2014年読切

鬼と侍 鬼が来た 中編

※この作品は 鬼と侍 の続編です。

 
 厄介ごとが一つ起きれば、次々に問題が起きるのを嫌がらせというのだろう。
 操の世話をしばし見ることになった翌日、帝がお忍びで蒼紫の屋敷を訪れた。蒼紫は二人を会わせたくはなかったし、会わせる気もなかったが、敏い帝は屋敷の空気がいつもと違うことを感じとり、隠し事は無用、と女衆へ詰め寄った。されば、元より帝への忠信の方が強くあり、黙っているより話した方が拗れなくてよいと、操の存在を告げられてしまう。事情を知った帝は面白がり操と対面させろと要求した。
「万一のことがあってはなりません」と蒼紫は反対するが
「万一のことがないように、私を守るはお前の役目であろう」と返される。
 それはそうだが、そうならぬように事前に策をとるのも大事な役割であると反論しても、へ理屈を言うな、会うまでは帰らんぞ、と迫られ、どちらがへ理屈かと思うたが、こうなったら最早手に負えぬと諦め、会わせることになったのである。
 対面した二人は、これまた厄介なことに意気投合した。
 操は昨夜こそ恐怖に縮こまっていたが、一日経てばすかりと明るくなった。そうなれば人懐っこいところがある。自分に危害を加えない者へ見せる屈託のなさが如何なく発揮され、無邪気さを帝はいたく評価した。宮廷の、隙あらば寝首をかいてやろうとする者どもを思えば新鮮に映ったのだ。
「人の方がよほどに恐ろしい」
 そう言って笑う帝に、操は大きな目をぐるりと回し、昨日のことを思い出したのか、何度も頷いた。 
「ちょうど良い。都を案内してやろう」
 そして、そう告げた。
 蒼紫は反対――しても聞くような相手ではなく、二人の護衛として出向くことになった。
 問題の、操の角だが、それは女衆が髪を結って簪や櫛で器用に隠してやった。着物も、昨日の物とは違うのが良いだろうと、二人がそれぞれ持ち寄り、どれが良いかと思案しはじめる。年若い娘であるし、最終的に、桃色と、山吹、そのどちらがか良いということになったが。
「蒼紫さんはどっちがいい?」
 操が左右に着物をたずさえて、聞きに来る。
「どちらでもよい」
 蒼紫はそう返すと、
「お前というやつは」
 傍にいた帝から咎めのような声が飛ぶ。
 蒼紫は、帝に一度視線を向けたあと、もう一度操を見たが、その表情は陰りがあった。しょげている――それに気づき、それほど自分の返答は酷い物だったのかと蒼紫は俄かに焦りを感じたが、
「合わせてみよ」
 蒼紫が言葉を発する前に帝が告げた。言う通り、操はまず山吹の着物を肩にかけてみせた。その後で、桃色を。
「ふむ」とうなり、もう一度、かけるように指示を出す。
 操はまた素直に山吹と、桃色を、順にかけた。
「桃色がよい。女子らしい。そう思うだろう、蒼紫」
 帝が言う。その顔はにやにやとした嫌な笑みを浮かべている。
 明らかに、誰が、どう見ても、山吹の方が似合っている。帝とてそう思っているからこその笑みなのだろうと蒼紫は理解するが、何故、左様な意地の悪いことをするのか。憮然とした気がするが。
「そっか。じゃあ、こっちにしようかな」
 一方で、操は帝の言葉を素直に受けとった。
 否、別段、桃色が可笑しいわけではないし、ただ山吹の方が似合うというだけで、そもそも蒼紫はどちらでもよかったはずだが、
「山吹」気付けば、呟いていた。それは小さな声であったが、
「操。蒼紫は山吹の方がよいらしい」
 帝はまるで待ってましたとばかりに大きな声で言った。
「え? 山吹?」
