばないでね」
 傍で低い声がした。私は酸欠になりつつある頭を必死に使って言われたことを理解し頷いたが、手が完全に放されることはなく力が緩んだだけだった。話が違うではないかと思いながら、緩んでできた指の隙間から酸素が通る。私はそれをどうにか肺に入れた。少しだけ落ち着く。
「本当に叫ばないわね。もし叫んだらあなたを気絶させて、さらに近所迷惑の営業妨害で訴えるからね」
 次は脅しをかけられた。
 これでは私のほうが悪いみたいだが、とにかく手を放してもらわないと反論もできないのでこくこく頭を振ると、それでようやく解放された。
「ちょっと! どうして私が悪者みたいに言われなくちゃいけないの!」
 いろいろ他にも言いたいこと、というよりも言わなければならないことがあるはずだけれど、私が真っ先に告げたのはそれだった。
「どう考えても悪いでしょ。あんな大声で叫ぶなんて」
「だって仕方ないじゃない。あんたが変なことする場面を思い出したんだから!」
 口にすると今しがた見た白昼夢のような映像が目の前に再現されそうになる。鎌足の下肢からぶら下がった……ぶんぶんと首を振りそれを全力で追いやる。二度と思い出したくない。おぞましすぎる。
「変なことなんて人聞き悪いわね。操ちゃんが誤解するからそうじゃないわよって親切に教えてあげただけでしょ」
「言っとくけど、あんなの今だったら完全に痴漢行為だからね」
「前世の罪はご破算よ」
 鎌足はまったく悪びれる様子もなくうふふと笑った。



2013/7/31
2014/4/9 改稿