「左様ぞ。私は桃色がよいと思うが……蒼紫は帝である私の見立てに逆らっても山吹が良いと言う。余程山吹がよいのだろう。元々お前も蒼紫に聞きにきたのであろう。ここは私が折れるのが筋かと思う。操はそれでよいか」
 何故、持って回ったような言い方をするか、何が目的か、蒼紫は眉根がよりそうになったが、表情を崩せばそれこそ思うツボのような気がして、無表情を貫く。
「うん。……えっと、帝様、ごめんね?」
「よい、よい。それより早よう、着替えてまいれ」
 頷くと、操はパタパタと部屋を後にした。
 その足音が完全に聞こえなくなれば、
「どういうつもりですか」と蒼紫が言った。
「どういうつもりとは何ぞ? お前があまりに無粋であるから、私がとりなしてやったのを、なにゆえ、左様に不機嫌になる」
「私の何が無粋であると?」
 ピクリと片眉が上がる。
「怒るのは自覚があるからか」
「……おっしゃってる意味がさっぱりわかりませんが」
「操は、お主に惚れておろう。それ故に、わざわざどちらの着物がよいかと聞きに来たというに、あの態度はない。無粋と言わずなんという」
「………………はぁ?」
 思わぬことを告げられ、呆気にとられて無礼な態度になったと、慌てて両手をついて頭を下げるが。
「よい、よい。ここでは私はただの町人ぞ。それよりも、お前は本当にわかってなかったのか。あの娘が都へ来たのも、本当に祝言の不安で逃げ出しただけと思うておるのか」
「と、申しますと」
「と、申しますとではないわ。お前に会いたかったからに決まっておるではないか。あの娘の心にはお前がおるから、祝言を上げることに不安を感じ、お前の元へ逃げてきたのであろう。そんなこともわからずにいたか。ほんに、お前は何処か抜けておると思うておったが、呆れる」
 蒼紫は無表情に努めていたことも忘れ、その切れ長の目をこれでもかと見開いて、
「……操は鬼ですが」と言った。
 人間と鬼で、その間に男女の何かしらが生まれるはずがないと。
「ならば、鬼でなければよいのか」
――鬼でなければ。
 操が鬼ではなかったならば。そう、心で反駁させれば、どくりと蒼紫の鼓動が高まった。
「……操は鬼です。たらればを話しても仕方ない」
 蒼紫は己の身に起きていることをねじ伏せるように続けた。
「たしかに、娘が鬼であることは覆らん。されど、鬼が何ぞ。別にお前は“帝”ではなかろう」
 帝は口の端を持ち上げて、ニヤっと笑う。その笑みは、皮肉でありながら切なさが滲んでいた。
 蒼紫は黙る。帝に、想い人がいることは承知している。ごく普通の町娘である。お忍びの外出も、その娘に会うためのものである。二人は恋仲ではない。帝の一方的な片恋だった。そして、永遠に気持ちを打ち明けるつもりもない。帝が望めば、妾にはできるであろうが、正室はしかるべき家の女子を娶る。愛人としての生涯を強いるのも酷であるが、子でも出来、それが男児であれば更に厳しい現実が待ち構えていよう。左様な暮らしに引き込めるわけがない。元より、叶わぬ恋である。そうしているうちに、娘が祝言のあげることになった。今月の末には隣町へ嫁いでいく。帝の恋は間もなく終わる。
 自由に人を好き、想いを告げることのできぬ身分に生まれた苦しみを知る帝にすれば、蒼紫の線引きは愚かでつまらぬものである。――帝にそう言われれば、蒼紫は何も言えぬ。
 実際、蒼紫は三男で、継がねばならぬ家もないし、言うなれば自由気ままである。相手が鬼でもさほどに問題になるような立場でない。
――否、俺は何を考えているのか。
 あるはずのない先を想像しかけた自分を消し去るように、蒼紫は小さく首を振った。


 腰掛茶店にて、操が団子を頬張る。餡の入った団子は、近頃の流行りである。
「おいしい!」感嘆の声を上げた。
「そうか。うまいか」
「うん、こんなおいしいのはじめて」
 操と帝のやりとりを聞いていた店の亭主が、うれしいこと言ってくれるね、ともう一本三食団子をおまけしてくれた。
「やった!」と喜ぶ操に、帝もつられて笑いながら、
「主人、土産にするので、いくらか包んでくれまいか」と続けた。
 屋敷で待つ、近江女と増髪のための物である。
「お近さんたち喜ぶね」
「ああ、されど、やはり店で食べるのが一番うまい。今度は皆でくることにしよう」
「うん」
 楽しげで、柔らかな空気である。が、一人だけ例外がいる。二人の座る床机と向かい合うように置かれたそれに、一人腰掛け、無言で、無表情に串を食らう蒼紫の姿は異様だ。触らぬ神になんとやらで、先ほどから皆、蒼紫のことはいないもののように振る舞っている。唯一気にするのは、操である。チラチラと様子を伺うが、その視線を蒼紫の方がことごとく無視している。
 帝の助言は、どうやら悪い方へ向かったらしい。
 良かれと思ってしたことが良くない方へ進むことはあるし、色恋に他人が口をはさめば拗れることもある。お節介であったかと帝は思うも、蒼紫の日頃の飄々とし、何事が起きても気を揉むことない性格を知っているだけに、不機嫌になるのは心を捉えている証拠、やはり関心があるのだなとも思う。堅物男には多少外からの揺さぶりをかけてやるぐらいで丁度である。
――ほんに世話の焼ける。
 帝はやれやれと、
「では、私はそろそろ戻るとしよう。後はお前たちで見て回れ」
「それでは、お送りします」
「必要ない」
「ですが」
「勝手に来たのだから、勝手に帰る。着いてきたら許さぬぞ。よいな」
 言うや、帝は立ち上がり、
「それではな。また会おう。土産はあやつらと食べてくれ」と団子の包みを操へ渡し立ち去った。
 蒼紫は三軒隣の料理屋と宿の間にある筋へ視線を向けた。そこには男の影がある。――公儀隠密である。蒼紫のように表だっての護衛とは違い、陰から帝を守る役割である。蒼紫は男が帝の後を追ったのを見届けて、いくらか安堵する。
「いかなくていいの?」
 左様な存在に気付かぬ操は、蒼紫へ問いかけた。
「ああ、いい」手身近に返す。
「そっか。……じゃあ、私たちも帰る?」
「そうだな」
 蒼紫が頷いて立ち上がる。操も後を追いかける。
 大きな通りは人の流れが多い。二人は連れ添って歩いていたが、大柄の蒼紫と小柄の操とでは歩幅が違い、時々操が小走りになることを繰り返すこと数回――ふと、操の気配がなくなった。蒼紫は驚いて振り返る。十歩ほど離れたところで、片足でぴょんぴょん飛んでいる操の姿がある。小走りを繰り返す間に鼻緒が切れたらしい。はぐれたわけではないことに安堵し、近づこうと踵を返すが。
「おや、お嬢ちゃん。鼻緒が切れたのかい」
 その間に入って、操に声をかけた男がいる。
 見たところ、町人である。
「ほら、貸してみな」
 言うと、操が持っていた下駄を渡すように告げる。
「連れが、失礼した」
 それを制するように、蒼紫が背後から声をかける。男は驚き振り返る。背の高い、蒼紫――しかもいささか不機嫌――に見下げられて、ひぃ、と思わず悲鳴が漏れ、けして操に絡んでいたわけではなく親切にも鼻緒を修復してやろうとしていたのに、慌てふためいて逃げて行った。
「行っちゃった……」
 大きな目をぱちぱちさせて、操が言った。
「行っちゃったではない。お前は、あれほど人を恐れていたのに、昨日の今日でもう忘れたか。無闇に人と関わりを持つな。何故、俺を呼ばぬ」
 静かではあったが、怒気をはらんだ冷ややかな声音である。
「だって……」操は俯いた。力が入らなくなったように、鼻緒の切れけんけんしていた足を地面に降ろす。
「だってなんだ。理由があるなら言ってみろ」
「だって、蒼紫さん、怒ってるし。わ、私のこと迷惑なんでしょ。私と一緒にいたくないんでしょ。だから、どんどん先に行くんでしょ。だけどおいて行かれたらどうやって帰ればいいかわかんないし。だから頑張ってついていこうとしたもん。でも、鼻緒が切れて……」
 じわり、とその目に浮かぶのは涙である。だが、涙をこぼすことはなかった。ぐっと下唇を噛み堪えている。その姿に、蒼紫の心が震えた。呼吸もうまくできなくなり、いたたまれず、己はなんと薄情な仕打ちをしたのかと後悔が――否、左様な仕打ちをしているつもりはまったくなかった。先を歩いてはいたが、操の気配を確認はしていた。それ故、それがなくなり振り返ったのである。まさか操からはそのように見られていたなど。
「操……わる」かった、と続ける前に、きっと操が蒼紫を睨み付けた。そして、持っていた土産の団子の入った包みをぐいっと押し付けてくるので、思わず受け取る。
 何が起きたか、おろおろしているうちに、今度はポイっと無事な方の下駄を脱ぎ捨て、裸足になると、すたすたと細い裏道へ歩き始めた。突然のことに、呆然とする蒼紫だったが、その姿が遠のいていき、はっと我に返れば、置き去りになった下駄を持って操の後を追いかける。
「待て、何処へいく」
 声をかけるが、全くの無視である。
「操!」名を呼んでも足を止めることはないので、蒼紫は前へ回り込み、行く手を塞ぐと、ようやく立ち止まったが、その目からはぽろりぽろりと涙が流れ落ちている。
 ひやりと、蒼紫から血の気が引いた。
 操の涙は幾度か見てきたが、人に泣かされる姿にも操が泣いていれば弱り切っていた男が、それが自分のせいとあれば平静でいられるはずもなく――。
「悪かった。そんなに泣くな。悪かった」
 ただ、そう繰り返すが、操の涙は止まらない。
「俺の配慮が足りなかった。お前に心細い思いをさせて悪かった。もうそんなことはせんから、頼むから泣き止んでくれ」
 蒼紫は操の顔を見ていられず、その小柄な身を抱きしめる。流石にそれには操も、ひやぁと悲鳴を上げたが、その頃には蒼紫の方が混乱しており、操の離してくれとの抵抗も聞き入れず、ぎゅうぎゅうと抱きしめては、悪かった、悪かった、と懇願を口にした。



2014/9/24